予定はない
- Carole King
- The Carnegie Hall Concert 1971
土曜の朝、ベッドの中からカーテンを少し開けたら、
窓からは、四角く切り取られた青い空だけが見えた。
隣の部屋でキシダがかけたキャロル・キングの親密で温かな歌声が聞こえてきて、
わたしは朝の光で読もうと開いた本を閉じて起き上がった。
今日は本を読んで、課題として出されてる漫画を読んで、
それからえーと、映画も観たいし料理もしたいし、仕事もあるんだけど・・・
ま、いっか。
わたしってつくづく、計画的にものごとを運べない人間だ。
それを話したら友人は、「それっていつも死が傍にあることを無意識に感じているんでしょう?」と云う。
おなじようなことを何人かに云われた。
その友人がバイトしているピッツェリア。
山盛りのルッコラの乗ったのや、ドライトマトのピザを註文する。
開放的なお店の空間には、低く流れるUKロックと、
各テーブルで交わされる控えめな会話がさんざめいていて心地いい。
なんとなく黙ったり話したりしていると、焦げたチーズの匂いに乗って、お皿がふたつ運ばれてくる。
キシダも上機嫌で、三角のかけらをどんどん口へ運ぶ。
わたしはあまり外食を好まないけれど、休日のランチは、
決して急がなくて良いところと、たまにだからこそ、とても豊かだとおもう。
ドルチェまできちんと頂いて、イタリア人のおじさんと、
ふたことみこと会話を交わして表へ出ると、まだお昼過ぎ。
道行く人たちもみな、のんびり歩き。
わたしたちは、彼のお母さんのお誕生日プレゼントを選んで、
合間に何十万もする革のソファにうっとりしたり、
ずうっと前からふたりの憧れであるデザイナーズ・チェアを、
四脚揃えたら幾らになるか、本気で計算してみてやっぱり落胆したり、
大好きなギリシアのボディーソープの棚の前で1時間くらい悩んだり、
北欧デザインの、一客1万円を下らない珈琲カップを手に、
毎週末これで珈琲を飲む自分たちの姿を想像して盛り上がったり、
CD試聴コーナーのふたつしかないヘッドフォンをふたりで30分近くも独占したりしたあと、
書店を1時間ちかくうろついて、最終的にはいつまでもケルアックの原書から顔を上げない彼をつつき、
「北の丸公園まで歩こう!」と、時計を見る限りやや無謀な無計画を実行することとした。
ビルに両側を固められた大きな通りを歩いて、
いちばんわたしの目を引いたのは日本銀行の建物。
「すいませ~ん」って云って中に入れてもらえないだろうか、いや無理だねなどと話しながら、
明治時代に落成したという美しい建物を眺め、
そうだ辰野金吾つながりで東京駅も眺めようなどといってあっさり予定変更し、
落ちかけた日の中で橙色の明かりを浴びる駅舎を眺める。
わたしはこの建物の中にあったレストランに、わずか数年前に入った話をする。
あの頃は祖母がまだ元気だったのだ。
両親とわたしは、京都へ帰る祖母を送ってきたとき、時計はちょうど正午頃をさしていた。
90歳過ぎの祖母に広い東京駅構内を歩かせるわけにもいかず、目に付いたその店に入った。
おそらく1960年代から何一つ変わらずそこにあるであろう店内は、
学食のような、風情も何もない内装で、メニューは蕎麦からカレーまで何でもあり、
それがまた皆一様に、値段も安いが味もそれなりというところが何とも潔くて良かった。
いまどきの東京にこんな店があって流行るとは思えないね、
と話していた通り、今ではそのレストランは消えていた。
そんなことをしていたら、冬の夕暮れはさっさと終わろうとしている。
わたしたちは慌てて、日の沈むほうへ向かって歩きだす。
そちらには、空とおなじあんず色をした皇居のお堀が見えた。
わたしたちが橋を渡ろうとすると、鏡みたいな水の表面に、きらっと光る斜めの線が何本も入って、
何羽もの鴨がいっせいにこちらにむかって来る。
水面がいつのまに深い青色に変わってるのを見て、
わたしたちは皇居をあきらめ、さて帰ろうかと振り返る。
すると遠く、夜を目がけて真っ白な噴水が吹き上げられるのが目に入った。
和田倉噴水公園は霧と水の音でいっぱい。
噴水の前までくると、ザーッと云ったりゴーっと云ったりしながら水は真っ白な飛沫を上げているけれど、
足元の水路では同じ水が、冷静に透き通りながら、時折ごぼごぼ、なんていって、
目には見えないような静かさで流れていくのだ。
棚のようにつくられたところから水が一気に下に向かって流れ落ちるのを、
裏側から見る。水は透明な膜のようで、向こう側はつめたく歪んで流れて見えるから不思議だ。
そうだ、景色は止まっているように見えても、そのじつ、ものすごい速さで流れていっているはずなのだ。
水中に仕掛けられた電灯が当たっているところは、
たえず波のように光がきらきら揺れて、タルコフスキーの映画を思い出す。
あの人の映画はいつだって水がたくさん溢れていて、
それは世界中をぬらしているようで、胸がいっぱいになる。
ガラス張りのレストランの明かりの中に、ウェディングドレス姿の花嫁が、
数人の友人たちに囲まれて祝福されている姿が見える。
小さな子供がお父さんに手を引かれてやってきて、
まるで拳のように空高く突き上げられる巨大な水柱を、まばたきもせずに見つめている。
わたしたちも黙ったまま、流れ落ちる水を長いこと眺めていたのです。