模様替え(友達の)
今日、昼すぎから夕方すぎまで、友人の部屋の模様替えを手伝ってきました。
友人の部屋なので写真はナシで……。
疲れたけどけっこう楽しかった。
途中、模様替えじゃなくて大掃除になってましたが。
私自身は模様替えは必要に迫られなければあまりやらないんですが、気分は変わっていいかもなあってちょっと思いました。
……でもやっぱ、私は機能優先かなぁ。。。
悩ましいです。
掃除の話も書きたくなりましたが、長くなるのでまた今度。
友人の部屋なので写真はナシで……。
疲れたけどけっこう楽しかった。
途中、模様替えじゃなくて大掃除になってましたが。
私自身は模様替えは必要に迫られなければあまりやらないんですが、気分は変わっていいかもなあってちょっと思いました。
……でもやっぱ、私は機能優先かなぁ。。。
悩ましいです。
掃除の話も書きたくなりましたが、長くなるのでまた今度。
「この世でいちばん大事な「カネ」の話」を読みました
西原理恵子のエッセイ本なのですが、ひさしぶりに読みたくなってふらっと買いました。
この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)/西原 理恵子

¥1,365
Amazon.co.jp
私は、西原理恵子の本は、高校生の時に「さいばらりえこのまあじゃんほうろうき」の1巻がコンビニで売ってるのをなんとなく買ってからはまって(当時、まだ麻雀覚えてなかったのに。そのあと覚えましたが)、しばらくは出るたび買ってたんですけど途中からあんまり買わなくなってました。
そしたらこの本が、西原理恵子の生い立ちから今に至るまでが書かれている本だったので、なんだか久しぶりに会った友人(?お姉さん?)に、あれからどうしてたの~?とか、あのときってそういうことだったのかー、とか、聞いてるような気持ちで読みました。
ところで、読み始めてから初めて気づいたんですが、子供向け(というか、子供にも向けた、かな?)の本だったらしくて、漢字に全部ふりがながふってありました。子供が読んだら衝撃だろうなあ。
すごい話満載なんですけど、最後のほうに書いてあった言葉にちょっとうなづきました。これは、なんか、今になってじゃないとこんなにはうなづかなかったかもしれない。
いい本でしたよ。
この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)/西原 理恵子

¥1,365
Amazon.co.jp
私は、西原理恵子の本は、高校生の時に「さいばらりえこのまあじゃんほうろうき」の1巻がコンビニで売ってるのをなんとなく買ってからはまって(当時、まだ麻雀覚えてなかったのに。そのあと覚えましたが)、しばらくは出るたび買ってたんですけど途中からあんまり買わなくなってました。
そしたらこの本が、西原理恵子の生い立ちから今に至るまでが書かれている本だったので、なんだか久しぶりに会った友人(?お姉さん?)に、あれからどうしてたの~?とか、あのときってそういうことだったのかー、とか、聞いてるような気持ちで読みました。
ところで、読み始めてから初めて気づいたんですが、子供向け(というか、子供にも向けた、かな?)の本だったらしくて、漢字に全部ふりがながふってありました。子供が読んだら衝撃だろうなあ。
すごい話満載なんですけど、最後のほうに書いてあった言葉にちょっとうなづきました。これは、なんか、今になってじゃないとこんなにはうなづかなかったかもしれない。
人が生きていくということは、もしかすると遠い遠い家路なのかもしれない。
働くことも、お金も、みんな、家族のしあわせのためにある。
いい本でしたよ。
料理の話
少し久しぶりに、ちょっと暗めの話を書きます。長めですよー。
こないだからうちに来ている義妹ちゃんに昨日、「おにいちゃんの奥さんが料理上手だからおいしいもの食べてるぜーって話してたんですよー」と言われて、ありがとうねー、と思いました。
なんていうか、そう言ってくれているというところ含めてというか、ありがとうね、と。

(これは単に今晩の生姜焼きの準備中。今日のは肉が厚い♪)
ところで正直な話、あんまり料理うまくないと思います。私。
うーん。さすがにもう何年か作っているし、いろいろあったし考えたし作ったし「料理」としてはほどほどできるようになったんだけど、あーあの、「食事作り」がうまくないっていうか。
コンスタントに、食費やら材料やら健康やらとの兼ね合いも考えて、毎日毎日そこそこにおいしくてあまり気張らなくていいものを作り続ける、というのが、うまくできないんですよねぇ。
でもそこそこ、マシにはなったんですよ。いろいろ。
この料理の話は一度いろいろ書いてみたいというか、整理してまとめてみたいところもあるので、そのうちのひとつを書いてみます。
まずは最初の話。最初って、私が料理を最初?に作ってたころの話。
まあ厳密には最初じゃないんですけどね。子供のころにおばあちゃんに教えてもらって作ったり、家庭科で作ったり、デートのためにお弁当を作ってみたりしたことはありました、それ以前も。でも、作らなきゃいけない、食事としての料理、の最初は、私が大学院生のときでした。
以前もちょっと書きましたが、私の母は乳がんですでに亡くなってるんですが、その闘病生活も終わり近い頃の話です。
乳がんってふつう、転移まで進む率ってけっこう低いんですけど、母はその確率低いほうの転移しちゃったほうでした。リンパ転移してたので、年月を追うにつれあちこちに転移していった。
最期のころ、一番直接的にひどかったのが首(のリンパ管)への転移で、首にひどい炎症とむくみがでてしだいに嚥下ができなくなりました。ごはんが食べられなくなっちゃったんですね。
そのあと入院して、薬のおかげで痛みを緩和して炎症もちょっとマシになって、ようやく食べられるようになったんですが、やわらかいものしか食べられない状態でした。さらに、母はもともとけっこうな偏食で、肉は一切だめ、魚も一部しか食べられない、白米大好き、というような食生活だったので、病院で食べられるものがほとんどの日おかゆとおかず1品をよりわけて食べられるかどうか、というような状態でした。
食べることが大好きって感じの人だったので、つらかったと思います。
で、もともと入院したくないといってぎりぎりまでがんばっていた母でしたので、入院して少し落ち着いたら外泊ということで家に帰ってきたいという。
といっても、状態がかなり悪かったのでなかなか認められませんでした。
家族としても、痛みが出たりも不安だし、何より、その状態からだと呼吸に障害が出たとき対処しようがない(といっても、母はもともと「気管切開はしたくない。呼吸が止まったらそのままにしてください」と医者に伝えていたらしいので、病院にいても何もできなかったんですけど……)ので外泊は怖かったです。
それでも母の重なる訴えでようやく外泊という運びになったんですが、困ったのが食事です。
そんな食事状態なわけだから、外で食べるというのも難しいし、うちで作るべきですよね。で、作るといったら私しか作る人いなかったんです。当時。
自分が作ったごはんがもし、失敗して食べられるものができなかったら、そんな母親をへたすると一晩ごはんぬきにさせてしまう。
できたとしても、うっかりメニューを選び損ねたら(母親が食べられないものが入ってたら)やっぱり母親は食べれない。
ついでにいうと、作るなら家族全員分作っていっしょに食べたいわけですが、弟は今度は肉しか食べないような偏食で、そうなると品目を増やすしかないし、5人分作らなきゃいけなかった。作り慣れてない身としては、かなりハードル高いです。
しかも、そうやって作った食事が、もしかしたら母親の最後に食べる食事になっちゃうかもしれない……。
もう、とんでもないプレッシャーでした。泣きたかった。ていうか泣いてました。
まだ覚えてますが、外泊のスケジュールがだいたい週末で、その週末までの一週間、レシピ本をひっくり返しながら毎日うんうん悩んでたわけですよ。そうやって悩んでいると、母親がもうどうしようもなく病気が悪くなっていることとかをどうしても思い出して、悲しくなっちゃうんです。
あれはつらかった。逃げられないし。
母親はけっこう友達っぽいキャラだったというか、割とだれにでもそうだったと思うんですけど、明るくてくったくなくて子供っぽいところがあり、趣味も近くて、私は大好きで、母親だけど私のことを一番長く知っている親友、みたいなところがあって、もう本当に二重三重に悲しかった。
そのあと、そういう全部が、その「食事作り」とのファーストコンタクトによって、レシピを決めるだとか、買うものを選んで買い物をするだとか、何を作るか順番を考えて下ごしらえをするだとか、そういう「作業」に紐づいちゃったみたいなんです。
もう、ご飯を作ろうと考えるだけで、つらい。
そういう状態が私の料理の出発点でした。
あ、ちなみに、そうやって作った母親への食事ですが、なんとかなって母親にはとっても喜んでもらえたし、おかわりまでしてもらえました。ありがたかった。お礼もいってもらって、うれしかったです。
それは大切な思い出です。
私の料理歴のその後の話は、またそのうちに。
こないだからうちに来ている義妹ちゃんに昨日、「おにいちゃんの奥さんが料理上手だからおいしいもの食べてるぜーって話してたんですよー」と言われて、ありがとうねー、と思いました。
なんていうか、そう言ってくれているというところ含めてというか、ありがとうね、と。

(これは単に今晩の生姜焼きの準備中。今日のは肉が厚い♪)
ところで正直な話、あんまり料理うまくないと思います。私。
うーん。さすがにもう何年か作っているし、いろいろあったし考えたし作ったし「料理」としてはほどほどできるようになったんだけど、あーあの、「食事作り」がうまくないっていうか。
コンスタントに、食費やら材料やら健康やらとの兼ね合いも考えて、毎日毎日そこそこにおいしくてあまり気張らなくていいものを作り続ける、というのが、うまくできないんですよねぇ。
でもそこそこ、マシにはなったんですよ。いろいろ。
この料理の話は一度いろいろ書いてみたいというか、整理してまとめてみたいところもあるので、そのうちのひとつを書いてみます。
まずは最初の話。最初って、私が料理を最初?に作ってたころの話。
まあ厳密には最初じゃないんですけどね。子供のころにおばあちゃんに教えてもらって作ったり、家庭科で作ったり、デートのためにお弁当を作ってみたりしたことはありました、それ以前も。でも、作らなきゃいけない、食事としての料理、の最初は、私が大学院生のときでした。
以前もちょっと書きましたが、私の母は乳がんですでに亡くなってるんですが、その闘病生活も終わり近い頃の話です。
乳がんってふつう、転移まで進む率ってけっこう低いんですけど、母はその確率低いほうの転移しちゃったほうでした。リンパ転移してたので、年月を追うにつれあちこちに転移していった。
最期のころ、一番直接的にひどかったのが首(のリンパ管)への転移で、首にひどい炎症とむくみがでてしだいに嚥下ができなくなりました。ごはんが食べられなくなっちゃったんですね。
そのあと入院して、薬のおかげで痛みを緩和して炎症もちょっとマシになって、ようやく食べられるようになったんですが、やわらかいものしか食べられない状態でした。さらに、母はもともとけっこうな偏食で、肉は一切だめ、魚も一部しか食べられない、白米大好き、というような食生活だったので、病院で食べられるものがほとんどの日おかゆとおかず1品をよりわけて食べられるかどうか、というような状態でした。
食べることが大好きって感じの人だったので、つらかったと思います。
で、もともと入院したくないといってぎりぎりまでがんばっていた母でしたので、入院して少し落ち着いたら外泊ということで家に帰ってきたいという。
といっても、状態がかなり悪かったのでなかなか認められませんでした。
家族としても、痛みが出たりも不安だし、何より、その状態からだと呼吸に障害が出たとき対処しようがない(といっても、母はもともと「気管切開はしたくない。呼吸が止まったらそのままにしてください」と医者に伝えていたらしいので、病院にいても何もできなかったんですけど……)ので外泊は怖かったです。
それでも母の重なる訴えでようやく外泊という運びになったんですが、困ったのが食事です。
そんな食事状態なわけだから、外で食べるというのも難しいし、うちで作るべきですよね。で、作るといったら私しか作る人いなかったんです。当時。
自分が作ったごはんがもし、失敗して食べられるものができなかったら、そんな母親をへたすると一晩ごはんぬきにさせてしまう。
できたとしても、うっかりメニューを選び損ねたら(母親が食べられないものが入ってたら)やっぱり母親は食べれない。
ついでにいうと、作るなら家族全員分作っていっしょに食べたいわけですが、弟は今度は肉しか食べないような偏食で、そうなると品目を増やすしかないし、5人分作らなきゃいけなかった。作り慣れてない身としては、かなりハードル高いです。
しかも、そうやって作った食事が、もしかしたら母親の最後に食べる食事になっちゃうかもしれない……。
もう、とんでもないプレッシャーでした。泣きたかった。ていうか泣いてました。
まだ覚えてますが、外泊のスケジュールがだいたい週末で、その週末までの一週間、レシピ本をひっくり返しながら毎日うんうん悩んでたわけですよ。そうやって悩んでいると、母親がもうどうしようもなく病気が悪くなっていることとかをどうしても思い出して、悲しくなっちゃうんです。
あれはつらかった。逃げられないし。
母親はけっこう友達っぽいキャラだったというか、割とだれにでもそうだったと思うんですけど、明るくてくったくなくて子供っぽいところがあり、趣味も近くて、私は大好きで、母親だけど私のことを一番長く知っている親友、みたいなところがあって、もう本当に二重三重に悲しかった。
そのあと、そういう全部が、その「食事作り」とのファーストコンタクトによって、レシピを決めるだとか、買うものを選んで買い物をするだとか、何を作るか順番を考えて下ごしらえをするだとか、そういう「作業」に紐づいちゃったみたいなんです。
もう、ご飯を作ろうと考えるだけで、つらい。
そういう状態が私の料理の出発点でした。
あ、ちなみに、そうやって作った母親への食事ですが、なんとかなって母親にはとっても喜んでもらえたし、おかわりまでしてもらえました。ありがたかった。お礼もいってもらって、うれしかったです。
それは大切な思い出です。
私の料理歴のその後の話は、またそのうちに。
富山ブラック、食べたかった
昨日、富山ブラックというラーメンがあるらしい、という話が出て、もしやそれはー!と思ったらやっぱりそうだったのですが。
@nifty:デイリーポータルZ:とにかく黒いラーメン「富山ブラック」を食べてきた
http://portal.nifty.com/2009/05/20/c/
富山には二度と行きたくないが(個人的な事情です。富山の人すいません)、あのラーメン屋にだけはもう一度行きたい……と私がずっと言っていた「大喜」のラーメン。
いつのまに「富山ブラック」なんて扇情的な(?)ネーミングとしてジャンル分けされていたのね。知らなかった。
で、とりあえずカップ麺が出てるというので、食べたい!と思ってわざわざサンクスまで行ったんですが、売り切れでした……。しおしお。
もう、思い出すとすごい食べたい。
で、「大喜」じゃないけどこちらのブログで紹介されていた「いろは」という店の富山ブラックがお台場にあるのか!?と思ったんだけど、
+++ 麺家いろは 店舗一覧 +++
……ない、みたいですよね……。しおしお……。
東京(および近県)で富山ブラックが食べられるところを知っている方がもしいたら、ご一報ください。うえーん。
@nifty:デイリーポータルZ:とにかく黒いラーメン「富山ブラック」を食べてきた
http://portal.nifty.com/2009/05/20/c/
富山には二度と行きたくないが(個人的な事情です。富山の人すいません)、あのラーメン屋にだけはもう一度行きたい……と私がずっと言っていた「大喜」のラーメン。
いつのまに「富山ブラック」なんて扇情的な(?)ネーミングとしてジャンル分けされていたのね。知らなかった。
で、とりあえずカップ麺が出てるというので、食べたい!と思ってわざわざサンクスまで行ったんですが、売り切れでした……。しおしお。
もう、思い出すとすごい食べたい。
で、「大喜」じゃないけどこちらのブログで紹介されていた「いろは」という店の富山ブラックがお台場にあるのか!?と思ったんだけど、
+++ 麺家いろは 店舗一覧 +++
……ない、みたいですよね……。しおしお……。
東京(および近県)で富山ブラックが食べられるところを知っている方がもしいたら、ご一報ください。うえーん。
MOMI&TOY'Sのクレープ
いっしょに仕事してる坂東が、オフィスに行ったときに「来る時に新しいクレープ屋さんができてた」というので、帰りに行ってみました。

建物の中だけど車です。
どうやって入れたんだろう、と坂東と話してました。
お店のページはこちら。これの、錦糸町テルミナ2店です。
Creperie MOMI&TOY'S
http://www.momiandtoy.com/

メニューボードです。種類たくさん。
5/19オープンだったらしい。まだオープンしたてですね。
私は「ブラウンシュガーとマルガリーヌ」をオーダー。シンプルなのが食べたくなった。

画像地味ですね。
あまりに地味なので、坂東のも写真撮らせてもらいました。いちご生クリーム。

お店の人に、オーダーした時に「マルガリーヌって何ですか?」と聞いてみたら、マーガリンですとのこと。「マルガリーヌだと、なんか、フランス語っぽいじゃないですか?」と言われました。たしかに、なぜか、なんとなく。ほんとにフランス語なのか聞きましたが、よくわかりませんでした。面白い店員さんでした。
今、お店のサイトを調べていて「とろけるクレープ」の「とろける」がどうも生クリームにかなりかかっていたようだと知って、生クリームが入ってるのを食べればよかったかもしれない、と微妙に後悔しました。
錦糸町はよく行くので、また今度行きます!
あ、つまり、おいしかったですよ。

建物の中だけど車です。
どうやって入れたんだろう、と坂東と話してました。
お店のページはこちら。これの、錦糸町テルミナ2店です。
Creperie MOMI&TOY'S
http://www.momiandtoy.com/

メニューボードです。種類たくさん。
5/19オープンだったらしい。まだオープンしたてですね。
私は「ブラウンシュガーとマルガリーヌ」をオーダー。シンプルなのが食べたくなった。

画像地味ですね。
あまりに地味なので、坂東のも写真撮らせてもらいました。いちご生クリーム。

お店の人に、オーダーした時に「マルガリーヌって何ですか?」と聞いてみたら、マーガリンですとのこと。「マルガリーヌだと、なんか、フランス語っぽいじゃないですか?」と言われました。たしかに、なぜか、なんとなく。ほんとにフランス語なのか聞きましたが、よくわかりませんでした。面白い店員さんでした。
今、お店のサイトを調べていて「とろけるクレープ」の「とろける」がどうも生クリームにかなりかかっていたようだと知って、生クリームが入ってるのを食べればよかったかもしれない、と微妙に後悔しました。
錦糸町はよく行くので、また今度行きます!
あ、つまり、おいしかったですよ。