奇跡のコースでは、投影が知覚を作ると言われています。
自分が目にする世界は、自分が産み出したもので、
内面が外に描き出されていると言います。
頭では理解できるのですが、
この言葉が時にはすごく
モヤーーーとか、
いやーーな気持ちを湧き起こさせるんですよね。
見ているものはあなたの責任だ!
あなたが不幸なのはあなたの責任だ!
と言われているように感じるんですよね。
「原因は自分の心にある」
この言葉が、内側の強さを与えてくれるように感じることもあれば、
ものすごく責められているように感じて、
更にどよーーんとしてしまうことがありました。
なぜかというと、
自分の心が原因である と聞くと、
↓
こんなものを作り上げた自分はなんてどうしようもないとか、
なんてことをしているんだとか、
同時に罪悪感が湧き上がるからなんです。
苦しい時に、更に苦しく感じられてくるんですよね。
もうね、罪悪感がベースにあるので、
それと一体になっている状態では、
何を聞いても罪悪感に触れちゃうんです。
しつこく罪悪感がくっついてきます。
そんな時は、聖霊助けてーーー!
それしかできないし、それだけが必要だと思います。
コースをやり始めると、
動揺したり、不快感があること自体が
何か間違っている、と気づけるようになるので、
即、聖霊に助けを求めます。
そうして落ち着いたところから見ると、
動揺している時には見えなかったことが
見えてくるように思います。
ああ、単に自分で自分を攻撃していたんだな・・とか。
エゴは、コースの学びさえ使って攻撃してきますからね~。
(私も本当にこれには長らく引っかかっていました・・・今もあります)
エゴや罪悪感と一体になっているところから、
離れて見られるようになることが、まずは大事だなと~と思います。
それも求めれば、聖霊が助けてくれます
2ケ月位前、あることを赦した時も、意外なところから
無意識の信念に気づきました。
世間話的な会話の中で、思っていたことがふと出てきました。
「スピリチュアルなことをやっている男性って、な~んかヤダな。。」
これまではっきり意識されなかったけれども
うっすらそんな思いがあったことに気づきました。
もちろん、男性であるワプニック先生とかゲイリーさんは大好きなので、
そんなこと思っていたのか~と結構自分でもオドロキ。
そこで、聖霊の祭壇で、思っていることをどんどん正直に言ってみると、
でてきたのがコレ。
男なら、神に頼らずに自分でなんとかしろ!
男のくせに神に頼るなんて軟弱者!自立しろ!
ここまで出てくると、これは男性に投影していたけれど、
自分で自分に言っていることだとわかってきて、
笑えてきました。
だからこそ、聖霊に委ねきれずに、自分でなんとかしなきゃと
つい思ってしまうのだな~と。
そしてこの叫びは、神の子である自分への攻撃でもあるなと感じました。
そして、この間違いを即、聖霊に捧げて訂正してほしいと祈りました。
神に頼らず、自分でなんとかしなきゃならないなんて、
苦しすぎ、厳しすぎますからね。
もうこりごりです
そんな祈りを通勤中にしていたその日、
お客さんにDV男とその妻らしき女性が現れました。
電話口に出ているのは妻と思われる女性で、
やけにオドオドしていると思ったら、
背後でヤ〇ザみたいに怒鳴り散らして、
指示を出している男性の声が聞こえてきました。
罵るような言葉や、高圧的で恐怖を感じさせる言葉の暴力の数々・・。
絶対DVだ!と感じました。
さすがに、コワイ!と思って、聖霊に助けを求めました。
私たちの本当の姿を見せてください!
私の知覚を越えて、聖霊の見方で見せてほしいと。
だんだん落ち着いてきて、電話は終わったのですが、
被害者に見える奥さんの女性に対して心配が出てきて、
ところが翌日になって、また思い出されてきました。
私は雅子さんのお祈りのクラスを2月から受けていて、
その日届いたステップメールの内容がぴったりだったので、
その言葉を使って祈りました。
DV夫婦に対して、私は何もわからない。
何も判断などできない、聖霊助けてください。
この事で苦しむ全ての人のこころが癒されますように。
すると、泣きたいような気持ちになって、
本当に癒されたいですと、真剣な気持ちが湧いてきました。
そして彼らの中の神の子の光が見えてきました。
昨日の出来事はどうでもよくなって、愛だけがあるように見えてきました。
聖霊ありがとうございます~~
そして、もう一つ聖霊に尋ねました。
なぜ私はあんなに動揺したのですか?
私がこれで知るべきことがあるなら教えてください。
必要なら教えてもらえるし、なければ何もきません。
(これは以前ビジェイさんに教えてもらった方法です)
朝祈って仕事へ向かうと、また通勤中にひらめきがきました。
DV男は、私であり、私の愛を求める叫びだったということ。
「男なら、神に頼らずに自分でなんとかしろ!」
そんなエゴの言葉に支配され、
人を支配したり、コントロールしたり力を得ようとしていたのがDV男。
でもその奥にあるのは、親(神)に捨てられたと思い込んで、
自分でなにもかもやらねばならないという絶望感や苦しみ。
暴力的なDV夫は、本当はただただ愛を求めて泣き叫んでいる私の姿だと見えてきました。
あんなに怒鳴り散らすほど、そこまで愛を強く求めているんだ、
ということがストーーンと入ってきたのです。
DV男は隠蔽したはずの私、もしくは過去のいつかどこかの私だと思えて、
心底、真剣に、もう絶対責めたくない!
心から赦したい。赦されて欲しい。
本当に、本当に、癒されますようにーー!!!!!!
と思いました。
愛を求めて泣き叫ぶ自分が癒されて欲しい!という一心で祈りました。
すると・・・、DV男もその妻もどちらも私、と感じられて、
愛おしさしか感じられなくなり、
ひとつである私たちの光と愛だけしか見えなくなりました。
それ以降は、その記憶が思い出されても、
私たちの光だけが見えています
この体験は、私の無意識の中の
「神に頼るなんて罪だ!」という信念を
DV男性が投影としてはっきり見せてくれました。
だからこそ本当にもうそれはいらない、と
聖霊に委ねることができたのだなと思います。
今年に入って、もっと聖霊に全面的に委ねていきたい
という気持が強くなり、そう祈っていました。
だからこそのお掃除だったのかな~
これに関わってくれた全ての兄弟に心から感謝です~~