No. 1,258 こころのメモ1007(ACアダルトチルドレン札幌
246/365 家族の孤独とぶつかる
家族の孤独とぶつかる、って
なんだか不思議な表現ですが(笑)
家族という枠組みプラス
彼らが独自にもつ孤独
対
自分がもつ孤独が
ぶつかるということ。
家族成員がひとり〜複数であれば
各々の孤独があるという感じ
"孤独"を感じるに至るまでの
本人のストーリーがあって、
様々な体験から生まれる感情があり
その要約が
孤独であるとします。
〈参考〉
孤独を感じるまで経験することや感情
↓
.叶えられなかった失望
.期待を裏切られた怒り
.放置される悲しみ
.ありえない行動による恥ずかしさ
.しなかった・できなかった後悔
.危機をあとから知る戦慄
.わかってもらえない空虚さ
.圧倒される恐怖
.価値観を破壊された殺意
.明日も苦しみが続く絶望
.見捨てられ・放置・遺棄
.助けは来ない悲観
.予測不可能な不安
.自分ではいられなくなる焦り
.喜びや嬉しさを味わったことがない破局
.大切な人や物を失う喪失
.突然起こる不可避の衝撃・驚愕
.性の目覚め
.性欲がコントロールできない
.劣等意識
.平凡さに気づく落胆
.抑えられない衝動
.抗えない自分という存在の弱さ
.迫る死のイメージ
.やることがない退屈
.必要とされないわびしさ
.困窮する苦しみ
.一方的な批判と否定に暴露される
.健忘に気づく残念さ
.無能さに打ちひしがれる
.努力が報われない
.過干渉による主体性のなさ
.虐待と気づかないほどの異常な日常
.粗末に扱われたことへの復讐
.大事にしている物事や価値観を奪われた無念
.嘘をつかれて不信
.だまされる悔しさ
.笑い合ったことのないやるせなさ
.無関心には無関心で応えるしかなかった
.好奇心を持ち続ける大切さを教育されなかったことで、自分の言動に制限がかかり、矮小化してしまった情けなさ
.おもちゃ・モノとして扱われた
.雑な扱いを受けるさみしさ
.誰も答えてくれないから黙るしかなかった
.夢や希望といった無形の人生を彩るエッセンスを搾取された被害者意識
.結果だけで人間の価値を決める暴力
.バカにされ続けた混乱
.自分を健やかに育ててもらえなかった悲哀
.「愛してるよ」と言わせてもらえない憎しみ
.残虐行為による恨み
.因果応報〜世代間連鎖
.自信喪失
.手当てのない孤立無援感
.喜びも悲しみも分かち合ってくれなかった
など
↓↓
これらの経験や感情を味わったことがあり
未処理・未消化なら
孤独感が根強く残り続けるのかもしれません。
↓↓↓
仮に、
自分の家族も
自分とは違う
孤独を抱えているとしたら
孤独と孤独が
ぶつかり合うような
コミュニケーションになるかもしれない。
「なんでわかってくれないんだ!!?」
…といった、
お互いが抱える
孤独の苦しみを
わかってもらいたい同士の
衝突になるかもしれないです。
〈参考ヒント〉
孤独って
短期間でなるものじゃなくて
「自分がこうしたい!」などの
思いを
相手に
わかってもらえなかったり
気づいてもらえなかったり
受け止めてもらえなかったりして
自分が
そのショックを
どんな風に処理したり消化したりするかで
変わってくるかと思われる。
まとめ
自分がもつ孤独は、何と言っていますか?
担当心理カウンセラー
村上なおと
カウンセリングサロン Anela
札幌市中央区北3条西18丁目2-11 ブランノワールW18.exe 301号
・地下鉄東西線の西18丁目駅より徒歩8分
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☆
たいていの親は赤ん坊とごく自然に接するので、どのように同調が起こるか、ほとんど自覚していない。だが、友人の愛着研究者エドワード・トロニックに招かれた私は、その過程をもっとつぶさに観察する機会を得た。ハーヴァード大学の人間発達研究所の、こちらからだけ向こう側が見える観察用のマジックミラーを通して、私はある母親が生後二か月の息子と遊んでいるのを眺めた。男の子は、母親と向き合うかたちで乳児用シートに座っていた。
二人は互いに甘い声を掛け合い、楽しんでいたが、母親が身を屈めて鼻を押しつけると、興奮した赤ん坊は母親の髪の毛をぐいっと引っ張った。不意を衝かれた母親は、痛みで悲鳴を上げ、赤ん坊の手を押しのけながら、怒りで顔を歪めた。赤ん坊はただちに手を放し、二人は互いから身を引いた。どちらにとっても、喜びのもとが苦悩のもとに変わった。赤ん坊は見るからにおびえ、両手を挙げて顔にあてがい、怒った母親を視界から遮断した。それを見た母親は赤ん坊が動揺しているのに気づき、彼に注意を向け直し、落ち着かせるような声を出して丸く収めようとした。赤ん坊は相変わらず目を覆っていたが、まもなく、つながりへの渇望が再び頭をもたげた。そして、手の間から覗き見て、もう大丈夫かどうか確認していると、母親は心配そうな顔で赤ん坊に向かって手を伸ばした。彼女がお腹をくすぐり始めると、赤ん坊は両腕を下げ、急に嬉しそうにくすくす笑い出し、二人はまた打ち解け合った。赤ん坊と母親は、再び同調したのだ。喜び、不和、関係修復、新たな喜びというこの一連の変化は、全部で一二秒もかからなかった。
(中略)
安定した愛着が能力の育成と組み合わさると、内的な統制の所在(行動や評価の原因を自己の能力や努力に帰すること)につながる。これは一生を通じて、外界に健全なかたちで対処するためのカギを握る要因だ7。安定した愛着を持っている子供は、何が自分の気分を良くさせるかを学ぶ。何が自分(と他者)の気分を悪くさせるかを発見する。主体感覚を獲得し、自分の行動が自分の感じ方や他者の反応の仕方を変えうることを理解する。安定した愛着を持つ子供は、自分が制御できる状況と、助けを必要とする状況の違いを学ぶ。困難な状況に直面したとき、自分が能動的役割を果たせることを学ぶ。それとは対照的に、虐待やネグレクトを経験した子供は、恐怖を覚えようが、懇願しようが、泣こうが、養育者には認識されないことを学ぶ。彼らが何をしようと、何を言おうと、殴打は止まないし、注意を向けられることも、救いの手が差し伸べられることもない。彼らは事実上、のちの人生で難題に直面したとき、諦めるように条件づけられているわけだ。
(中略)
私はこれまでずっと、どうして親が子供を虐待するようになるのか不思議に思ってきた。なにしろ、健全な子供を育てるというのは、人間の目的意識や存在意義のまさに核心にあるからだ。親は何に駆り立てられて、わが子を故意に傷つけたり、ネグレクトしたりしうるのか。ライオンズ=ルースの研究は、一つの答えを与えてくれた。彼女の録画を観ていてわかったのだが、子供たちはしだいに慰めようがなくなったり、むっつりしたり、同調しそこなった母親に対して反抗的になったりしていった。一方、母親たちのほうも、子供との相互作用の中で徐々に苛立ち、打ちのめされ、無力になっていった。いったん母親が子供のことを、同調した関係におけるパートナーとしてではなく、癪に障る、腹立たしい、心の通わない他者として見るようになると、その後の虐待の舞台が整う。
一八年ほどあと、これらの子供たちが二〇歳前後のとき、ライオンズ=ルースは追跡調査を行い、彼らがどうしているかを調べた。生後一年半のときに母親との情動的意思疎通のパターンが深刻なまでに混乱していた子供は、自己感覚が不安定で、自己破壊的な衝動(浪費、性的逸脱、薬物濫用、無謀運転、過食など)を持ち、不適切で強烈な怒りを抱き、頻繁な自殺関連行動を見せる若者になっていた。
ライオンズ=ルースと共同研究者たちは、敵対的な、あるいは押しつけがましい母親の行動は、子供が精神的に不安定な大人に成長することを予想するうえで、最も強力な手掛かりになると考えていたが、結果は違っていた。親が情動的に自分の殻に閉じこもることが、最も深刻で長期にわたる影響をもたらしたのだ。情動的な隔たりと役割の逆転(母親が子供に面倒を見てもらうことを期待するような場合)は、子供が若者になったときに、自分や他者に対してとる攻撃的な行動と、明確に結びついていた。
ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」p184-187、p198-199より抜粋
7.M.Main,"Overview of the Fieid of Attachment,"Journal of Consulting and Clinical Psychology 64,no.2(1996):237-43.
・
トラウマの束縛
何かの縁で人と人とがつながってゆくのは素晴らしいことです。仲睦まじい夫婦、親子の絆、友達同士の縁など強くて心温まる人のつながりは有り難いものです。しかし人間同士の強いつながりのなかには残念ながら有害なものもあります。飴と鞭を繰り返すことで形作られる虐待的な人間関係は非常に強固なトラウマの要因となります。トラウマの束縛とは、怖れ、興奮、危機感、スリル、セックスに伴う強い情動などをベースにして築き上げられた病んだ人間関係です。極端な状況下で強烈な感情を誰かと一緒に味わうと、人と人は強く結びつきます。それは良い場合もありますが、トラウマの束縛の場合は、そのきわめて悪い例であると言えます。
トラウマの束縛の多くは、子ども時代に親から虐待を受けたり、精神的または身体的な見捨てられ体験をしたりすることから生じます。そして、その子どもが大人になると今度は恋愛相手や自分の子どもに対して新たなトラウマの束縛を自ら再生産してゆくのです。本人のトラウマ自体を癒さなければこの世代間連鎖は止まりません。
クラウディア・ブラック「あなたの苦しみを誰も知らない トラウマと依存症からのリカバリーガイド」p129より抜粋
・
「[私は]人生を幸せで快くしうるさまざまなものに囲まれているというのに、それでも私には喜んだり感じたりする能力が欠けています。・・・・・・私の感覚のそれぞれ、私の本来の自己の各部が、いわば私から切り離され、もはやどのような感情も抱かせてくれないかのようです。この状態は、自分の頭の前部に感じる空白に拠っているようであり、自分の体の全表面における感覚能力の鈍麻のせいのように思えます。なぜなら、私は自分が触れるものに、実際にはけっして手が届いていないように思えるからです。これはみな、些細なことなのでしょうが、恐ろしい結果を伴うので、そうも言えません。他のどのような感情も、どんな種類の楽しみも、私がそれを必要とし、望んでいるにもかかわらず不可能であり、人生を計り知れぬ拷問に変えてしまうという結果です」
ウィリアム・ジェイムズ『情動とは何か』1884年 W.James,"What Is an Emotion?"Mind 9:188-205.
ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」p150より抜粋
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人格の統合性とは死に直面しても人生の価値を肯定しうる能力であり、自己の人生の限界の有限性と人間の条件の悲劇的限界と和解する能力であり、絶望なくして現実がそういうものであることを受容する能力である。
人格の統合性は対人関係における信頼をそもそもその上につくった土台であるが、いったん砕かれた信頼をとりもどす土台でもある。
ケア提供的な関係における人格の統合性と信頼との緊密な相互関係は、世代から世代へと引き継がれる鎖の輪のつながりを完全なものにし、外傷が破壊する人間のコミュニティ感覚を再生させるものである。
ジュディス・L・ハーマン 「心的外傷と回復」p240より抜粋