自分の子供に最近は

何々を食べてくれるとか食べてくれないとか

使うことがよくあるようだ

高齢者界隈から言わせるとこれは論外だ

なぜ自分の子供に食べてくれるなど

子供に恩を受けるような言い方をするのだろうか

夜ご飯を食べたでいいではないか

ニンジンを食べてくれたはおかしいとおもう 

個人的には

なぜそんな小さい子供になにかしてもらう必要があるのだろうか

 

おっぱいを飲んでくれた

離乳食を食べてくれた

靴を履いてくれた

ではなく

おっぱいを飲ませた

離乳食を食べさせた

靴を履かせた

ではなかろうか

 

子側からした

おっぱいを飲ませてくれた 

離乳食を食べさせてくれた

靴を履かせてくれた

である

何何してくれるの逆は何々してあげるだ

つまりおっぱいを飲んでくれたというからには飲ませてあげたとなるのだ

そんな恩着せがましい親がどこにいるのか

 

飲ませる

食べさせるに

最近は強制的な意味を感じるのであろうか

強制ではなく普通の使役動詞だと思う

 

とにかく食べてくれた 飲んでくれたには違和感を感じる

子供は大事だが親は召使いではない

 

幼子に接するのが初めての親たちが多いように思うが

あまりに自分の子供に気を遣いあがめ奉るのは違うと思う

子供は大切にされるべきだが 子供がえらいということはない

言葉一つで日常は変化する

よく考えて使いたい