夫婦共にフルで働きつつ
子供を複数育てることがどれだけたいへんか

夫が十分な給料を持って帰ってきて
安全に食べていけることが保障されている状況でなければ
子供を産むことを躊躇うのは当たり前だ

税金を取りたいからGDPをあげたいから女子全員フルで働かせようとしているのはいい加減にしてほしい
どんどん子供を育てる人がいなくなり
日本は縮小していくと思う

4年制大学を出た女子が
キャリアを築いた後もしくは築きながら結婚し子供を産むことがどれだけ心身ともに大変か
男子も会社に行って
もしくは商売をして
たくさん稼ぐだけではだめで
稼ぐ時間を減らして家事育児をしなければならない
そうなると収入は減る

女子も働かなければならなくなる
少子化になる
当たり前だ

自分の子供がほしい人は実はとても多い
産みたい人は多いのだ
産みたくない人や産みたいのに何らかの事情で叶わないひとのことへの配慮は大切であるが
子供を持ちたい人が安心安全に産み育てる環境が夫婦で作れないかぎり
無理である
産んでしまえぼなんとかなるとおもいがちだが
お金 健康 困った時の人手
がないと大変なのが事実だ
じいじばあばの応援があれば心強いが
それがないとなると非常にたいへんだ

社会全体で子育てをというが
昔のように近所付き合いがあって隣の人や近所の友がちょいと子供を預かってくれたり用事を代わりに済ましてくれることも少なくなってきている

少子化をとめるには
産む女子が
安心安全に産めると判断できるようになることが大切だ

フルで働きながら保育所さえあれば預けて働けるというのは少し違うと思う

そのような普通の状況にはなかなかならない

いつも子供を見てられる親がそばにいないというのはどれだけ子供にとって難しいことか

働きたくても働けない状況になるのが子育てだ
実際にやってみたらわかると思う
専業主婦で家にいてても
子育ては時間がない
そして追い詰められる
専業主婦でさえかかえこむのにフルお勤めお母さんは時間が足らないし大変である
発熱したりすると状況は一変するしその度にじいじばあばを呼び出すのもきがひける

やはり学校に行くまでは自分で育てようと思う人は多い
厚生年金保険がかけられるところに再就職できる可能性は低いし
フルが無理なのでパートとなる
それは時間が必要だからだ

だから自分の子供を育ててくれている配偶者の健康保険や年金保険を出すのは当たり前なのだ
なのに第三号をやめたり女子の方が手取りが低かったり年金が少なかったり まして頼みの綱の遺族年金を少なくしたりするのは少子化どころか全ての女子の不幸の始まりだ
生きていけなくなる
  
男女共に職業につき子供も複数育てるのは今はよっぽどの幸運と能力と健康と財力と家族に恵まれないと難しいだろう

また次に書くが
お金と時間があっても
子育てはうまくいかないこともある
精神的にきついのだ

かわいい赤ちゃんが街に溢れてほしいので本当にどうすればよいか考えている

政治経済では解決しない少子化は
だが政策や経済状態にはからむ
まだまだどうしようもなく
個人個人で状況を打破するしかない




毒親という言葉はいつから使われているのだろうか

我々の小さい頃はなかった

子どもの人生を束縛するような親のことをさすようだが

これって普通の親ではないだろうか

束縛ではなく保護であったりアドバイスだったり

とりようなのでは

 

例えば子どもにどんな友だちがいるかとか

どんなクラブ活動にはいってなにをしてるかとか

就職について結婚についてとか心配したり

アドバイスや相談に乗ったり時には注意をしたり

やりようによるというか

子どもの感じ方によるがすべて毒親になり得る

 

それならば家制度のあった日本の時代は

皆毒親だ

家を継ぐのは長男

お見合いで結婚相手をきめる

その他とにかく親が絡むと自分の意志ではないとされるなら

それを自由ではないとするなら

すべて毒親だ

 

親が子によかれと思ってやることも

すべて毒親だ

なんなら親の都合で子どもとして生まれてくれるのも

自由とはいえまい

それこそこどもから産んでくれとたのまれたわけではない

 

そんなことをいいだしたら

すべての親が大なり小なり毒親だ

親がなにかに反対するのは危険があったり 子どもにあまりよくないのではないのかと思うときである

感情だけで反対する人間もいるかもしれないが

愛情を持って育てた親なら子どもの行く末を見守る

子どもの幸せを願っているはずだから

子どもにも通じるはずだ

 

とにかく毒親という表現は

愛情もない保護もしない教育もしない

子どもを酷使する 教育上よくない世界をみせるなど

どうしようもない人間の親に

悲しい思いをした子どもが使うのはしかたがないが

 

普通に子育てして少し子どもに制約や過干渉になるような時代があっただけで自分の親を毛嫌いするのはちがうのではないか

親は煙たい者である

それはいつの時代も

それでもお互いに尊重し合いいきていくものなのでは

 

ひとりの人間を育てるのはとても難しい

大人になろうが子は子である

毒子というのはいわれないのもおかしい

 

毒親も毒子も悲しい呼び名だ

なぜ決めつけるのであろうか

親子は同じ時代を歩む仲間だ

 

なんとかこういう感情にならぬように親を見てほしい

 

親に感謝する子どももすくなくなってきたのだろう

人生長くなり

親と過ごす時間も増え

40 50になれば親孝行したい頃に親はなしだったが

いまや60でも70でも親も健在である

親子ともに介護保険のてきようということもおこる

 

自分の人生手一杯で親のことも無理

子どもももてないので少子化

 

どうしてこんな寂しいよのなかになってしまったのか

子育ても介護も家事も一切を女性に追わせた結果

それをしない世の中になり

だれも親も子もみれなくなるのかもしれない

いくら税金で制度が整ってもそううまくはいかないであろう

かも

普通にお父さんお母さんに感謝し甘え助けてもらい

自分の子を自分で愛情豊かに育てられる社会であってほしい

 

 

 

子ども夫婦と別居になってお正月も変わってきた

長男夫婦が親と同居していた頃は

それはそれは長男の嫁は大変だったと思う

姑舅の世話 子どもの世話 家事 親戚ごと

お正月は嫁いだ娘達夫婦と子達が帰省するのでとくにたいへんだったであろう

年末から準備に大わらわだ

 

今はどうだろう

男性女性ともに自分の実家相手の実家に顔を出すことがおおいのだろうか

近くに住んでいる場合は挨拶して食事を昼か夜一度一緒にぐらいでいいが 遠くに住んでいるときは宿泊を伴うので

大変である

昔は正月に帰省するのは女側だけだ

次男以下の男側も帰省はするが少し特殊だろう

男側は同居なので帰省の必要はない

次男でも近くに住んでいたりするケースもおおいであろう

 

つまり帰省先には若いお嫁さんがいる

おばあちゃんはそこまでいそがしくはない

ところが今は息子夫婦も娘夫婦も帰省するし別居なので

誰もいない

おばあちゃんはとてもいそがしい

役に立つおじいちゃんがいればよいが

 

やってみたらわかるとおもうが

2.3日でも三家族で子どももいるとすると

10人ぐらいのすべての食事と洗濯その他用事をすることになる

娘や息子の配偶者達はかってしったるというわけにもいかず

お客さん扱いとなる

10×3×3 は90なので90食ぐらい必要である

食べに行ったりいろいろしてもそれでも何らかの形で90食の用意がいる

気がおかしくなりそうだ

 

現代のおばあちゃんというかお母さんは子どもが帰省することになると宿泊を伴うとふらふらだろう

金銭的にも肉体的煮も感情的にも

誰も相手の実家に宿泊することを好むひともいないだろう

でも来るというならやらねばならぬ

 

みんながプライベートを守れるほどの巨大な家に住んでいるわけでもない

 

なんだか考えるだけで

誰得でもなくしんどい話である