アッシェンバッハの彼岸から -6ページ目

蜘蛛女のキス

わたしはだらしなく欲張りなので、常に読みかけの本が、それも家の中や職場のデスク、バッグの中などに常時4~5冊は散らばっているのだが、たまに一気に読んでしまう本もあって、最近では「蜘蛛女のキス」がそれ。

この小説には、ちょっとした仕掛けがある。映画で観ちゃうと一目瞭然なのだが。
読み始め、ふつうの男女の会話なの。
それがやがて、政治犯の青年バレンティンとゲイ中年モリーナの会話であり、ここが牢獄の中であることがわかってくる。
それも、会話ってのが一見とりとめもない、映画の話ばかり。そもそもこの小説、映画の話+時々会話+ほんの少しの報告書だけで構成されている。
5~6本登場する劇中映画には本物もあれば架空の映画もあるらしいのだが、どれもちょっと悪趣味でロマンチック、なんというか1930年代とかの、スクリーンが美男美女だけで構成される夢の世界だった頃の映画ばかり。きらびやかなファッションや、美しい風景、素敵な家具調度品について、やたら詳細に語られたりする。
この語りが物語にどう関係するんだろと思いつつも、モリーナの語りについつい引き込まれる。数本の映画が登場するんだけど、これが不思議、2人の心情と、物語に次第に重なってくるのだ。
搾取され貧困にあえぐ労働者を救おう、という正義と男気にあふれる活動家と、政治オンチでファッションや映画を愛する心優しいゲイ。そんな牢獄でなければすれ違うこともなかった2人の間に、ある感情が芽生え、やがて革命とカウンターカルチャーは融合する。
彼らの関係は、愛とか友情とかで簡単に語れるものではない。
そして彼らのセクシャリティは次第に、その外見や性質が表すものと逆の様相を呈してくる。
バレンティンはモリーナの心優しさに触れ「恋愛においても搾取されるんじゃない」なんて語って聞かせたりする。果たして、この小説の結末、それは「搾取」の結果だったのか。わたしにはどうしても、モリーナがそれを望んでいたとしかおもえないのだ。そして革命家の男性性は揺らぎ続ける。心の中にはいつまでも女がいるのだ。それも、自分の身から出た蜘蛛の糸にがんじがらめにされている女が。


それにしてもここでは、ブルジョアが労働者を搾取するように、女性は男性に搾取されている、なんて書かれている。強権的な夫に召使のようにかしずく妻。これって現代には当てはまらないよねー、なんて言う人も多そうだけど、果たしてそうだろうか。
確かに、おウチには鬼嫁もいるかもしれないが、社会に出てみたらどうだろう・・・



これ、映画もとても素敵なのだ。と先日、うちのキシダにその話をしたら、

「ゲイでラテンの映画って言えばほら、『桃のシャーベット』って映画、良かったよね」と。


桃のシャーベット?!

って何だよ!!


『苺とチョコレート』のことが言いたかったらしい。