飛び続けるしかない鳥は
『赤い砂漠』 1964年 フランス=イタリア夏は暑さのせいで風景が歪んで見える。
こんどはアントニオーニである。94歳だから大往生ではある。
ずっとまえにもここに書いたけれど、
わたしはミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』がたまらなくすきだ。
ものごとは、目に見える形だけに見えるのでないということ。
この映画に描かれているものを見ていると、
果たして自分の見ているものはなんなのか?正しいのか?ここにあるのか?ないのか?
そもそも、わたしはここに存在してるのか?存在して、これを見ているのか?
いろんなことが不確かに思えてくる。
それは間違っていなくて、確かなものなんて、この世にはそう多くないはずだ。
けだるくて不安。世界は虚ろな色と音に満ちている。
モニカ・ビッティは、いったいどこを見ているのだろう?
いつも焦点を結ばない物憂げな目でとおくを見ていて、
唇はなにか云いたいのか云いたくないのか、半開きのまんま。
証券取引所で働くアラン・ドロンは対照的にエネルギッシュ。
お金の姿はまったく見えないのに、株価が大暴落したとかで大パニック。
モニカの視線は周囲を彷徨う。
建物、塀、街頭だとか、バケツの水だとか。いろんなかたち。それらは黙したままそこに存在する。
けれど、果たしてわたしは、どうしてここにいるんだろうか。いるのだろうか。
わたしは道を歩きながら、会議の途中で、仕事のための映画を観ながら、
幾度『太陽はひとりぼっち』に描かれた風景をおもいだしただろう。
『赤い砂漠』では資本主義と、工業化に対する批判をにおわせながらも、
ここでもやはり主人公は世界から浮遊している。
まるで、どこの港にも立ち寄らない船みたいによるべない。
求めるものは、船のなかにしかないのだ。
さいごに観たのはオムニバスの『愛の神・エロス』。
これはアントニオーニをリスペクトする2人の監督と、
アントニオーニ自身の作品によるオムニバスだが(音楽はカエターノ・ヴェローゾ)、老境に達したアントニオーニによる表題作は、わたしの理解を完全に超えていた。
このオムニバスでは、ウォン・カーウァイの手による作品が秀逸だった。
カーウァイといえば『欲望の翼』がいちばん好きなのだが、
その中に「足をなくして、死ぬまで飛び続けるしかない鳥」の話というのがある。
今日もあしたもまた、ついていけないような速度で、
いろんなものが目の前をゆき過ぎる。