子供が幼稚園時代はママ達も子供達と一緒に遊びに来ていたが小学生になるとひとりでお友達の家に行くようになる

 

我が子の時代は学校で約束して いえがわからない場合は

近くのどちらもが知っているところで待ち合わせして来たりいったりしていた

 

男子は公園で待ち合わせて野球をするとかも多かった

もちろん家でゲームのことも多い

 

女子は家でおしゃべりやゲームなどが多いかな

ママにもよるがお菓子の袋をひとつもたせてくれることも多い

その子が食べるお菓子がわかるのでありがたいしとにかく複数で遊ぶときはただならぬお菓子がいるので助かることこの上ない

 

うちのチョイスのお菓子の時は

食べてよいかどうか本人に聞いてから出すようにしていた

例えばチョコとかジュースとか炭酸とかをさけているご家庭もある

ママをしっている場合はよいがしらない場合もあるのでそこは慎重にしていた

 

まあほとんどの場合友達のおうちではあまり気にしなくていいことになっているご家庭が多いように思う

そんなことばかり行っていては友達をなくすので

 

いまはさらにたいへんらしい

アレルギーとか

働いているお母さんが多いので

子供だけの家に遊びに行かせるのは避けることもある

 

専業主婦の家庭は必然的に遊びに来られることが多い

子供だけのたまり場にわが子を行かせるのを避ける家も多い

うちも親がいない家にはいかないようにさせていた

なにか事故などあれば対応できないので

その場合はうちで遊ぶようにしていた

いつもうちになるので実のところは少し大変だった気持ちもある

 

弟や妹を連れてくる子もいた

でも一緒に遊んでおかしも出していた

小さい子はすこしてがかかったりこぼしたりするのでたいへんなこともあるが子供の友達の兄弟なので私は大切にしていた

後日談があり

そのよくきていた弟くんが中学生の時たまたまうちの家の前をクラブ活動で通りかかったのだ

弟くんはインターホンをならし 名前を名乗り びっくりしてでると こんにちはひさしぶりですと挨拶してくれたのだ

あらー大きくなってーとおばちゃんは感動するのであった

 

お友達のおうちでは自分のところとの違いなど学ぶことも多く子供時代に必ず経験しておくことができればありがたいとおもう

 

世のママさん方 自分の子供のためにもあそびにきてもらったりいかせてもらったりして いろんなご家庭を見せてもらえるのはすべての子供にいいことなので 特別な事情のないかぎりときどきは 働いていようがいまいが

お友達をお招きしてあげてほしい

子ども達は 行った先の親の態度もよく見ている

親の学びにもなるし我が子のまなびにもなる

 

○○ちゃんあそびましょー

と昭和の時代は約束もせず外から玄関前で声をかけたがそれはさすがに今はないのかな

最近は親のしらないうちに子どもがよそにあそびにいったら

遊びに行かせてごめんなさいという親が多いそうだ

気持ちはわかるが そこは

遊びに行かせてもらってありがとう

今度はうちに来てねがいいとおもう

 

子どもが遊ぶ約束をしてきて家に親がいるなら

上手に対応して楽しく思い出を作ってあげてほしいと願う

そうそうあることではないとおもうので

習い事や家の事情などでなかなか予定もあわないので

とてもスペシャルなよい経験になるはずである

 

 

 

 

 

 

 

暑さから自由になりたい

暑すぎて出かけられない

 

熱中症にはスイカがいい

ぶどうがいい ミネラル 水分ビタミン 塩分

もちろんタンパク質も炭水化物も

毎日のご飯 自分のためではなく誰かのために作ってみよう

身近な人が喜ぶよ

私の親孝行

 

毎日たくさん携帯で電話します

5.6回かな 食べたもの 見たテレビ 昔の話

などなど話題は尽きません 政治問題 世界の事情

まで話が及ぶことも

 

週一で必ず会いに行きます

ひとり暮らしの母が毎日手作りでお料理しゴミを捨て

日常を出来る範囲でがんばってたのしんでいる姿に

感動しにいってます

親孝行なんてとんでもありません

 

父はもうなくなりましたがそのころから親孝行という

意識はあまりありません

何歳になっても親からしてもらったり 励まされたり

助けてもらうことの方が多いです

自分の人生を精一杯生きる母に教えてもらうことばかりです

 

昨日はハンバーグを10個作り親戚に配り私ももらいました

いつまでも人のためになにかをしたいという気持ちをもって

いることがすごいことだと思います

そして実行する力があります

日本のおばあちゃんはすごいですよ

世界のおばあちゃんもきっとすごいと思います

 

 

 

 

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子育て資金として徴収されることが決まったらしい

笑わせる

お金があるなしは子供を持つかどうかにあまり関わりが

ないとおもうからだ 

子育てが大変だから専業主婦になっていた人が多いのだ

お金が欲しいなら、家に入らず働くだろう

お金より時間がほしいのだ

かわいい我が子をそだてながら我が身も大切にしながら フルで働くも自由バイトでも専業でも、皆時間がないのだ

時間はどうしたら生まれるか

我々の世代はおばあちゃん達が手伝ったり、近所でおずけあったりした

いろいろ問題はあれど、いいママさん達もなかにはいて、気の合う物同士一緒に子育てをしたのだ

ママ達も、パパへのたわいのないの愚痴 お姑さんからの横暴

子供の教育習い事、あらゆる話題でおしゃべりし、子供達はその間に少し楽しげな母親達を尻目に、遊びまくり、走りまくり、お菓子を食べ、あせだくになり、夕方かえるころには、くたくたで

お風呂はいってごはんを食べて、こてっとねてくれたりしたものだ。

一番わかりあえるのは、同じ子育てをするママ達なのだ。

横の繋がりである。

これは保育所に預けるのとは違い、お金がかかわらないので

あくまでも自分の判断で自分の責任で行う。

大きい声では言えないが絶対ご一緒したくないママもいる

でも大抵は普通のママ達なのでありがたい日本だ

粒ぞろいで教育程度も高いのでありがたかった

学歴でもないが、4年生有名大卒の性格もよいよくできたママ達

も専業主婦でごろごろしていた

我々世代は、まだまだ子持ちの女子会社員など珍しい時代だったので、いわゆるいいご家庭の女子は専業主婦が多かったように思う。自分の娘にファーストペンギンになってほしい親などなかなかいない。苦労が目に見えている。

いまはどうなんだろう。

女子もフルで働きながら子育てするなら、もっともっと制度が整わないと、毎日が綱渡りだろう。

心身ともに疲弊し続ける

そこに親の介護問題ものしかかる

どうせーいうのだ

すべてに手が足らない

子育て世代が疲労困憊で倒れてしまうかもしれない

そんな中誰がもうひとりと思えるのか

 

時間はどうしたらうまれるのか 一日24時間なのでどうしようも無く何かをやらずに置くという結論に達するだろう。普通は

フルで働き、子育てもし、複数子持ち、親の介護もし、自分の人生も充実させる

そんなスーパーウーマンはどこにでもいるわけでもなかろう

一番大事なのは強靱な肉体と強い精神力なのだろうか

そして家族子供まわりすべてがスーパー級でなければならないだろう

では稼ぎはほどほどに何も気にせず、のんびりと働いたり休んだりしながら、子育てして暮らして行くという生活が理想なのか

それでは人類の発達という観点からはどうなのか

やはり何かなしとげるためには命がけで没頭したい人やそうせざるを得ない人もいるだろう

何を選択するか 人による 難しい

 

 

 

 

 

 

偏頭痛の悩み

 

雨の日痛なのか肩こりなのかストレスなのか

生理痛なのか偏頭痛もちであった

年齢とともに いつもどこかいたくなってきたので

頭痛の頻度が減った 

 

喜ぶべきなのか

 

弱っただけなのか

 

薬に頼らず 運動や気分転換が大事なように思う

ストレス社会なので頭痛はなくならいだろうな

 

薬を飲んで治して忘れるのもいいような気もする

 

 

 

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夏のここが好き

 

春 秋 冬の方が断然すき

とにかく暑すぎる

30℃はまだいい

34℃を超えるともうどうしようもない

クーラーが効いている部屋にいたとしても

35℃などにさらされる時間もある

あえて言うなら暑い夏に

涼しい地域に行くと気持ちいいから好きということぐらいかもしれない

作物の成長や日光が必要な事も多々あるが

30℃ぐらいでいいと思う

蒸し暑いのがよくないというが実は乾燥してる高温もしんどい

喉がおかしくなるしお肌がカピカピになる

日本人には湿度は必要だ

 

夏にかわいいワンピースを着れるのはうれしいことかも

でもいまやそれを着ても暑すぎて出かけられない

やっぱりあまりいいことはないしすきではない

 

 

 

 

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自分の子供に最近は

何々を食べてくれるとか食べてくれないとか

使うことがよくあるようだ

高齢者界隈から言わせるとこれは論外だ

なぜ自分の子供に食べてくれるなど

子供に恩を受けるような言い方をするのだろうか

夜ご飯を食べたでいいではないか

ニンジンを食べてくれたはおかしいとおもう 

個人的には

なぜそんな小さい子供になにかしてもらう必要があるのだろうか

 

おっぱいを飲んでくれた

離乳食を食べてくれた

靴を履いてくれた

ではなく

おっぱいを飲ませた

離乳食を食べさせた

靴を履かせた

ではなかろうか

 

子側からした

おっぱいを飲ませてくれた 

離乳食を食べさせてくれた

靴を履かせてくれた

である

何何してくれるの逆は何々してあげるだ

つまりおっぱいを飲んでくれたというからには飲ませてあげたとなるのだ

そんな恩着せがましい親がどこにいるのか

 

飲ませる

食べさせるに

最近は強制的な意味を感じるのであろうか

強制ではなく普通の使役動詞だと思う

 

とにかく食べてくれた 飲んでくれたには違和感を感じる

子供は大事だが親は召使いではない

 

幼子に接するのが初めての親たちが多いように思うが

あまりに自分の子供に気を遣いあがめ奉るのは違うと思う

子供は大切にされるべきだが 子供がえらいということはない

言葉一つで日常は変化する

よく考えて使いたい

 

 

最近子離れの時期がきたとかいうのをよくきく

私が子供の時、親が子離れするという表現をあまりきいたことがない

親離れしてないというのも、例えば今はおとなになってからや独立していない成人にたいしてや、独立や結婚しても親と関わりのあることを指しているように思うのだがどうだろう

 

昔はおっぱいが終わるのを乳離れ

一人で何でも出来るようになり精神的にもしっかりした状態の子供に親離れ

といったように思う

子離れなどという言葉はあまりきいたことがない

 

我々の世代はドラマの冬彦さんのはやりもあり、マザコン男性とかよくいわれた。このときも子離れしない母親などとは言わなかったような気がする。

 

個人的には、親子の関係に昔の意味以外の子離れも親離れもないと思っている

子離れとは、子の勝手な人生を親が肯定させられるための考え方ともいえる

子離れできない親はだめであるとでもいうように

親は子供の人生の幸せをいのるがためときに慎重になったり苦言を呈したり、アドバイスしたりすることもある

親がこれをすると今や子離れできていないといわれる

心配して連絡することさえ子離れできていないといわれることすらある

 

でも友達がこれをすると、よき親友だとなる

 

そこまで子供に遠慮するようになったのはなぜなのか

昔の親は子供に結構言いたいことを言っていたように思う

今は批判されたり毒親とレッテルをはられたりするのでそれも難しいのかもしれない

親も人間

間違いもすれば勘違い嫉妬もする

神様仏様ではないので

子もそうだ

同じ人間であるという意識をしっかり持つと尊重し合い指摘し合うことが出来るのでいわゆる執着しなくなるのでないだろうか

執着しなくなることをなんとか離れと呼ぶのなら結構わかるが

 

 

精神的に自立できている(ある意味親離れしている)子供なら、親の意見やアドバイスも客観的にきいたり、自分のことが大切だから苦言を言ってくれていると感じたりできうる

子供には、大切な家族である親を納得させられる実力と態度と技量がいると思う

それが出来るとわかった時親は、信頼して子供の人生を応援し子供の判断に託すのではなかろうか

 

 

何歳になったから親離れするとか

うちの親はなんでも干渉してきて子離れできないとか

社会人になったから親離れしたほうがいいとか

これもなんだか違和感がある

実家を通学や通勤のためにはなれるのも親離れとは呼ばないと思う

鳥の巣症候群といわれる飛び立ってぽっかりこころに穴が開いた状態も、人間は鳥ではないので連絡したりしっかりコミュニケーションをとることで一時的なものであってくれることだろう

何なら子供達はもうそこまでいいよーというくらい親に連絡してみるとよい 親もそこまでさみしくないよというかもしれない

案外親はよくできている

 

無理に関係性を断つことが親離れでもないし子離れでもないであろう

関係性を保ち続けることこそ親離れ子離れ出来ている証拠だと思う。

 

親も、自分たちの老後の資金繰りや自由な生活のためこどもに援助や応援をしなくなることを子離れと呼んだり

子も、恋愛や自分の自由な生活のために親をシャットダウンすることを親離れと呼ぶのは

どうも未熟なような気がする

 

親子という一番関わりのある関係に生まれたのだから

それぞれの事情はあれどできる限り話せる関係を築けるように親は子育てするのが親にも子にも得策なようなきがする

非常に難しいのだが

親のことを思いやるが故になにもいわない、子供のことを思いやるが子になにもいわないこともあるかもしれない

だが、案外話してみると解決することもあるのでないかと思う

コミュニケーションをやめるのが親離れ子離れではなく、親の得意分野、子の人生の進み具合、親の性格子の性格いろいろ考えてどうすればいいかをお互いが考えを話せるといいなと思う

 

結局似ているのだから

 

 

よく食べるごはんのお供

 

 

いわし甘露煮 金ごまつつみ

成城石井のやつ

 

おいしいなあ

鰯がくさくなくて

 

お子様でも骨までパクパク

 

甘めでたべやすいけれどあっさりしてて

 

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コロナもあり結婚式がなかったり小規模化しているが

やはりおめでたいことはよい

 

我々世代は、ホテルや神社や式場などで結構な規模60から100人

程度で親戚一同 同僚上司参加 友人達参加 会社の上司ご夫婦に

媒酌人(仲人さん)をお願いして執り行われたものだ。

新郎新婦の紹介 ゲストの挨拶 友人の余興(歌が多い)

友人の新郎新婦のエピソードトーク

など結構もりだくさんで最後はキャンドルサービス

両親への花束贈呈 両家代表(新郎父が多い)の挨拶でしめる

 

私の自慢のおじいちゃんも87にて素晴らしい美声で祝いの歌

をアカペラ歌唱してくれた。両家親戚友人一同会社の皆様から

大絶賛であった なつかしい

 

両家主催という感じだった

二人で相談して決めたことが多いが、当日は

何々家と何々家のお式という感じであった。

式が終わり初めて夫婦と認められお披露目されるかんじ

だから披露宴

 

式前は両家に分れて待機

このときが楽しい

両親兄弟 おじさんおばさんと久々に会えて小さい頃の話に花が咲いたり

姪っ子甥っ子と遊んだり、花嫁衣装やウエディングドレスをきているので

写真もたくさんうつせる

のんびり式まで過ごせる

式場で初めて二人は出会うのである

 

最近は、○○さんと○○さんの結婚式なので

式前から本人達は二人で別室

なんと両親でさえ、式前に着替え終わり式場に入る前にしか

自分の娘や息子に会えないのだ

両家両親にだけ式前に晴れ姿を見る場が設けられるケースが多い

教会式の場合はとくにそうらしい

 

式を挙げる前から一緒に住んでいるケースも多く

二人で計画した式に両親含めて招待するみたいな感じだ

 

だが、そこは日本

両家という考え方もあるので

違和感満載だ

 

母親の第一礼装黒留め袖は、来てくださった親戚 ゲスト皆様への礼儀であり

招待客になるならそもそも着ること自体おかしい

親族の女性も黒留め袖を着ることが多いがそれもおかしい

だが、式場からは母親は黒留め袖一択のようにいわれるらしい

親族は色留め袖をすすめられるらしい

結婚式の時既婚女性は黒留め袖を用意していることがおおく

紋付きの色留袖などの手持ちはなく借りねばならない

 

若い二人では行き届かないことが多く親戚は、両家とも一絡げで不満爆発

である

相手の親戚とはたった一回そこで会う以外会わないかもしれないのだ

なのにアットホーム演出でやたらと相手親族と近い距離におかれる

ガーデンパーティーで楽しくやってくれと言われても、日本人初対面で

失礼があってはいけない相手と楽しく過ごすことはむずかしい

 

小規模化し友人もいないとなると新郎新婦のエピソードトークもなく

お相手さんのことなどなにもわからない

 

写真も二人中心で二人の思い出にはなるだろうがお祝いに行った親戚一同

はみることもできない データでふたりがもらうからだ

 

つまり二人よがりの結婚式といわれようとしかたがないようになってしまっている

両親がしゃしゃりでるとお二人の結婚式ですのでといわれるらしい

 

結婚も出産も何でも二人だけがよければいいのだ

それもよいだろう

 

自分も親になったらわかると思う

一人でここまできたのではないと

結婚式はやるならせめて親にだけは詳細を伝えて

親戚からもいい結婚式だったねといわれてほしい

老婆心ながら

 

ふたりのためだけになった結婚式がうらやましいのかもしれない

はるか昔に、社会の一員として皆にお披露目するためにやった

結婚式披露宴はなんだったのだろう

 

おじいちゃんの歌声のなかに祝いのきもちを感じ取り

胸が熱くなり、実家から旅立つような寂しさがあり

うれしくもせつない結婚式はもうないのだな

た~か~さ~ご~や~~~