阪神淡路大震災は30年前の今日起こった
大阪も物凄い揺れた
生きてきた中で最大最長の揺れの経験だ
それは信じられないほどだった 大阪でさえ
テレビで高速が倒れ 火事の映像が流れる中 これからどうなるかと心配でならなかった
大阪からは物資や人がたくさん駆けつけた
夫も会社の同僚を探しに翌日
阪急電車で御影まで行きその後歩き回った
帰宅後は全身泥と埃だらけだった
私は妊娠中だったが
西宮の友達が1月末ぐらいだっただろうか 遊びに来てくれた時
いろいろ聞いてまだ水道がでないこととか大阪とは違う状況だった
大阪に住む者たちはとにかく経済をまわす 物資を被災地にーと頑張って賑やかに元気にしようとしていたことを思い出す
しばらく神戸方面には行かなかったが
5年後ぐらいに行くきかいがあり
たくさんの新築の家やビルが沿線沿いにたってきているのがたくましかった
でもまだまだだった
10年後に行った時 初めて
ずいぶん復興してきたなとおもった
その後何回もあちら方面に行くたび
だんだん爪痕はあるが新しくなってきていると感じた
いろんなところに頑張って乗り越えた人々とその街が誇らしげに存在していて
最近は行くと力をもらう
地震も多発している
歌にもあるが
地震にも負けない絆と心で備えていきたいと思う
我々の世代には
専業主婦は皆一年中今で言うワンオペである
朝夫が出勤後から帰宅するまで
ひとりだけですべての子どもの面倒を見る
当時は必死だったので
不満を感じるところまでも達することさえなかった
なんなら夫の帰宅がはやいと夫の世話が生じるので
すべてが終わり
寝た頃に 静かに音を立てずに帰ってきてくれた方が
ありがたいとも思うこともあったかも
ゆっくり昼ご飯など3年ほどは食べられないし
お風呂で背中をしっかり洗えるのはじいじばあば達と
温泉にいったりするときだけでほぼ不可能
よくやったな
自分のこどもなので誰も褒めてはくれないし
給料も何もない
かわいかったな
成長するのを見るのが何より楽しかったな
だがである
一時大人と話す機会がへり
子どもとだけ向き合うと
真面目なだけに精神的に息抜きが出来ず
しんどかった
少し目を離すとけがや事故もあり得るので
一時も目を離せない時期もあるのだ
じいじばあばも訪問したときはよく見てくれて助けてもらったが自宅では四六時中ワンオペだ
その割合は一年の9割以上である
土日は夫が遊ぶことはあっても
家事一切 片付け一切 私である
夫の仕事もハードだったので疲労して病気になっても
また私の負担が増えるだけなので本当に何も手伝わせなかった
オンリー仕事だ
上の子はよくパパは
出張 会社 ゴルフだねーといっていた
ひとつありがたかったことは
私の子育てに一切文句を言わず
どんな食事でも一切文句を言わず
何でも決定権を持てたことだろうか
家庭の中のことはすべてを取り仕切っていた
だからけんかになるのではなくその状態に
心身ともに耐えられなくなったときに母親側が爆発するぐらいで
それもほんの少しの時間自由にできれば治癒したりするので
なぜなら子どもをほっておけないので
今でもそうだが
古い日本のやりかただろうな
家のことに口も出さないし手も出さない
家計もすべて任されている
家庭のほぼすべてをやっているのだから
それが合理的だし当然だと思う
今はワンオペではなくママパパで協力していて
パパも家事をやるので
きっと口も手もでるであろう
だがやはりワンオペができないと
母親は困るとおもう
誰の助けもなくじぶんでなんとかしなくてはならないことが起こってしまうからだ
その状況を切り抜けないとなかなか切り抜けられないのが現状であろう
若いママパパへいってあげたいのはワンオペでも大丈夫だよ
必要なことだけやってなんとかなるよ
子ども達もだんだんママに協力してくれるよ
心配ないよ
気長に楽しんでほしい子育て
