アッシェンバッハの彼岸から -59ページ目

飛び続けるしかない鳥は


Deserto Rosso  『赤い砂漠』 1964年 フランス=イタリア



夏は暑さのせいで風景が歪んで見える。


こんどはアントニオーニである。94歳だから大往生ではある。

ずっとまえにもここに書いたけれど、

わたしはミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』がたまらなくすきだ。

ものごとは、目に見える形だけに見えるのでないということ。

この映画に描かれているものを見ていると、

果たして自分の見ているものはなんなのか?正しいのか?ここにあるのか?ないのか?

そもそも、わたしはここに存在してるのか?存在して、これを見ているのか?

いろんなことが不確かに思えてくる。

それは間違っていなくて、確かなものなんて、この世にはそう多くないはずだ。


けだるくて不安。世界は虚ろな色と音に満ちている。

モニカ・ビッティは、いったいどこを見ているのだろう?

いつも焦点を結ばない物憂げな目でとおくを見ていて、

唇はなにか云いたいのか云いたくないのか、半開きのまんま。

証券取引所で働くアラン・ドロンは対照的にエネルギッシュ。

お金の姿はまったく見えないのに、株価が大暴落したとかで大パニック。

モニカの視線は周囲を彷徨う。

建物、塀、街頭だとか、バケツの水だとか。いろんなかたち。それらは黙したままそこに存在する。

けれど、果たしてわたしは、どうしてここにいるんだろうか。いるのだろうか。

わたしは道を歩きながら、会議の途中で、仕事のための映画を観ながら、

幾度『太陽はひとりぼっち』に描かれた風景をおもいだしただろう。


『赤い砂漠』では資本主義と、工業化に対する批判をにおわせながらも、

ここでもやはり主人公は世界から浮遊している。

まるで、どこの港にも立ち寄らない船みたいによるべない。

求めるものは、船のなかにしかないのだ。


さいごに観たのはオムニバスの『愛の神・エロス』。

これはアントニオーニをリスペクトする2人の監督と、

アントニオーニ自身の作品によるオムニバスだが(音楽はカエターノ・ヴェローゾ)、老境に達したアントニオーニによる表題作は、わたしの理解を完全に超えていた。

このオムニバスでは、ウォン・カーウァイの手による作品が秀逸だった。

カーウァイといえば『欲望の翼』がいちばん好きなのだが、

その中に「足をなくして、死ぬまで飛び続けるしかない鳥」の話というのがある。


今日もあしたもまた、ついていけないような速度で、

いろんなものが目の前をゆき過ぎる。