雨の唄じゃない
Creedence Clearwater Revival
仕事中はいつも、iTunesをシャッフルにして音楽を聴いている。
ふと言葉に詰まって、キイボードを叩く手を休めた隙に、
"Have You Ever Seen The Rain?"と唄うジョン・フォガティの声が耳に飛び込んできた。
『ダイ・ハード4.0』で、50代になったマクレーンのナードな相棒が
「カビ臭いロックじゃん」とか何とか評していたクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルであります。
わたしはいつも、唄を聴くときに歌詞を気にしたことがあまりない。
意味のわからない言葉のリズムとか音を聴いてるのがすきなのだ。
でも数年前かな、「雨を見たかい」とゆう邦題のついたこの歌は、
”RAIN”て云ってるくせに、ちっとも雨っぽい音じゃなくて、
そのくせなぜか梅雨時になると毎年、FMでよくかかったりしてるのがふと気にかかった。
レコードのライナーノーツかなんかを拡げたらすぐにわかった。
1970年のこの曲は、ぜんぜん雨の唄なんかじゃないのね。
嵐の前の静けさ。晴れた日に降る雨。つめたい太陽。
ここでいう雨とは、ナパーム弾の隠喩。有名な話である。
このベトナム反戦の唄は、イラク戦争に際しても自粛の対象になったらしい。
それがなんでクルマのCMなんかに使われてたのかね。
無関係で無責任かつ安直かつお節介なキャッチコピーがついてたような。
あれは確か9.11の前だった。
こないだの土曜日の昼間、雨が上がったのでベランダで洗濯ものを干してたら、
油蝉の、みーんみーんと啼いてる声が聞こえてキシダとふたり、顔を見合わせた。
そろそろ梅雨明け?
同じ日の夕方、仕事のために海外ドラマを観なきゃならず、
気乗りしないままレンタルビデオ屋を訪れた。
想像を絶する膨大な数のDVDを前に途方に暮れた帰りみち、
神田川沿いに小さな喫茶店をみつけて自転車を停めた。
10人も入ったらいっぱいになってしまいそうな店内に、
わたし以外の客はおらず、珈琲を註文すると、
行きがけに立ち寄った図書館で借りた本を開く。
しばらくして、ちりん、とドアが開いた音がした。
何気なしに目をやると、彼はわたしの名を呼び、こちらに軽く手を上げた。友人だった。
空の青が深くなってきて、立ち上がる。
キシダもそろそろ帰ってくるし、これから晩ご飯つくるから食べてけば?ということになり、
「男子のキミが漕ぐ係ね」と、わたしはうしろの荷台に乗る。
濃い緑の木々の下を自転車で走ってゆくと今度は、かなかなかなかなかな、と蜩の啼く声がした。
わたしは友人の背中をつつく。
そろそろ梅雨明け?
鰹の手こね寿司をつくりながら考えた。
わたしは雨を見たことがない。
ぽっかりと、わたしたちの周囲だけが世界の悲劇から取り残されている。
このふやけた時間も、嵐の前の静けさなのかな。