おそらく多くの方々がそんなことは意識せずに辞書を使ってきたことだろう。
私自身、これまで生きてきた中で辞書編纂の大変さを想像したことはなかったが、この本を読んでいかに地道で大変な作業であるかわかった。
掲載する言葉や用例の選定、説明のレベル感と言葉同士の整合性。
薄いが裏写りせずに、また指に吸いつくようにめくれるが、お互いがくっつき複数のページがめくれることのない「ぬめり感」のある紙の開発。
辞書を使う時には取られることが多いが、辞書の品格となる箱や帯を含めた装丁全般。
地道で細かな、そして膨大な時間と労力を要する作業によって辞書は作られる。
作中に表現されているように、辞書編纂とは言葉にかける静かでも熱く燃え続ける情熱がなければできない仕事である。
そんな辞書編纂の職場である玄武書房の辞書編集部を舞台に、営業では変人扱いされていたが言葉を捉える能力に秀でた主人公・馬締(まじめ)光也と彼を取り巻く個性豊かな人々の絆を中心に、辞書「大渡海」が世に出るまでの15年という歳月を描いた作品。
以前ご紹介した「神去りなあなあ日常」の時にも感じた「温かで素朴、真摯に生きている人たちの触れ合い」が著者の作品の共通点なのかもしれない。
http://ameblo.jp/acquross/entry-10460098366.html
登場人物たちをいつの間にか応援しているような気持ちで読んでいる自分に気づく。
いたって私見であるが、この作品では、直木賞作家である著者がその文章力という作家としての実力は勿論のこと、自身の言葉に対する想い・情熱を辞書の編纂作業にかける主人公たちの様子を通じて表現した作品とも感じた。
イチロー選手が背面キャッチをすることで観客を楽しませながらも、プロフェッショナルとしての技術や身体能力の高さを魅せるように、
石川遼選手が、自身のテレビ番組でゴルフへの思いや楽しんでいる姿を見せるように、
三浦しをんの文章力の高さと言葉に対する思い入れが伝わってくる。
特に言葉に対する思い入れは作品全体に流れる言葉に対する拘りの他に、(主人公の馬締が辞書編纂に取り組みだしてからおよそ13年後に辞書編集部に異動してきた後輩)岸辺の気持ちを借りてこう表現されている。
「なにかを生みだすためには、言葉がいる。岸辺はふと、はるか昔に地球上を覆っていたという、生命が誕生する前の海を想像した。混沌とし、ただ蠢くばかりだった濃厚な液体を。ひとのなかにも、同じような海がある。そこに言葉という落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も、心も。言葉によって象られ、昏い海から浮かび上がってくる。」
言葉という落雷
さらっとすごい言葉だなあ・・と感じる。
昔、中学生の時に聴いた薬師丸ひろ子の探偵物語という歌に
「波の頁(ページ)をめくる 時の見えない指先」
という歌詞があって、波を本の頁がめくられるようだと感じ、それをめくっているのが「時の見えない指先」と表現した松本隆ってすげえ!と感じたのに似ている。
話が横道にそれちまった。
失礼。。
あと、作品の中で辞書の装丁にこだわって作る場面が出てくるが、読みながら気づくのが・・この小説の装丁は作品の中で出てくる辞書「大渡海」の装丁そのものなのである。
「夜の海のような濃い藍色」の表紙に、玄武書房の「玄」の文字の入った帆に風はらんだ舟が海原を進んでいる。
「帯は月光のごとき淡いクリーム色」で裏表紙には三日月のマーク。
これは馬締の妻で料理人の香具矢が働く「月の裏」ともかけているのかもしれない。
そういう意味でも、著者が言葉への思いをこめて、細かなところまで考え抜いた「作品」がこの「舟を編む」なのだ。
出会った仕事に情熱を傾けるのって悪くないな。
ほのぼのと、それでいて人間の力強さを感じるな。
そんな作品でした。
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