アッシェンバッハの彼岸から -56ページ目

ルチアノ&フィートウ

Pavarotti in Hyde Park
Pavarotti in Hyde Park Cesare Andrea Bixio Eduardo di Capua Ernesto de Curtis





フィートウってどこかの花の名前らしい。

つよくなったりよわくなったり、時々ブチぎれたみたいに唸り声をあげて、

きたならしい東京の街じゅうを駈け回る花です。


わたしはもともと、雨も風も嫌いじゃない。だから、颱風もそんなに嫌いじゃない。

街じゅうのよごれを洗い流してくれそうだし。

雨音は耳をうるおしてくれるようで大好きだし、

空がギシギシとあかるすぎないのは、気持ちがしんと落ち着くからいい。

一軒家に住まなくなってからは、雨が屋根を叩く音を聴かなくなって、すこしさびしい。


でも、今日みたいに怒り狂ってると。

あったかく黄いろい電灯の光に満ちた家のなかに同居人キシダとふたりでいるから、怖いということはない。

でも、あまりにつよいものや大きいものには無条件で恐怖をかんじる臆病者のわたしは、そんなに落ち着いてもいられなくなる。なにか必要だ。この颱風と拮抗しうるくらいつよすぎるなにかが。


最近、偉大な芸術家の死ばかりを聞く気がする。

きょうはパヴァロッティが。

わたしはオペラ通でもなんでもないけれど、

たまたま、とりわけ最近はパヴァロッティのレコードばかり聴いていたのだ。

ピアソラ以上に仕事が捗る音楽として。


そもそもルサンチマンのわたしには、まるで突き抜ける青空のような彼の声は、どちらかといえば勝手に引け目を感じてしまう類のもののはずだった。


なんだけれど、少しまえに観た映画のなかで使われていたパヴァロッティさんの声を聴いたとき、

なんだかむやみに単純に視界がすっきりして、意味もなく破顔一笑してしまったのだ。

こんなに迷いや憂いといったものがなくてまっすぐな声があろうか。

この大仰なほどのドラマチックさ、やりすぎなほどエネルギッシュなさまは、

フレディ・マーキュリー以上じゃないか?


よくわからんし、ろくな言葉で言い表わせないけれど、オペラってものすごいらしい。

いつから高尚なものになったのかも知らないが、

非日常的な高揚感、わかりやすい悲壮感、

18世紀や19世紀には立派に誰にでも楽しめる娯楽だったのに違いない。

敷居の高さはわからないが、少なくとも内容は。

だってこの嵐のようなドラマチックさ!


それで昨晩も、颱風の気配を窓の外に感じながら、パヴァロッティを聴いていたのです。

しばらく、颱風の日に聴きたくなるのは決まってバッハの無伴奏チェロだったのだけれど。

あしたは青空でしょうか。