潜水服は蝶の夢を見る
お仕事で毎週何本もの映画を観るけれど、
これは!とおもうものには本当に10本に1本出会えるかどうか。
そのなかで、昨年11月に観た時点ですでに2008年の5本指に入ってしまうんではないだろうか?
とおもったのがジュリアン・シュナーベルの『潜水服は蝶の夢を見る』。
あまりにもすきなので、この映画のオープニングで流されるシャルル・トレネを、
12月のじぶんの結婚式に使わせてもらったくらいである。
そもそもこの『潜水服~』は、わたしの大嫌いなジャンルである「難病モノ」。
しかし、なんと泣かせ演出は皆無。だからぜんぜん重たくもない。
それどころか、わらってしまうようなユーモアがいっぱい。
これは、独特のシニカルさとユーモアに満ちた原作者の人間味によるところ。
そして、映画としてすばらしいのはなんといっても、
映画が主人公の主観から始まり、やがて三人称となっていくところである。
主人公ジャ=ドーが、まるで潜水服に閉じ込められて海の底に沈んでいるようなじぶんの状況に絶望し、
やがてそんなじぶんにも、蝶のように羽ばたくことのできる想像力、記憶があるじゃないか、
と気づいたあたりから、映画は一人称の世界から、
ベッドに横たわる、あるいは車椅子に坐る主人公を俯瞰しはじめる。
つまりカメラは主人公とともに、主人公の目に見えるだけの世界から、
主人公の記憶と想像力でかたちづくられる世界へ、共に羽ばたくのである、蝶のように。
この映画が云うところの「生きることのすばらしさ」とゆうのは、
誰かが死ぬ映画のポスターに大抵は書かれてあるような、
「だから命を大切にしよう」みたいな即物的な意味ではない。
いま健康に生きて、あらゆる物質的豊かさを甘受している人々、
つまり現代に生きる我々こそがもっとも忘れ去ってるもの、
すなわち想像力や記憶というもののすばらしさを云っているのだ。
上述のトレネの“La Mer”や、“Don't Kiss Me Goodbye”と唄うフランス訛りの英語が、
終映後もいつまでも耳に残る。
さあ、テレビ消そうよ。
