アッシェンバッハの彼岸から -94ページ目

バベルの塔


沈丁花    





末期である。

雨上がりの昨日の朝、初めて気づいたのである。

駅前に、沈丁花がたくさん咲いていることに。

それは去年まで、工事現場だった金網の向こう側に、

エアコンの室外機からの生暖かい風にさらされながら、いっぱい並んで咲いていた。

あたらしくマンションができて、いつの間にかこんなにたくさん沈丁花が植わっていたなんて。

風にのって漂ってくる花の香りに、まったく気がつかなかったなんて、

わたしは昨日まできっと、死んでいたんだ。


毎年3月頃になると、道を歩いているとどこからともなく甘い匂いが流れてきて、

それで春の兆しに気がついてうれしくなるものだ。

東京じゅうでいちばん長いだろう信号と、

世界が灰色に見えるくらい排ガスまみれの交差点で信号待ちしているときに、

このことに気がつく日が、冬のおわりに必ずある。

数日間だけは、死ぬほど嫌いなあの交差点がすこし好きになる。


いつもおもうけれど、花や木々は、時計かカレンダーを隠してるわけでもないのに、

毎年毎年決まった季節に花が咲き、実をつける。たとえ排ガスまみれでも。

それは、毎日まいにち夜が来てまた朝が来るからだ。

わたしたちが時計がなくちゃ生活できなくて、

時計があったって、ともすれば寝坊したり夜更かししたり、

そんな生活のせいで身体を壊したりするのは、むりに朝や夜をつくったりしたからだ。

朝や夜を、自分のちからで造ったんだなんて、傲慢にも思い込んでいるからだ。

わたしは、こんな小さな花にだって負けている。



駅前があんまりいい匂いだから、いつもの交差点はどうだろうと自転車をちょっと停めてみた。

そしたら、白い花は排気ガスを絶えず浴びながら、

まだ硬い蕾を閉じて、蜜を必死に隠していた。

来週の今頃には、やさしく開いた小さな花弁から、

うっとりするようないいにおいを発していることだろうなあ。