公団阿佐ヶ谷住宅
春は幾度となくやってくるけれど。
もう2年ほど前になるだろうか、いやもっと前かな。
有楽町の映画館へと急いでいたわたしは足を止めた。
地下鉄の日比谷と有楽町を結ぶ通路のギャラリーに展示されていた写真に目を奪われたのだ。
それは、公団阿佐ヶ谷住宅の風景を写した写真たちで、わたしは映画の時間も忘れて夢中になった。
そのときまでわたしは、新宿からわずか数分というところに、
戦後から取り残されたこのような場所あることを知らなかったのだ。
その公団阿佐ヶ谷住宅が、いよいよこの春に取り壊されるというので、散歩に行ってきた。
JR阿佐ヶ谷駅から商店街を抜けて南へ歩き、クルマがびゅんびゅん走る青梅街道を渡り、
ほんの数分も歩いたら、驚くほど閑静な住宅街がある。
クルマも通れなさそうな、曲がりくねった道を歩いたら、ふしぎなかたちの給水塔が、
西日を受けて青空のなかに立っているのが見えた。
昭和33年、公団によって造られたらしい阿佐ヶ谷住宅は、
テラスハウスの半数以上がかの、前川國男による設計だとか。
前川國男といえばル・コルビュジェの弟子で、わたしも大好きな東京文化会館などをつくった有名な人。
公団といえば巨大な団地か、せいぜいコンクリートのアパートしか思い浮かばないが、
かつてはテラスハウスなんてあったのね。
そうか、今みたいに地上何十階に住むなんてこと、考えたことがなかったんだきっと。
4階建てのいわゆる団地とテラスハウスが広々とした平地に、充分な間隔をもって点在している。
日ごろ地上30mの場所で生活し、日中は大都会で過ごしているわたしは、
人間のスケールに合わせてつくられたこの場所に立ったとたん、呼吸が深くなるのを感じた。
空が広い。
こんなにも青く見えるのは、壁のクリームいろと、赤いトタン屋根のせいだろうか。
冬の枯れた芝生や桜の枯木立、常緑樹は伸び放題で、時には家の周囲を覆いつくしている。
さすがにもう、ほとんどの家が空き家になっていて、中にはテラスハウス一棟丸ごと空き家で、
入り口や窓にベニヤ板が貼られているものも少なくない。
団地の周囲にも赤いトタン屋根の家々の間にも塀や垣根などなく、
共有地と私有地の境界は非常に曖昧だ。
家々は、もとは同じかたちをしていたはずなのに、今やそれぞれの顔が刻み込まれている。
ある家の軒先では椿や杜若が花をつけ、屋根より高い棕櫚がそびえ、
空き家となってしまった家の前では、花をつけたばかりの梅が所在なさげに立っていた。
居住者によって立派な塀やドアや窓枠などのつけられた家や、
家の周りに数多くの植木鉢が並べられた家。
その家々の間を、路地がうねうねと走り、ひろびろとした芝生の広場があり、
子供がふたり、父親らしき男性と遊んでいる声以外は、風の音しか聞こえない。
昭和33年だから、僅かに50年ほど前だけれど、
この時代はきっと、わざわざ塀や垣根で仕切らなくても、
コミュニケーションによって、近隣との助け合いやルールが保たれていたのだろう。
奥様方は井戸端会議で地域に関する情報やら、今晩のおかずのレシピやら、
子供の学校に関する情報を共有してたのかな。
広場ではいろんな年齢の子供たちが一緒になって遊び、
ボールがどこかの家に飛び込んだら『ドラえもん』に出てくるような頑固じじいが怒鳴りに来たかもしれない。
どこかの家の前の路地は、小学生の通学路のショートカットになっていたのかも。
そうしたらその家の人は、朝、子供たちの声を聞いて、
今日も元気な1日が始まったと思いながら朝餉の食卓を囲んでいたりして。
小学生は、そこらの飼い犬に給食の残りのパンなどをやって、
その家のおばさんに怒られたりしてたのかな。
わたしも団地に住んでいるけれど、お隣さんの顔も知らない。
コミュニケーションがなく赤の他人同士だから、騒音などがすぐにトラブルになる。
深夜、エレベータで知らないオジサンと乗り合わせるだけでちょっと怖いとおもったりする。
壁で囲まれているから、密着しているにもかかわらず、隣も上も下も周囲の全てが知らない他人。
だから、必死で自分の周囲に壁をつくり、他者を憎らしい敵だとおもう。
我が家の周辺にもリッチで大きなマンションが最近たくさん建っているけれど、
いずれも周囲を塀で囲んだり、オートロックにしたりして、居住者以外は入れなくしている。
マンションの中でだけ、清潔で無機的で排他的な、奇妙なコミュニティが成り立っているのかもしれない。
ひとつ屋根に住む家族は、その外側から見えるようには決してみな同じではなく、
例外なくどろどろとしたものをたくさん抱えているはずなのに。
錆びたブランコに揺られながら4階建てのアパートを見上げた。
各棟に数軒だけまだ居住者がいるらしいほかは、しんと静まり返って、朽ちるにまかせている。
わたしが子供の頃に住んでいた、父親の会社の社宅とほとんど同じつくりらしい。
ベランダにつけられたテレビのアンテナは錆びて、時の流れを受け止めていた。
アンテナがなつかしい。 時計の針は12時のところで止まっていた。
大学生くらいのおしゃれな若者が一眼レフカメラを構えている。
カシャッ、という機械式カメラのシャッター音が、誰もいない広場に響き渡っていた。
その横を新聞配達のお兄さんの自転車がすり抜けていく。
4月には解体工事が始まり、再開発の後は整備され、マンションなどが建つらしい。
敷地内にはきっと、タイルやコンクリートの広くてまっすぐな道が通り、
お揃いに剪定された木々が等間隔に立ち並び、
オートロックのマンション群の真ん中に、真四角なショッピングセンターなどができるのかな。
マンションのガラス窓からは、そこに住む人の顔は見えない。








