帝王切開当日~手術後 | シンガポールで不妊治療&妊娠、育児の記録

シンガポールで不妊治療&妊娠、育児の記録

2019年12月からシンガポールで不妊治療を始め、採卵2回、5回目の胚盤胞移植を経て2021年に妊娠することができました。

2022年7月に無事出産し、現在は慣れない育児に追われています。

私の経験が誰かのためになればと思い、ブログに記録を残すことにしました。


全ての処置が終わってから回復室に運ばれ、そこで着圧ソックスを履かせてもらって30分ほど休みました。
この時の着圧ソックスはかなりきつかった(後でみたら圧で血が出ていました)ものの、この時も痛みは全くなくただ興奮状態でした。

病室に運ばれ少ししてから、両足に血栓防止のための電動フットポンプを付けられました。
一定時間毎に空気が送られ、ふくらはぎがマッサージされるようなイメージのものです。

これは二日間くらいはつけっぱなしでした。空気を送るシューシューという音が常に部屋に響いていました。

 

血圧や点滴のチェックを全て終え、看護師さんが部屋を出た頃は手術から二時間強経っていました。

その後は家族や友人に出産報告のメッセージを携帯から送り続けていました。

手術前は出産後はエネルギーがなくて寝ることしかできないと思っていたのですが、

極度の興奮状態と麻酔で痛みは全く感じませんでした。

 

 

しばらくして看護師さんが赤ちゃんを部屋に連れてきてくれました。

キャスターの上に置かれた透明なベビーコットに寝ており、キャスターには紙おむつ、おしりふき、ベビーバスなど一式がセットされていました。

とても小さくて、か弱いながらも一生懸命生きようとしている様子は、赤ちゃんと言うよりも一つの命がそこにあるという感覚になりました。

ただ可愛いというだけではなく、この命を守っていかなければと使命感と責任を感じました。

 

 

しばらくして、看護師さんから粉ミルク(こちらではフォーミュラと呼んでいます)をあげても良いか、もしあげる場合にはどのメーカーがよいのかと聞かれました。

病院にある粉ミルクのメーカーを全て教えてくれたものの、全く知識がないためすぐ決めることはできませんでした。

お任せしたいとも思ったのですが、病院が決めることはできないと言われました。

母乳育児を強く推奨している病院のため、粉ミルクにとても敏感になっているように感じました。

ネットで調べたり、友人に聞いたりして何とかメーカーを決めることができましたが、

初めてのこと&出産直後の頭が働かない中で決めるのはなかなか難しかったです。

 

 

実は粉ミルクについて聞かれた時点では、母乳について頭が回りませんでした。

そもそも出るかどうかも分からず、変な話ですがどうやって出すのかも全く分かりませんでした。

母乳育児を勧めている病院だけあって、ラクテーションコンサルタントの方が二日目に来てくださりましたが、

今思えば、粉ミルクを勧められた時に母乳を希望しますと言えば、その時点でサポートを受けられたのかなと思います。


 

初日は何回か赤ちゃんを部屋に連れてきてくれたのですが、処置が必要とのことで夜は一緒に過ごせませんでした。

ですが、赤ちゃんのお世話をどうした良いかまだ分からなかったため、結果的に体を休めることができて良かったと思います。

 

 

赤ちゃんが保育室に戻り、夜9時頃にようやく初めて水を飲むことができました。

手術の日は朝8時から絶飲食だったため、喉の乾燥がとても辛かったです。

体調の変化を考慮して、実際は飲むと言っても、時間をかけて少しづつすするようにと指示がありました。

水を飲んでも異常が見られなかったため、その後はミロが出されました。

やはりシンガポールは折に触れてミロがでてきます。本当に国民的飲み物ですね。

 

 

水分補給が終わった後に寝ようとしたのですが、まだまだ興奮状態が続いており、目はつぶっていても頭が極度に冴えてほとんど眠れませんでした。きっとホルモンの急激な変化によるものだったのだろうと思います。

また、一時間に一度は看護師さんによる処置(点滴の交換、血栓予防の注射、血圧測定など)があり、結局はうとうとしたまま朝を迎えました。