アッシェンバッハの彼岸から -79ページ目

贅沢な休日


LA FOLLE JOURNEE au JAPON




連休の最後は、ラフォルジュルネ・オ・ジャポンとゆうクラシック音楽のお祭りへ。

有楽町とゆう東京のど真ん中で5日間200公演だなんて、聞くだけで胸が躍る。

おまけに、信じがたいことに1公演1500円とか3000円とか。毎月やってほしい。

ことしは友人が、この計画性ゼロのわたしにチケット販売の前に教えてくれたので、

2日間で4公演のチケットを取り、2ヶ月以上前から準備万端。

これがすばらしく楽しかった。


まずは華々しくロマンチックに始めましょ、てことで、真昼間に大ホールのガーシュインから。

ウディ・アレンの『マンハッタン』を愛してるし、

ラプソディ・イン・ブルーってあの勿体ぶった感じがいやらしくて、

週末の期待を盛り上げてくれそうではないですか。

ゴーージャスなピアノの音は、歓喜の悲鳴を上げながら猛スピードで天井まで駆け上がったかとおもうと、

ぎりぎりのエッジをなぞっておりてくる、そのエッジがきらきらきらきらと泡立つ感覚が、

なんとゆうかこそばゆいと心地いいの絶妙の感じ。

とおもったら、いろんないろの金平糖のかたちになって、

飛沫をきらきら飛び散らせながらこちらへ突進してくるのだけれど、

指で触れようとすると水みたいにこの指先を飲み込んでしまうみたいなのだ。

そうおもったら、和音が色つきの透明チューブみたいになって、

その中をいろんな色の糸がたくさん、絡んだりぶつかったり、

びくっと縮んだりしながら飛び回ってるみたいに見える。

不協和音て、だからすきなんだ。

1曲おわったら、往年の名作映画を1本観たみたいに顔が上気している。


ああ、音のエッジがぎざぎざふわふわ、クレーの水彩画みたいに滲んで見えるのは、

このホールの音響のせいかな。余韻がふんわり沈み込んでいくとゆうのでなく、

中空にたゆたうというのでもなく、行き場を失って音の周りに絡み付いてしまう感じがする。


そのあと、屋外に出て余韻をつまみにシャンパンなんて飲んで、

ガラスの大きな建物に変な形に切り取られた空を見ながら、

笑い声を上げてひっきりなしに往来する人々の足音をきく。

遠くからアイルランド民謡みたいな楽しいヴァイオリンかなフィドルかな、

嬌声を上げて跳ね回る人たちの声に似た音が聞こえて、わぁっと拍手があがる。

5月の晴れた昼下がりなんて、それ自体がシャンパンみたいなものだ。


夕刻からストラヴィンスキーを聴きに。

ピアノが4台も縦に並んでるさまは、それだけで壮観とゆうか異様とゆうか。

そもそもピアノって1台でオーケストラに匹敵する楽器だとおもってるわたしは、

さて、4台も並べたらきっと胸焼けするな、とにらんでいたのだけれど、

何もかも唐突じゃなきゃ気が済まないみたいな音楽で、おもしろくてしかたなかった。

テレビアニメみたいな予定調和にあふれてて、気づかぬうちに頽廃に向かってる世のなかで、

なんだか人を喰ったみたいな音の集合。

ふと隣を見たらキシダも、前歯を全部むき出して満面の笑み。


それで、もっと幸せだったのは今日。

昼間はピアノ四重奏を聴き、この人たちの特にヴァイオリンの伸びやかさつややかさに惚れ惚れとしてすっかり気分が良くなって、おもてでミュスカデ2杯飲んで本を膝に置いたまま昼寝をし(紫外線に対して無防備すぎ)、夜はまたあの「滲みエッジの大ホール」へ。

ラフマニノフのピアノ交響曲第2番は、とにかく死ぬほど好きで、

少なくとも300回くらいは聴いている気がする。

ベレゾフスキーとゆう人のピアノは初めて聴いたのだけれど、

ものすごいでっかいおじさんで、わたしなんかの3倍の大きさと指の数を持ってそうな手。

わたしが日ごろ愛聴してるカペルよりは耽美でも優美でも華やかでもないが、

アシュケナージよりは重たく粘っこくない感じ。かな。

いや重たくないんでないな、とにかく的確かつ烈しく悲壮なラフマニノフだったような。

素晴らしかったけれど、もうちょっと情けない奴ぽいピアノがわたしはすきだ。

けれど、初めて生で聴いたらやっぱり全然違う。当たり前だけれど。

なんとゆうか、音が立体的になっていろんなところからこちらへ飛んでくる。

いろんな恰好と色と大きさとで空間いっぱいに、三次元になって飛びまわってふってくる。

半透明になったり、ミルフィーユみたいに重なったり、

ラインストーンみたいにギッシリ並んできらめいたり、崩れたり。

嘆いたり媚びたりあきらめたり笑ったり身を捩って泣き叫んだり。

音が感情とゆう形でわたしに伝播して、そのたびにわたしもいろんなおもいを味わう。

演奏が終わると、何人もの観客が立ち上がって、

「ブラボー!」と叫びながらいつまでも拍手を送り続けていた。

そんで第三楽章のクライマックスからまさかのアンコールに感激。

胸いっぱいで地下鉄に乗る。頭のなかで、第二楽章がはじまったところで玄関のドアの前。


しかし、「滲みエッジの大ホール」では、

超絶技巧によって鍵盤から切り離された無数の音の粒が、滲んでいくつか繋がって、

繋がった恰好のまんま半透明の袋に入れられたまんま漂ってるみたいな気がした。

ただ、わたしの耳がこの箱に慣れてないだけなのかな。

と、なんだかんだいっても、感激でいっぱいの連休最終日だったのでした。

(あたまの中の残響のせいで、朝4時まで眠れず。よって睡眠不足の連休明け)。