堀江直樹の無限上達への道のり -15ページ目

さて、

 

 

 

前回、前々回から続く「怒り」シリーズ

 

 

 

憤怒ー怒りの源泉

 

 

 

憤怒ー僕の痛い中学時代

 

 

 

ちょっと期間が空きましたが、

 

 

 

今日はさらに整理ができて、自分の中にも腑に落ちてきたことがあったので、

 

 

 

そのエネルギーで書き上げたいなと思います。

 

 

 

前回記事から、僕の怒りが出てくるルーツも中学時代から書きました。

 

 

 

よかったら見返してみてね。

 

 

 

人間には「無意識のエンジン」があります。

 

 

 

過去にした感情の決断から自由になることができません。

 

 

 

感情はエネルギーにもなり、行動や選択をしていく原動力となっていきます。

 

 

 

それは差し詰めコンピュータウイルスにハッキングされているようなもので、

 

 

 

自分の意思とは基本的に無関係

 

 

 

自らの「考えや感情、発する言葉や選択する行動、周りの人との関係構築の仕方」に影響を及ぼします。

 

 

 

前回記事で書いた僕の無意識のエンジンは「世界は裏切るものだ」

 

 

 

世界の存在は僕の存在を完膚なきまでに認めさせるものとしてあるということ。

 

 

 

怒りを原動力としながら、強烈に自らを高める方向に突き進むエンジンでした。

 

 

 

実は今日は人とセッションのトレーニングをしながら、

 

 

 

もうちょっと自分の深いところが見えました。

 

 

 

その結論は「どうせわかってもらえない」というもの。

 

 

 

 

自分の世界(宇宙)を僕の意識画面に投影するときに

 

 

 

常に結論がここからスタートしていて、その世界を生成し続けていたわけです。。

 

 

 

シンプルに言えば「わかってもらえないこと」を確認するために人生を送っていたわけです。

 

 

 

うーん。ギャグ。。

 

 

 

エンジンはものさしでもありますから、常にわかってもらえないものだというものさしで

 

 

人を見ていくわけです。

 

 

 

 

人の心は必ず条件づけられますから、裏切られることが確定しています。

 

 

 

うーん。ひどい。なんだったんだ、僕の28年間。。

 

 

 

 

ここまでわかったところで、多くのワークなどで難しいことは、

 

 

 

 

無意識のエンジンであるこのものさしを大前提に世界を立ち上げているために

 

 

 

 

この大前提自体の手放し方がわからないという問題があります。

 

 

 

 

その話はまた次回に持ち越すとして、

 

 

 

 

怒りの源泉について書きたいと思います。

 

 

 

このシリーズを書き始めていた当初よりも思ったより深いところに出会ってしまったため、

 

 

 

ちょっと解析を整理しながら書いていますが。

 

 

 

怒りの源泉。

 

 

 

それは無限の尊厳性に対する冒涜でした。

 

 

 

考え一個、感情一個をほどいていって、

 

 

 

その源泉に到達したとき、

 

 

 

そこには分けられない世界がありました。

 

 

 

分けられない無限の尊厳性。

 

 

 

尊厳という言葉を聞いて、

 

 

 

いろいろなイメージがあると思います。

 

 

 

尊厳死であるとか、定義もわかるようなわからないような。

 

 

 

厳かで尊く、侵してはならないもの。

 

 

 

 

なぜ、それを侵してはならないのか。

 

 

 

僕が社会に対する怒り、人に対する怒り、

 

 

 

それは人間はこんなもんじゃないだろ!!

 

 

 

という人間の中に内在する可能性からの叫びだったんだ。

 

 

 

と、自分の中で腑に落ちたのです。

 

 

 

自己承認欲求も、社会的欲求も、

 

 

 

安全欲求も、生理的欲求も、

 

 

 

その源泉にあるのは、それぞれのレベルの尊厳性の冒涜に対して発揮されるものだと解釈することができるなと感じています。

 

 

 

どの次元の尊厳を扱うかは個人の自由ですが、

 

 

 

僕にとって、たった1個の単語で、自分の人生も人の人生も社会も貫けるというのは奇跡でした。

 

 

 

これまで何度となく聞いたことがある言葉だったけど、明確に自分とつながる瞬間。

 

 

 

 

シンプルであり、共通であり、多様性をもてる。

 

 

 

僕の人生にとって、明確なテーマ、

 

 

 

それが「尊厳」です。

 

 

 

さて、それを具体的に人にも伝達するために外せない問題意識が、

 

 

 

誰もがこの無意識のエンジンに掴まれているということ。

 

 

 

誰かを一つの思想に強制することでも、ただ無秩序を許容することでも、

 

 

 

矛盾が生まれ、失われてしまう人間の尊厳性。

 

 

 

人が過去のエンジンに掴まれているとき、それは無意識に行われる可能性の消失だと考えます。

 

 

 

個人個人が無限の可能性と尊厳性を発揮し、安心と信頼からくる関係性から生まれる、

 

 

 

強烈な疎通と交流によるクリエイティブな集団。

 

 

 

そんな集団作り、未来作りに貢献する生き方をしていきます。

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

ご意見&ご感想&ご質問

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僕じゃないですが、プレイステーションVRをする仲間

これ、めっちゃやばいですよ。。

 

 

 

さて、前回記事では僕の人生とは切り離せない「怒り」をテーマに書きました。

 

 

 

思いの外、反応があり、感情の取り扱いって誰もが知りたいところなんだなぁと感じています。

 

 

 

今日はどこまで書けるのかわかりませんが、

 

 

 

僕のルーツとなる、ちょっと痛い僕の中学生時代の話なんかを赤裸々に書きながら笑

 

 

 

話をしていきたいなと思っています。

 

 

 

そういえば、この角度から僕の過去を人に話したことはあまりなかったし、

 

 

 

最近意識化できたことなので改めて書こうと思っています。

 

 

 

みなさん、中学生時代をどのように捉えていらっしゃいますか??

 

 

 

僕の中では「中二病」だった。

 

 

 

その一言につきる中学生時代でした。

 

 

 

 

思春期特有の正義感や社会との葛藤や摩擦に苦しむ、

 

 

 

典型的な中二病患者だったと思います。

 

 

 

こと、怒りをテーマに書くとしたときに、

 

 

 

中学生時代は怒りが収まらなかった時代だったということができます。

 

 

 

僕にとって、その当時に、俗にいう「ワル」と呼ばれるような子たち、筋が通っていればそれは認める対象になっていましたが、

 

 

それがなんとなくかっこいいからと迎合してワルになっているような奴らは全員死ねと思っていましたし、

 

 

 

集団の雰囲気とかに流されて、秩序を乱すやつとか、

 

 

 

もう本当に死ね!!って思っていました笑笑

 

 

 

最悪なのは自分のポリシーもなく、集団に流されるやつ。

 

 

 

 

とにかくそいつはワルだろうがまじめだろうがみんな死ねと強く思っていたのを記憶しています笑

 

 

 

そして、重症なのは、まじめな子たちに対しても、

 

 

 

こんな学校教育・暗記教育をしたところで、実学になりえるのか、現実に役にたつのかとか本気で考えていて、

 

 

 

そこにまじめに迎合して先生にへーこらしている奴らとか、

 

 

 

塾に通って点数取ることに集中してる奴らも全員死ねと思っていました笑笑

(ちなみに中学入学当初の成績はまぁまぁよかったですが、そんなスタンスだったので、徐々に落ちていきました笑)

 

 

 

うーん、死ねとしか思っていない笑

 

 

 

当時、自分の中の正義感が非常にあり、

 

 

 

ちょうど中二の頃に担任だった先生にノートに自分が感じる周りの学生や社会に対する問題意識を書きなぐって、

 

 

 

先生にそれを見せて、困る反応を見ながら、そこに優越感を感じるような非常にイタイタしい学生だったことを記憶しています。。

 

 

 

やばい。中二怖い。(そして、あとあと振り返って後悔するわけです笑)

 

 

 

自己啓発の本を読み始めたのもその頃ですが、

 

 

 

秩序を作るためには強制的な平和を執行するような必要があるんじゃないかとか、

 

 

 

 

ずいぶんファシズム的な思考になっていきました笑笑

 

 

 

 

こーいう話は大なり小なり、中二男子が通過する道なんじゃないかなぁと思いますが、

 

 

 

、、、、、まぁ、中学生の感受性って、非常に豊かですよね〜。(他人事)

 

 

 

 

さて、これだけだとただの僕の恥ずかしい話になって、

 

 

 

せっかくこんな恥ずかしい話を引っ張り出してきたのに、

 

 

 

思春期特有の反応だからしょうがないとか、

 

 

 

死ねとかいうのはよくないよとか、

 

 

 

勝手に思い思いに整理されても困るわけですよ笑

 

 

 

自分の中にここまで怒りが沸き立つルーツはなんなのか?

 

 

 

社会に対して、周りに対して憤るその自分のルーツはなんなのか?

 

 

 

それを知りたかったのです。

 

 

 

一つ、無意識のエンジンを発見するセッションを通して、

 

 

 

過去の家族との関係の中で、

 

 

 

強烈な決断をした瞬間があることがわかりました。

 

 

 

その瞬間から、僕の中で「世界は裏切るものだ」と結論づけられ、

 

 

 

世界の存在は僕の存在を完膚なきまでに認めさせるものとしてある、

 

 

 

という復讐の対象」として認識されるようになっていたことがわかりました。

 

 

 

その決断のパターン1個で、そのあとの僕の行動パターンはその一点を通過しながら、

 

 

 

同じパターンを繰り返していることがわかったのです。

 

 

 

このエンジン、結構ひどいですよね笑

 

 

 

内容は様々ですが、無意識のエンジン。人間には誰しもあるもの。

 

 

 

今、これを読んでいる皆さんにも一点に凝縮されるパターンがあります。

(来月からこの無意識のエンジンを発見するセッションを行っていきますので、ご興味のある方はご連絡くださいね。)

 

 

 

そして、これを自覚することは難しい。

 

 

 

 

何故ならばそれはあまりにも自分の大前提なっているからです。

 

 

 

 

または、このパターンに気づいても変化をさせることが難しい。

 

 

 

何故ならば、それを通しながら世界をみているので、パターンの外のイメージ自体がもてないのです。

 

 

 

この仕組みが、人間共通の脳の仕組み、存在の仕組みとつながって、

 

 

 

たったひとつのパターンとつながったとき、、、

 

 

 

見えちゃったものがありました。

 

 

 

過去のトラウマとかをみて、自分がどんなパターンがあるのかとか、

 

 

 

見える人はいると思います。

 

 

 

しかし、なぜ「怒り」が生まれるのか?

 

 

 

その源泉が説明できますか?

 

 

 

そのルーツがわからないから、怒りは自分にも向くし、相手にも向く、

 

 

 

その強烈なエネルギーを悪者にしやすいです。

 

 

 

怒りの因数分解に成功し、そのルーツとの関係性を理解したときに、

 

 

 

怒りそのものを道具にして自らの人生に活かすことが可能なのだなということが、

 

 

 

自分の経験を通して腑に落とすことができました。。

 

 

 

て、ところで、またこんないいところで引っ張るのかよ!!

 

 

 

とツッコミが起きそうですが、

 

 

 

次回はその源泉との出会いとつながったお話を書きたいと思います。。

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

ご意見&ご感想&ご質問

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今日のテーマは「憤怒」→怒り についてです。

 

 

ということで、自分の中にある感情の源泉について書こうと思います。

 

 

 

さて、皆さんは「怒り」というものをどのように捉えているでしょうか?

 

 

 

イライラすることはよくないとか、ネガティブな事例として捉えることが多いんじゃないかと思います。

 

 

 

確かに、怒りのエネルギーは強烈で、イライラしてる人のエネルギーは漏れ出ますし笑

 

 

 

そんな人の身体を触ると矢印が自分に向いてるケースも多くて、大変そうだなーって感じることもあります。。

 

 

 

今まで僕と出会ったことがある方ならわかるかと思いますが、

 

 

 

通常、僕は人といるときはなるべく笑顔をします。

※韓国にいくとスマイリーに似てると言われます

 

 

 

なるべく「口角を上げている方がいい」という刷り込みがあるからです笑

 

 

 

まぁ、基本的にたいていのことは笑って流せるのですが、ここ数年で気づいたことは、

 

 

 

結構我慢してるということ。

 

 

 

人間関係とかでも秩序を乱す人が苦手で、文句をいう人がいたりとか、そのような場面や事例に当たると

 

 

 

イライラが漏れ出します。

 

 

 

そして睡眠時間が少なくなるとイライラしてきます。

 

 

 

友人からも、そのときの堀江のエネルギーは人を殺しそうとまで言われる始末でした笑

 

 

 

まぁ、それ相応に心理学からコーチング、キネシオロジー、スピリチュアル、前世なんかも見てますし、

 

 

 

無意識の階層を何枚破いていったのかわかりません。。

 

 

 

そんなこんなで、一般的に魂が喜ぶことなんかはたくさんやってきた自覚がありますが、

 

 

 

こーの湧き出る怒りがなんなのか。その源泉がつかめませんでした。。

 

 

 

だけど、

 

 

 

つい最近自分の『無意識のエンジン』を明確に掴むことができた瞬間があって、

 

 

 

そこには強烈な諦めが付随した怒りの決断だったことが発覚しました。

 

 

 

また、そのストーリーは次の機会にでも書きたいと思います。

 

 

 

「自分が作りだす世界」、言い換えれば「自分の宇宙」とも言えますが、

 

 

 

過去の決断の一点に固定されていることをわかったときに、自分の人生を手のひらの中にいれるように

 

 

 

シンプルに眺められた経験をしました。

 

 

 

しかし、わからなかったのは、その怒りがどこから来るのか?ということ。

 

 

 

確かに、自分の思考や感情、行動選択、関係構築のパターンが、

 

 

 

幼少期の体験も土台にしながら作られていくということはわかる。

 

 

 

しかし、なぜここまで怒るのだろうか。

 

 

 

その怒りのエネルギーの源泉がわかったとき、

 

 

 

それは自分の中で強烈なエネルギーとしてあつかえるんじゃないか。

 

 

 

そう思って、『怒りがどこから来るのか?』

 

 

 

この質問を携えながら、日々を過ごしていました。

 

 

 

明確な質問を持っているとそこに答えがやってくるんですね!

 

 

 

実は先週、その答えが完璧につながったんです。

 

 

 

 

僕が人生を通して考えていきたいテーマ。そんな話ともつながります。

 

 

 

 

と、いいながらいいところでその答えはまた明日にでも書きたいなと思っています。。

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

 

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