アッシェンバッハの彼岸から -100ページ目

How Can I Be Sure?

(BGM:人を食ったみたいなイラストが大好き。きっとわたしもこんなだろうから)

The Young Rascals
Groovin'


雨に濡れたアスファルトにうつる街灯の白い光が、粒々になって生まれては消えて、

歩くわたしのブーツを追いかけてくる。

小さい頃、花火みたいだとおもった。

毎日でなく、雨上がりでないと見えないところや、すぐに消えてなくなってしまうところが。


たぶんまた、お得意の斑気というやつのせいだろうが、

このところどんな友達に会ってもうまく会話ができないのだ。

いつだってのべつ幕なししゃべり倒してばかりのわたしが、

その日も2時間あまり、ほぼ相槌だけですごす。

身体の周囲に厚ぼったくて重たい膜がかかってるみたいだ。

東京とゆうところは人も情報も多すぎて、人を混乱させるようにできているとおもう。

だから、数日間の周期でいつもわたしの頭はショートして回転を止めてしまうらしい。


その日は地下鉄を降りたら雨がすっかり上がっていた。

終電で降りる人々が、朝のオフィス街並みの行列をつくっていっせいに同じ方角へむかって歩く。

みな歩くのが早い。つぎつぎにわたしを抜き去る人々のうしろ姿をぼんやり眺める。

携帯電話で話しながら歩く若いサラリーマン。

新橋駅前なら1分間に30人はすれ違いそうな、グレーのコートのおじさん。

赤いダウンジャケットにジーンズの30代くらいの背の高い男性。

地味なスーツ姿なのにぴかぴかに磨かれた靴を履いた男性。


―あたしの背中はどうなんだ?


空は墨を流したみたいに真っ黒で星ひとつなく、空気は目に見えない細かい霧に満たされている。

溜息をついたら、イヤホンから「How Can I Be Sure?」が流れ出す。

初めて聴いたときは黒人であると疑わなかったハスキーなヴォーカルがかぶさり、

やがてドラムが三拍子を刻み始める。ベースは半音ずつ下がる。

英語の歌詞は、意味ではなくサウンドとしてしか、わたしの耳には届かない。

なのに、アコーディオンが鳴り出したとき、理由もなく胸がどきどきし始めて、

なぜだかとつぜん、手足の先まで血液が循環していることを意識した。

この真っ暗な夜の中で眠る数多の人々の、それぞれの一喜一憂が、

いっきに身体に流れ込んできたような錯覚に陥る。


ミュージカル映画で、失意のヒロインが突然音楽に合わせて小さな声で唄い出し、

次第に足取りがスキップに変わり、最後には大声で歌いながら駆け出す場面みたいに、

トランペットが聞こえる頃、わたしも夜の中を駆け出した。

濡れたアスファルトから目を上げると、真っ黒だった空に小さな星が瞬いているのをみつけた。


さっきまで大通りを、列をつくって歩いていた人たちが一人、また一人と曲がり角へ消えて行く。

無言で地下鉄に詰め込まれて運ばれてきた人たちも、それぞれの屋根の下へ帰るのだ。

わたしは歌いながら自宅のインターホンを鳴らす。

白熱灯の黄いろい明かりがこぼれて、温かな空気をまとったキシダが「おかえり」とドアを開けた。