アッシェンバッハの彼岸から -93ページ目

マリーとマリアとマリアンヌ


marie antoinette  『マリー・アントワネット』(2006 米)




映画『マリー・アントワネット』は予想通りの反響を呼んでいる。

何が予想通りなのかといえば、女の子受けは頗る良いのだけれど、

男性は「がっかりだなぁ~、全然ダメ」と口を揃えて云う。

ソフィア・コッポラ監督作は前2作も何度も観ているくらいすきなわたしはもちろん前者で、

試写を含め2回劇場に足を運んでしまいました。ええ。

でも、男性たちの意見もわからなくもない。

マリー・アントワネットという歴史上のドラマティックな女性を主役に据えているわりに、

政治や歴史を大きく揺るがす事件などにはほとんど触れない。ギロチンも牢屋も出てこない。

単なるティーンの不良セレブをロココ調に着飾らせ、完全にワンサイドからの視点で描く。

つまり、ソフィアは自分の分身を、今度は18世紀のパリに送ったわけである。

なぜパリかって?だって小さい頃からお姫様とかお城に憧れてたんだもん。

前作でオスカーもらってお金いっぱいあるんだもん。

きっと、そんな理由でヴェルサイユなのだ。

そんなお城にリアリティなんてあるものか。

でも、だからこそこの映画を好きなのだ、わたしは。



ところで前置きが長くなったが、そんなわけでこれは、

大物監督2世として、小さな頃からわけのわからないルールだらけの大人たちの世界に抛り込まれ、

不当にチヤホヤされてきたソフィア・コッポラ自身の経験が投影されている。

アントワネット役のキルスティンも子役上がりで、小さな頃から大人社会で孤独を味わってきたんだとか。

デュバリー夫人役アーシア・アルジェントも監督2世らしいし、

ルイ16世役のジェイソン・シュワルツマンもまたソフィアの従兄弟にあたる七光り俳優。

きっと皆、ソフィアの脚本に強く共感した者たちなのだろうと勝手に推測してみる。


そしてわたしにとって最も特筆すべきなのは、マリア・テレジア役のマリアンヌ・フェイスフルである。

出番は少ないものの、彼女はわたしに最も忘れられない印象を残した。


ミック・ジャガーの恋人として、良くも悪くも60年代スウィンギン・ロンドンのポップ・アイコンとなったフェイスフル。

お嬢様学校の女子高生時代、ストーンズのマネジャー、オールダムの目に留まり歌手デビュー。

あまりのかわいらしさとミック&キース作のAs Tears Go Byでたちまちトップ・アイドルに。

映画『あの胸にもういちど』では裸に黒レザーのライダースーツで

愛人アラン・ドロンの元へハーレーを疾駆させ、世界中の男子たちに鼻血を出させた彼女は、

「ルパン3世」の峰不二子のモデルとも云われてるそうな。

ただし、この頃の映像を見るとたいていはハシシのせいで、

ただでさえ物憂げな彼女の目はほとんど焦点を結んでいない。

同時に、ドロンの手が彼女のレザースーツのジッパーを下ろした瞬間に、

彼女の「清純派アイドル」としての地位は失墜し、

その後はスキャンダルにまみれてドラッグに身を染めることとなる。

そして20年以上も汚らしいスクワットと更生施設を行き来したすえ、

1979年頃に歌手として復活したときは、別人のような姿になっていた。

天使のようだった声は別人のようにしわがれてダミ声になり、

プラチナブロンドのロングヘアは枯れた藁のよう。

ヘロインのせいで白いうりざね顔には年齢以上のシワが刻まれ、

目は落ち窪んで隈ができ、頬はすっかりこけていた。

これほど、若い頃と印象がかわってしまった人も珍しいのではないかとおもう。


けれど、いま彼女がすてきなのは、そんな暗黒の20年間もすっかり自分のものとして、

どっしりとしたオバサン体型を隠したり変えようと必死になることもせず、

ちょっとやそっとのことじゃ揺るがない泰然とした母性や、

自然体の感じのよさみたいなものを身に着けたところだ。

あのダミ声は決して美声とは言えないけれど、あんなふうに唄えるのは彼女だけだ。

で、そんな彼女がマリア・テレジアをやってるというのだから、

わたしはもう胸が熱くなってしかたなかったのである。

ハプスブルク家の女帝と言われ、さまざまなものを失いながらも、

つねに前向きに生きた母・テレジアを演じながら、

薄汚いポップの世界に抛り込まれてとつぜん大金を手にし、

身を持ち崩してロンドン1の放蕩娘と云われたかつての自分を、

アントワネットに重ねていたのではないだろうか。

でもいま、断頭台でなく、自分の立つ瀬を見つけた彼女はもう、アントワネットなんかじゃない。



marianne faithfull

'60年代のフェイスフル。こんなきれいな女の子見たことない。




これまで、壮大な歴史絵巻の中で、

表面的に(それも悪役で)しか描かれて来なかった一人のティーンの女の子が、

儚げな映像と、泡のように消えてった'80年代のニューロマンティックポップに彩られて駆け回る。

何も生み出さなくても、確実に夜明けがやってくることで感じる倦怠感と虚無感。

このせつなさ、デカダンス、椅子を蹴って映画館をあとにするオジサンたちにはわからないのかなあ!!!


日本にだって、空虚な毎日を埋めるみたいに買い物に走るOLだとか、

お酒やパチンコしか楽しみがないとゆうサラリーマンばかりなのに。

快楽がお手軽になりすぎて、恐ろしいことに、みんな虚無が見えてないんだ。

わたしもきっとそう。世のなか、皺くちゃで醜いアントワネットだらけだ。