トレイントレイン
友人と神楽坂上で別れ、坂道を歩きながらキシダに電話をかける。
めずらしく、呼び出し音3回くらいで、もしもし、の声。
「終電まであと30分くらいだけど、どこにいるの?」
「神田、--さんの--会で」
ぜんぜん聞こえない。うしろがうるさすぎるせいだ。
みえないじゆうがほしくてー、みえないじゅうをうちまくりー
「え?なにが誰?」
「うん、ハヤシさんの送別会で、抜けれない。タクシで帰る」
「そうなんだ?きをつけて」
ハヤシさんとはきのうも飲んでたじゃん。
しかも、ハヤシさんがつぶれて、ハヤシさん本体は先輩の誰やらがタクシで連れて帰って、
キシダは彼の鞄と上着だけ持たされてかえってきた。
そうか、またひとり、どこか別のところへ行くのだ。
それで誰かがハヤシさんの背中にむかって、トレイントレイン走ってゆけ、と唄っている。
見えない自由っていったいなんだ?
自由なんて、すべてが目に見えないものじゃないのかな。
不自由ばかりが、目につきやすいだけで。
けさ、いつものように青山霊園の横を歩いていて、ふと立ち止まった。
彼岸花が咲いていた。ことしもやっぱり、今日までまるで気がつかなかった。
毎年そうなのだ。ある日とつぜん、気がつくのだ。彼岸花の花弁が開ききっていることに。
いつだって、毎年おもしろいほどとつぜん咲くのだ、わたしにとって彼岸花とは。
秋なのだなあ。
彼岸花、って、お彼岸に咲くからというのではなく、
まるで彼岸に咲いてるようにみえるから、彼岸花と言うのじゃないか。
この赤は、この世の赤なのだろうか?
毎年、緑のなかにこの赤い、半透明の花が、
いつの間にかそこにあるのを見るたび、おなじことをおもう。
