アッシェンバッハの彼岸から -14ページ目

貧乏性の食いしん坊

「さてお昼ご飯どうしよう」と考えたとき、どうしてもトンカツが頭に浮かび、忘れがたくなってしまった。

いきおい、着替えると日傘を持って家を出る。
向かうは神楽坂駅前のトンカツ屋さんである。坂道を歩いて10分弱。キシダに知れたら「そんな腹でアンタ。少しくらい自重しなさいよ」と、またイヤな顔されるだろうなあ。
でも、いちど「食べたい!」とおもったら止まらないのが食いしん坊というものなのだ。
毎日3食自炊してるのだ。1食につき2人前500円とかで。たまには800円で、分厚いロースかつ定食を頂いたって良いではないか。しばらく経ったら外食そのものが不可能になるんだし。


カウンターに坐ると、おばちゃんが「あれ?このお腹は、もうすぐじゃない?」と、笑顔で丼に山盛りのご飯を盛ってくれる。
「そんなに食べれません!すこし減らしてください」と今日もお願いする。
「駄目よ2人分食べなきゃぁ」とおばちゃんは言うものの、すでに太りすぎなのだ。いまの妊婦は体重制限がうるさいのよ。


それとね。

食べることが何よりもすきなわたしだが、食べ残すことは何よりも嫌いなのである。

だから定食屋さんなどに行き、丼にほかほかと山盛りのご飯を供されたりすると、箸をつける前に「すいません、残すのがもったいないのですこし減らしてください」とお願いすることがよくある。

アルバイト店員さんがホール係をやっているようなチェーンのお店より、地元でおじさんおばさんが長年続けてるような、小さなお店につい惹かれてしまうのもある。

そのせいか、それとも貧乏性すぎるせいか、毎週通ってる常連さんってわけでもないのに、お店の人に顔を覚えられてしまうことが多々ある。


でもね、貧乏臭いといわれようが何しようが、わたしはとにかく残すのがイヤなのだ。だって残すってことは捨てるってことでしょ?


ところがね、平気な顔して料理を食べ残す人間の、なんと多いことよ。

で、いわゆるオシャレなお店なんかに詳しいひとほど、その傾向が高いようにおもう。


まずは若い女の子たち。会社なんかで一緒にランチとやらに出かけるとする。彼女らはオカズ(特にメインディッシュの肉料理なんか)はキレイに食べる。もちろんデザートも。
だけど、ご飯だけは平気な顔して半分以上食べ残したりする。
中には、メインの付け合せに乗ってる野菜をキレイに食べない人間もけっこう多い。
これがランチセットでなく居酒屋さんなんかだったら、そんなお皿を下げられそうになるたびに「あ、待ってくださいその付け合せのサラダ食べますんで」と云ってしまうわたしって、みっともない?貧乏性だろうか?

でも、わたしからすれば、お皿をキレイにしないことのほうがよほどスマートじゃないとおもうのだ。

だいたい野菜食べないってどうよ。女の子のくせにさ。厚化粧する前に野菜食べたらどうよ。


それから男性たち。
居酒屋さんなんかに飲みに行って、テーブルいっぱいにつまみを註文する。テーブルが空いてくるとまた追加註文し、それぞれのお皿からちょろちょろとつまむ。
で、少なくない料理を、平気で食べ残して席を立つ。
このテの独身男性って意外にたくさんいるのね。
わたしもかつて若くて、若いというだけでそれなりに男性たちに食事に誘われたりなんかもしていた頃、相手がこういう食べ散らかし方をするのを見るたびにガッカリし、「この人とはもうご飯食べたくないわね」と偉そうにも思ったもんである。


そんなわけでわたしは、とにかく「美味しそうにキレイに食べる男性」が好きである。毎日の食卓でそうならば、ちょっとくらい他の部分がアレでも全く気にならない。その逆より百倍いい。

うちのキシダなんかは、わたしが明らかに分量を誤った、きちがいじみた量の炒め物を、「ちょっと作りすぎだけど、でもうまいよ」と言いながら一生懸命食べてくれる。一瞬、ジョニデどころでなくイケメンに見えてくるというものだ。


こんなわたしってやっぱり貧乏性なんだろうか?

それとも、前回のトピックで述べたとおり


「ヤバイあたしこのままじゃ確実に路頭に迷うし」


という時期を経験したことがあるせいだろうか?

それとも貧乏育ちだからなのか。貧乏育ちの親に育てられたからなのか。


そのたびにおもうことがある。
わたしが食べ物について「まずい」というコトバを覚えたのは、小学校に上がってからであった。給食の時間に覚えたのである。他の子たちが、カサカサに乾いたコッペパンや水っぽいシチューやぬるい牛乳を口にするたびに連呼するからである。
それまで、わたしという子どもにとって「まずい」食べ物はこの世に存在しないものであり、食べるものは必ずや「美味しいもの」であった。
レストランのような味ではなくても、少々味付けに失敗していようとも、父親という人間が稼いだ多くはない給料で賄われ、あるいは母親という人間がその手でわたしという子どものために調理した料理は、不味いものであるはずがなかった。


じゃあ、自分の手で稼いでいる人間ならば、食べ残しても良いものか。
それはやっぱり違うとおもうのだ。
食べれないなら註文するなよ、って話である。

素朴な疑問。いまの若いひとたちは、なんて言うと年寄り臭いが、「食べられるってありがたいことなんだよ」っていう当たり前のことを教わって来なかったんだろうか。

「食べること」がものすごく簡単であたりまえでつまらないことになってしまいがちな現代、自分の子どもにこれを素晴らしくありがたいこととして認識してもらうためには、どうすればいいんだろうか。


トンカツ定食のお皿をどれも綺麗にして席を立つ。カウンターの上に乗せようとしたら「いいよ、いいよ、そんな大きなお腹でムリしないの!」とおじちゃん。「お大事にするんだよ!またそのうち来てね」とおばちゃん。


無言のゴミ箱にプラスチックのパックごと残飯を捨てるのなんかより、ずっと気分がいいではないですか。