アッシェンバッハの彼岸から -57ページ目

のみこまれる


パークハイアット



地下鉄の出口を出て、日が暮れていないことにすこしホッとした。

「都庁前」なんて駅で降りるのは、初めてのことだ。いつもはタクシーを使うから。


昼過ぎに前の仕事が終わり、会社に戻るのもしんどくて、

カフェのテーブルにノートPCを拡げた。

それで、気づいたら日が暮れかかっていて、慌てて立ち上がる。

カオスのような街を早足で横切る。

自分でもわからないけれど、なにかが怖くて、わたしはいまだに立ち止まれないのだ、この街では。

日が暮れるにしたがって、どんどん埃っぽく汗臭くなっていく。早く逃げ出さなければ。


駅の手前で電話が鳴る。ついていない。取材が1時間も押している。

とっとと仕事なんか終わらせて、家でくつろぎたいのに。

立ち止まれないわたしは地下鉄で、真っ暗な穴に吸い込まれる。


わずか十数分地下鉄に乗っただけれで、「都庁前」駅のあたりは別の星のようだった。

巨大な通りが目の前をぎゅんと横切っている、真っ平らな土地に、気ちがいじみた大きさの建物がいくつも。まるであきらめ顔で、くすんだ紫いろの空のなかに突っ立っている。あたかもこの星が生まれたときからずっとそこにあるみたいな横柄さで。

そして、このひとけのなさ。いや、駅へ向かう無数の人々とすれ違っているけれど、みな小人みたいな小ささで、まるで生きているようにみえない。

わたしは汗ばんだ身体で、急かされるように歩き続ける、どんどん日が暮れて行く、まるで世界がももいろの水の中にすこしずつ沈んでいくみたい。

行く手に、ひときわ大きな建物が聳えているのがやっと見えた。

映画『ロストイントランスレーション』で使われてるホテルには、

月に一度以上は必ず訪れている。さびしいことに、すべて仕事でだけど。


建物の前の広すぎるエントランス広場には、祭りのように大勢の人々が群がっていた。

人々の声はどこかに吸い込まれてしまうらしい。ここでも、賑わいの割りに妙に静か。

一角がビアガーデンになっていて、サラリーマンらしき人々が耳まで赤くして楽しそう。

彼らをうらめしげに横目で見ながら、豪奢なホテルエントランスに向かう。

ふと振り返ると、空が真っ赤だった、巨大な箱たちもやはり、

真四角な頭をを薄紫の空に突っ込んで、ももいろの世界に茫洋と立ち尽くしていた。

あすこからは、世界はまたぜんぜん違ういろに見えるのだ、それはそれは小さく。不気味なほど真っ平らに。

顔を上げたら、アスファルトから何から、目に見えるもの全部がおなじいろに染まっていた。

わたしはつい立ち止まって、視界に入るだけの、ちいさな世界を眺めた。


それから振り返って、薄暗くて冷房の効き過ぎた建物のなかへ入る。

ものすごく速いエレベータで、あの空のなかへ向かうのだ。