アッシェンバッハの彼岸から -92ページ目

手折る

Marianne Faithfull
A Stranger on Earth: An Introduction to Marianne Faithfull


数日前の日記に偉そうにぶったわりに、

例の交差点で信号待ちしていて、つい流れてきた甘い香りにひきよせられて、

気付いたら白い沈丁花の枝を1本、手折っていました。

香りを胸いっぱいに吸い込みながら片手で自転車を漕いでいたら、

シャッフル再生にしてたMP3プレイヤからAs Tears Go Byが流れ始めてドキッとなる。

そういえばわたしって、音楽を聴くとき、ちっとも歌詞を聴いてない。

ということに最近気付いたので、あらためて歌詞に耳を傾ける。


私は公園に坐って、子供たちが遊ぶのを見てる

彼らは笑ってるけど、その笑顔は私に向けられてるんじゃない

私も昔、ああやって遊んでた 子供たちは新しいことをしてるとおもってる

私はもう子供じゃないんだなあ


わたしの英語力によれば、そんな歌詞らしい(適当すぎ?)。

これ、公園で涙を流れるままにさせてるマリアンヌ・フェイスフルなら美しいけど、

ミックがつくった唄なんだよね。あんなに危ない唄ばかり書いてた人がなあ。

そういえば、子供ほど残酷な生きものはない。


最近の子供は、公園であそばないらしい。

ボール遊び禁止の公園が増えたのと、テレビゲームが人気なのと。

変な人が徘徊していそうな世の中も、理由のひとつかもしれない。

そうだわたしはもうとっくに子供じゃないんだ、時間は過ぎるのだ。

何だか随分年を取ってしまったけど、おとなになるというのは単に年を取ることじゃない。

工業製品という死者に囲まれて満足して、

季節の移り変わりに気づけないようなおとなにだけはなりたくない。

だけど、ひっそりと咲くちいさな花を殺して良い理由はない。


テーブルに置いたちいさな花は、狭い部屋中を芳香で満たしてくれている。

その香を嗅ぐたびに、自分のなかの傲慢な子供に胸が痛む。