アッシェンバッハの彼岸から -54ページ目

トレイントレイン

彼岸花




友人と神楽坂上で別れ、坂道を歩きながらキシダに電話をかける。

めずらしく、呼び出し音3回くらいで、もしもし、の声。


「終電まであと30分くらいだけど、どこにいるの?」

「神田、--さんの--会で」

ぜんぜん聞こえない。うしろがうるさすぎるせいだ。


みえないじゆうがほしくてー、みえないじゅうをうちまくりー


「え?なにが誰?」

「うん、ハヤシさんの送別会で、抜けれない。タクシで帰る」

「そうなんだ?きをつけて」


ハヤシさんとはきのうも飲んでたじゃん。

しかも、ハヤシさんがつぶれて、ハヤシさん本体は先輩の誰やらがタクシで連れて帰って、

キシダは彼の鞄と上着だけ持たされてかえってきた。

そうか、またひとり、どこか別のところへ行くのだ。

それで誰かがハヤシさんの背中にむかって、トレイントレイン走ってゆけ、と唄っている。


見えない自由っていったいなんだ?

自由なんて、すべてが目に見えないものじゃないのかな。

不自由ばかりが、目につきやすいだけで。


けさ、いつものように青山霊園の横を歩いていて、ふと立ち止まった。

彼岸花が咲いていた。ことしもやっぱり、今日までまるで気がつかなかった。

毎年そうなのだ。ある日とつぜん、気がつくのだ。彼岸花の花弁が開ききっていることに。

いつだって、毎年おもしろいほどとつぜん咲くのだ、わたしにとって彼岸花とは。

秋なのだなあ。

彼岸花、って、お彼岸に咲くからというのではなく、

まるで彼岸に咲いてるようにみえるから、彼岸花と言うのじゃないか。

この赤は、この世の赤なのだろうか?

毎年、緑のなかにこの赤い、半透明の花が、

いつの間にかそこにあるのを見るたび、おなじことをおもう。