アッシェンバッハの彼岸から -46ページ目

福は内


福は内



きょうは、この街に住んで初めての節分の日。


昨晩、ベッドの中でポール・ギャリコの『ジェニイ』を読みながら寝たせいで、

わたしは自分が猫になった夢を見ていた。

猫にとって、雨の日に泥水をかぶることは当たり前、靴音や雨を跳ねるタイヤの音など、

地面からのあらゆる音は、頭痛を起こすほどの大音量。

人々の巨大な靴は、自分を踏みつけたり蹴り上げたりするたいへんな脅威なんである。

地面が何かとこすれ合う、ガーッ!とかシャーッ!という不気味な音が迫ってきた。

恐怖を感じてゴミ箱の蔭に丸まってたところで、水の底から浮き上がるみたいにぼんやり目を覚まし、人間のわたしはカーテンがやけに白く発光していることに気づいた。

それに、家の中だのに鼻の頭がやけにつめたい。

やがてひっきりなしに聞こえてくる例のガーッ!シャーッ!が、スコップで雪かきをしている音だと気づいて、隣で鼾をかいているキシダをたたき起こしたのです。


わたしたち住む部屋は商店街の中にあって、ガーッ!の人たちはどうやら、開店前に店の前の雪かきをしているよう。

お隣同士なのか、会話をしている声が呑気でどこか楽しげだ。

それで、そうだ今日は商店街の豆まき大会があるってポスターがあちこちに貼ってあった!と思い出した。

この商店街は、大きな商店街ではないけれど、とにかく月に一度ほどなんらかのイベントをやっている。

それはいつでも乾いて埃っぽく、他人行儀な東京の真ん中とは思えないほど、賑やかなのだ。


雪の降るベランダに出て、まずは家々の屋根がまっしろなこと、

その次に、目の前の商店街に大行列ができていることに驚いた。

商店街の入り口にあるお地蔵さんの前から、子供や大人が、色とりどりの傘を差し、白い息を吐きながらずらっと並んでいるのだ。

「よくわからないけれど、並んでみよう!!」

野次馬根性の我々も、マフラーに手袋、ニットキャップで完全装備して表に出ると、白い息を吐きながら最後尾につく。

やがて順番が回ってくると、「招福袋」と書かれた袋を手渡された。

さっき商店街のおばちゃんが言っていたことによれば、中身は豆らしい。

お地蔵さんに両手を合わせて、なんだかすっかりうれしくなって帰宅。

袋を開けてみると、ぴかぴかの五円玉1個と、殻付きの落花生がごろごろ出てきた。

落花生といえば、わたしの郷里の数少ない名産品のひとつでもある。

都会の真ん中、いくつもの巨大なマンション建設現場に囲まれながらも近所の人々で賑わう小さな商店街と、大きな駐車場のある巨大ショッピングセンターが畑の真ん中にそびえる住宅街。

似ても似つかない街だけれど、なんだか勝手に縁を感じて、妙にうれしくなった。


ソファで本を読んでいるとキシダが、「福は内!福は内!」と言いながら、豆をぶつけてきた。

やめてー!と言うもの聞かず、頭から豆をぶつけまくるもんだから、洋服の内側にいくつも豆が入って冷たいし、ごろごろするし、くすぐったい。

お返しに彼の頭からも豆をぶつけてやる。「福は内!福は内!」

彼の着ているパーカーの襟元からも、豆を背中に入れてやる。冷たい!やめろ!と逃げまくっている。


あっという間に床が豆だらけになった。

外からは、商店街のおばさんがマイクを通して「福は内!」と呼びかける声が聞こえてくる。

そういえば商店街では、「鬼は外」とは言わないようだ。

「福は内!」と子供らの賑やかな声を聞きながら、わたしたちは床に落ちた豆を手のひらに拾い集めた。