結婚式にお呼ばれした独身の女性の第一礼装は

振袖である

着付け 時間 お着物の持ち運び ヘアセット

移動手段など

きて行くのは相当大変なので

最近はドレスなどの洋装が多いが

やはり華やかで本当に美しくて

その結婚式の格があがるし

両家のご両親はそこまでして振袖をきてくれた

友人には 本当に感謝するのが普通

もちろん本人たち花嫁花婿も感謝しかない

 

ところが異変がおきている

花嫁の了承なしに振袖をきると

花嫁が私が主役なのに目立とうとしているというので怒って音信不通になる場合があるらしい

 

そんなことがあっていいのだろうか

お祝いに相応しい格好をした人を何だと思っているのだろう

もし花嫁より目立とうとして振袖をきてくるそんな友人なら呼んだこと自体間違いだ

結婚式は2人のために 招待受けた側は

時間もお金も心もつかって その人のお祝いにいくのだ 失礼のないように 服装 ご祝儀もよくよく考えて

友人なら尚更だ

 

どんな服装できてくれても

まずは出席してくれたことにありがとうだ

まして第一礼装で来てくれた人に失礼極まりない

 

もしカジュアルな式で振袖を着ていかなくていいなら そう招待状に書いておくべきだし

出席してもらうのに服装まできてくるな!と指定するなんて常識はずれでしかない

 

両家の格を揃えるのは必要だと思う

 

でもそれより格の上の服装をしてきた人に

失礼な行為をとるのは主催者のすることではない

 

自分たちがそこまでの準備ができてないことを反省し礼をつくしてくれる人には感謝でしかないのだ

 

花嫁はシンプルなドレスでも誰よりも輝き 華やかで幸せなオーラを纏い美しいのが

結婚式だ 間違いなく主役なのだ

 

そんなこともわからず

出席してくれる人に配慮もなく

主役の座を奪われたと感じる女性なら

残念ながらよっぽど心を入れ替えないかぎり

うまくいかないであろう

 

後からわかるのだ

結婚式に来てくれる人が

親族であろうと友人であろうと

万障繰り合わせで必死できてくれてることを

 

花嫁さんたち

美しい衣装で価値が決まるのではない

 

その日を周りへの感謝で迎えることが

花嫁を輝かせるのだ

だから主役なのである

 

いい一日になることを心から願う

 

親族ほどややこしいものはない

 

子どもが生まれてきたときは本当に愛おしく

小さいうちは楽しいことも多い

おじいちゃんおばちゃんも元気でにぎやかである

 

だがそうそううまくはいかない

兄弟や叔父叔母など傍系とのつきあい

いとこやその妻夫などなど

 

直系だけでもそれなりたいへんだが

傍系もやはり絡むこともある

しっかりもののおばあちゃんでもいれば

すべてしきってうまくやれるがいなくなれば

終わりだ

血のつながらない姻族もいるので

またまた気を遣う

兄弟姉妹でも配偶者の関係でこじれてしまうこともある

悲しいかぎりだ

いとこ同士でも学歴の違いや性格の違いなど

仲良くみんなが和気藹々とはいかない

うわべだけだ

あーつかれる

 

さらに甥姪の結婚で姻族が増える

親たちの高齢化 介護問題も絡む

 

うまくいく方法がなかなか見つからない

 

寝ぼけたふりしてヘラヘラしているのが

いいのかも

へたにしっかりが顔を出すと警戒もしくは嫉妬の対象にも

なりうる

自分の子どものみかわいい親族もいるのできをつけねばならぬ

 

愛情があるところには嫉妬や競争心もある

ドラマばりにややこしい

これが親族だな

 

 

毒親という言葉はいつから使われているのだろうか

我々の小さい頃はなかった

子どもの人生を束縛するような親のことをさすようだが

これって普通の親ではないだろうか

束縛ではなく保護であったりアドバイスだったり

とりようなのでは

 

例えば子どもにどんな友だちがいるかとか

どんなクラブ活動にはいってなにをしてるかとか

就職について結婚についてとか心配したり

アドバイスや相談に乗ったり時には注意をしたり

やりようによるというか

子どもの感じ方によるがすべて毒親になり得る

 

それならば家制度のあった日本の時代は

皆毒親だ

家を継ぐのは長男

お見合いで結婚相手をきめる

その他とにかく親が絡むと自分の意志ではないとされるなら

それを自由ではないとするなら

すべて毒親だ

 

親が子によかれと思ってやることも

すべて毒親だ

なんなら親の都合で子どもとして生まれてくれるのも

自由とはいえまい

それこそこどもから産んでくれとたのまれたわけではない

 

そんなことをいいだしたら

すべての親が大なり小なり毒親だ

親がなにかに反対するのは危険があったり 子どもにあまりよくないのではないのかと思うときである

感情だけで反対する人間もいるかもしれないが

愛情を持って育てた親なら子どもの行く末を見守る

子どもの幸せを願っているはずだから

子どもにも通じるはずだ

 

とにかく毒親という表現は

愛情もない保護もしない教育もしない

子どもを酷使する 教育上よくない世界をみせるなど

どうしようもない人間の親に

悲しい思いをした子どもが使うのはしかたがないが

 

普通に子育てして少し子どもに制約や過干渉になるような時代があっただけで自分の親を毛嫌いするのはちがうのではないか

親は煙たい者である

それはいつの時代も

それでもお互いに尊重し合いいきていくものなのでは

 

ひとりの人間を育てるのはとても難しい

大人になろうが子は子である

毒子というのはいわれないのもおかしい

 

毒親も毒子も悲しい呼び名だ

なぜ決めつけるのであろうか

親子は同じ時代を歩む仲間だ

 

なんとかこういう感情にならぬように親を見てほしい

 

親に感謝する子どももすくなくなってきたのだろう

人生長くなり

親と過ごす時間も増え

40 50になれば親孝行したい頃に親はなしだったが

いまや60でも70でも親も健在である

親子ともに介護保険のてきようということもおこる

 

自分の人生手一杯で親のことも無理

子どもももてないので少子化

 

どうしてこんな寂しいよのなかになってしまったのか

子育ても介護も家事も一切を女性に追わせた結果

それをしない世の中になり

だれも親も子もみれなくなるのかもしれない

いくら税金で制度が整ってもそううまくはいかないであろう

かも

普通にお父さんお母さんに感謝し甘え助けてもらい

自分の子を自分で愛情豊かに育てられる社会であってほしい