247/365 家族の孤独を理解する | アダルトチルドレン専用カウンセリング札幌

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No. 1,259 こころのメモ1008(ACアダルトチルドレン札幌

247/365 家族の孤独を理解する


「なぜ自分が変わらなければならないのか?」など、家族への怒りや恨みから、家族など理解し難いと拒否されている方、癒しが進んでいない方は読まないでください。








以下本文








自分の孤独を癒やして回復させ
孤独がありつつも


今ほどは気にならなくなるように
成るために


自分の今後のために考えてみる。





自分の孤独を癒し回復させるには、

もしかしたら

家族の孤独を理解することが

ヒントになり


自分の思い込みや決めつけ、
合理化や破滅的な思考を


軽くして


成熟した人間になっていくための
近道なのかもしれないという話しをします。

(急がば回れ・損して得取れ・無知の知)







↓↓



家族はヘンだ、オカシな人だと
理解し難いという思いをしているのが
アダルトチルドレン(AC)。




不条理で不合理
独断や偏見
無自覚に傷つける
約束は守らない
言うこととやることが違う
冷たい
理不尽で暴力的
無関心
マウント至上主義者
利己的

…な家族



反省などなく
自分の非は認めず
批判や否定による
攻撃ばかりしてくる。



"家族が孤独でも知ったことではナイ"

…ト ホントノホントハ カンジテイル カモ




親へのACの訴え
「なんでウチの親は頭オカシいんだ?」
「人の心どっかに捨てたか?」
「自分のバカさを人のせいにするな!」
「都合の良いことばかり言うやん」
「劣等感の塊め!!」
「無教養が過ぎる」
「弱すぎ」
「みすぼらしい」
「暗いんだよ!!」
「非常識だ」
「人の不幸がそんなに嬉しいか!?」
「なんで味方してくれないの」
「崖から突き落とし岩を括り付けて沈めた」
「嫌悪感でお腹いっぱい」
「想像するだけで吐き気がする」
「被害者の立場に立て!!」
「なぜ嫌がることをするの?」
「どうして愛してくれないの?」
「なんて理不尽なんだろう」...等々無数




このような持って行き場のない思いに
日々悩まされ



不眠になったり
精神を患ったり
引きこもったり
孤立したり
自信がもてず

罪悪感から逃げられないとか
劣等感が植え付けられて、


孤独が消えなくなってしまい

社会から孤立しているんじゃないかと
内心

心配しているAC



自分は社会不適合者だと
日陰を生きるような
うしろめたさを感じて
生きづらい。




その反対に家族は、


そんな自分を気にかけるワケはなく

のうのうと気楽に生きている





は?どゆこと??




ふざけるなーーーーーーーーー‼️💢



こっちは孤独なんだよ‼️



よ‼️





…などと

激怒している方が存在する








だから。。



家族が孤独だとしても

理解したくない人が
多いのかもしれないと思いながら
書いています。





ただ。。



そんなワケのわからない
家族とともに育った
自分がいるワケで、


短期間で孤独を感じるようになった
ワケじゃないし


家族を見ていると

わかりたくないのに
何かわかる部分もあって、


言葉にしたくはないけれど

家族が抱える
孤独と

自分が抱える
孤独は、、


「    」


…のかもしれない



カッコに
自分の直観で言葉を入れてみる


入れることで
何かが感じられる。。




孤独を分解・分析しようとしても
恐らく不明瞭でわからない部分が
あるかと思われます。


当たり前ですよね
ロボットじゃないんだから
思いが
割り切れるワケはない。



だけど、

頭ではわかってはいても(理性)
感情では「わかりたくはない」ことがあり、



筋が通らないが
認めてしまえば
ずいぶんと

楽になることも
わかっている。。かもしれない




できれば意識を向けたいのは、



割り切れない部分に
長年抱える
孤独の本質があり


家族がきっと抱えている
孤独の本質と

似通っているというか
共通しているというか
一緒というか
近似・類似の
何かがあるのかもしれない




でもイヤだ
見たくない
感じたくない
言いたくない
触れたくない
認めたくない
許したくはない





こういった思いに
行き当たるようでしたら


その思いがもしかしたら


ご自分が長年かけて
身につけざるを得なかった

孤独という

家族とのつながりであり、


これまで
ひとり頑張って
守ってきた


自分が大切にしたい
価値観なんじゃないでしょうか?
(ワタシって〇〇なんだよ!という思い)





まあ、、散々
ご家族に傷つけられてきたから

孤独で隠して守る。。しかなかった、かな?




孤独には
これからの生き方を
少しでも
楽にするヒントが、

詰まっているかもしれないですし、




どうしようもなく

悲しみに満ちた
家族とあなたの

真実なのかもしれないですね。



現実では絶縁していたとしても
真実でなつながりを感じるかもしれない




ワケわかっていない家族だからこそ
傷ついてきた自分からみると
哀れというか

そんな不幸への一本道を
歩んでいく
あの人のことを
遠くに見ながら、



じゃあ!!




自分はどの道を歩いていこうかな、
といったところでしょうか。




理屈では破綻している
家族関係であっても


孤独をテーマにして
自分のために
考えてみると、


また、違った視点を
持つことができるかもしれませんね。





担当心理カウンセラー 
村上なおと

カウンセリングサロン Anela
札幌市中央区北3条西18丁目2-11 ブランノワールW18.exe 301号
・地下鉄東西線の西18丁目駅より徒歩8分


☆お陰様で13年目
皆さまのお陰です。
ありがとうございます(^人^)感謝♪︎






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247/365 家族の孤独を理解する























【今日を大切にする】

できなくても
ウジウジしても
ダメでも
やる気なくても
あなたの価値は変わらない
ヨシヨシ (●︎´∀︎)ノ"。゚(゚ノД`●゚︎)゚。




(カウンセリング内容)

・お話されたいことを自由に話せます
・言葉にすることで、気持ちが落ち着きます
・整理をして、これからのことを考えます
・短期的な悩みの解決策を決めます
・必要なら、長期的な悩みの解決策も決めます

 (ご予約受付時間:10時〜21時)

















ありがとうございます😊
































 たいていの親は赤ん坊とごく自然に接するので、どのように同調が起こるか、ほとんど自覚していない。だが、友人の愛着研究者エドワード・トロニックに招かれた私は、その過程をもっとつぶさに観察する機会を得た。ハーヴァード大学の人間発達研究所の、こちらからだけ向こう側が見える観察用のマジックミラーを通して、私はある母親が生後二か月の息子と遊んでいるのを眺めた。男の子は、母親と向き合うかたちで乳児用シートに座っていた。
 二人は互いに甘い声を掛け合い、楽しんでいたが、母親が身を屈めて鼻を押しつけると、興奮した赤ん坊は母親の髪の毛をぐいっと引っ張った。不意を衝かれた母親は、痛みで悲鳴を上げ、赤ん坊の手を押しのけながら、怒りで顔を歪めた。赤ん坊はただちに手を放し、二人は互いから身を引いた。どちらにとっても、喜びのもとが苦悩のもとに変わった。赤ん坊は見るからにおびえ、両手を挙げて顔にあてがい、怒った母親を視界から遮断した。それを見た母親は赤ん坊が動揺しているのに気づき、彼に注意を向け直し、落ち着かせるような声を出して丸く収めようとした。赤ん坊は相変わらず目を覆っていたが、まもなく、つながりへの渇望が再び頭をもたげた。そして、手の間から覗き見て、もう大丈夫かどうか確認していると、母親は心配そうな顔で赤ん坊に向かって手を伸ばした。彼女がお腹をくすぐり始めると、赤ん坊は両腕を下げ、急に嬉しそうにくすくす笑い出し、二人はまた打ち解け合った。赤ん坊と母親は、再び同調したのだ。喜び、不和、関係修復、新たな喜びというこの一連の変化は、全部で一二秒もかからなかった。
(中略)
 安定した愛着が能力の育成と組み合わさると、内的な統制の所在(行動や評価の原因を自己の能力や努力に帰すること)につながる。これは一生を通じて、外界に健全なかたちで対処するためのカギを握る要因だ7。安定した愛着を持っている子供は、何が自分の気分を良くさせるかを学ぶ。何が自分(と他者)の気分を悪くさせるかを発見する。主体感覚を獲得し、自分の行動が自分の感じ方や他者の反応の仕方を変えうることを理解する。安定した愛着を持つ子供は、自分が制御できる状況と、助けを必要とする状況の違いを学ぶ。困難な状況に直面したとき、自分が能動的役割を果たせることを学ぶ。それとは対照的に、虐待やネグレクトを経験した子供は、恐怖を覚えようが、懇願しようが、泣こうが、養育者には認識されないことを学ぶ。彼らが何をしようと、何を言おうと、殴打は止まないし、注意を向けられることも、救いの手が差し伸べられることもない。彼らは事実上、のちの人生で難題に直面したとき、諦めるように条件づけられているわけだ。
(中略)
 私はこれまでずっと、どうして親が子供を虐待するようになるのか不思議に思ってきた。なにしろ、健全な子供を育てるというのは、人間の目的意識や存在意義のまさに核心にあるからだ。親は何に駆り立てられて、わが子を故意に傷つけたり、ネグレクトしたりしうるのか。ライオンズ=ルースの研究は、一つの答えを与えてくれた。彼女の録画を観ていてわかったのだが、子供たちはしだいに慰めようがなくなったり、むっつりしたり、同調しそこなった母親に対して反抗的になったりしていった。一方、母親たちのほうも、子供との相互作用の中で徐々に苛立ち、打ちのめされ、無力になっていった。いったん母親が子供のことを、同調した関係におけるパートナーとしてではなく、癪に障る、腹立たしい、心の通わない他者として見るようになると、その後の虐待の舞台が整う。
 一八年ほどあと、これらの子供たちが二〇歳前後のとき、ライオンズ=ルースは追跡調査を行い、彼らがどうしているかを調べた。生後一年半のときに母親との情動的意思疎通のパターンが深刻なまでに混乱していた子供は、自己感覚が不安定で、自己破壊的な衝動(浪費、性的逸脱、薬物濫用、無謀運転、過食など)を持ち、不適切で強烈な怒りを抱き、頻繁な自殺関連行動を見せる若者になっていた。
 ライオンズ=ルースと共同研究者たちは、敵対的な、あるいは押しつけがましい母親の行動は、子供が精神的に不安定な大人に成長することを予想するうえで、最も強力な手掛かりになると考えていたが、結果は違っていた。親が情動的に自分の殻に閉じこもることが、最も深刻で長期にわたる影響をもたらしたのだ。情動的な隔たりと役割の逆転(母親が子供に面倒を見てもらうことを期待するような場合)は、子供が若者になったときに、自分や他者に対してとる攻撃的な行動と、明確に結びついていた。

ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」p184-187、p198-199より抜粋
7.M.Main,"Overview of the Fieid of Attachment,"Journal of Consulting and Clinical Psychology 64,no.2(1996):237-43.







トラウマの束縛
 何かの縁で人と人とがつながってゆくのは素晴らしいことです。仲睦まじい夫婦、親子の絆、友達同士の縁など強くて心温まる人のつながりは有り難いものです。しかし人間同士の強いつながりのなかには残念ながら有害なものもあります。飴と鞭を繰り返すことで形作られる虐待的な人間関係は非常に強固なトラウマの要因となります。トラウマの束縛とは、怖れ、興奮、危機感、スリル、セックスに伴う強い情動などをベースにして築き上げられた病んだ人間関係です。極端な状況下で強烈な感情を誰かと一緒に味わうと、人と人は強く結びつきます。それは良い場合もありますが、トラウマの束縛の場合は、そのきわめて悪い例であると言えます。
 トラウマの束縛の多くは、子ども時代に親から虐待を受けたり、精神的または身体的な見捨てられ体験をしたりすることから生じます。そして、その子どもが大人になると今度は恋愛相手や自分の子どもに対して新たなトラウマの束縛を自ら再生産してゆくのです。本人のトラウマ自体を癒さなければこの世代間連鎖は止まりません。

クラウディア・ブラック「あなたの苦しみを誰も知らない トラウマと依存症からのリカバリーガイド」p129より抜粋




「[私は]人生を幸せで快くしうるさまざまなものに囲まれているというのに、それでも私には喜んだり感じたりする能力が欠けています。・・・・・・私の感覚のそれぞれ、私の本来の自己の各部が、いわば私から切り離され、もはやどのような感情も抱かせてくれないかのようです。この状態は、自分の頭の前部に感じる空白に拠っているようであり、自分の体の全表面における感覚能力の鈍麻のせいのように思えます。なぜなら、私は自分が触れるものに、実際にはけっして手が届いていないように思えるからです。これはみな、些細なことなのでしょうが、恐ろしい結果を伴うので、そうも言えません。他のどのような感情も、どんな種類の楽しみも、私がそれを必要とし、望んでいるにもかかわらず不可能であり、人生を計り知れぬ拷問に変えてしまうという結果です」

ウィリアム・ジェイムズ『情動とは何か』1884年 W.James,"What Is an Emotion?"Mind 9:188-205.
ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」p150より抜粋




 人格の統合性とは死に直面しても人生の価値を肯定しうる能力であり、自己の人生の限界の有限性と人間の条件の悲劇的限界と和解する能力であり、絶望なくして現実がそういうものであることを受容する能力である。

人格の統合性は対人関係における信頼をそもそもその上につくった土台であるが、いったん砕かれた信頼をとりもどす土台でもある。

ケア提供的な関係における人格の統合性と信頼との緊密な相互関係は、世代から世代へと引き継がれる鎖の輪のつながりを完全なものにし、外傷が破壊する人間のコミュニティ感覚を再生させるものである。

ジュディス・L・ハーマン 「心的外傷と回復」p240より抜粋