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山歩きと風景

趣味と健康維持で始めた山歩きのことや、風景写真、今読んでいる小説の感想などなど、自分の軌跡、日記としてブログを利用させていただいております。

 よく滋賀の湖北地方の天候は、夏は関西、冬は北陸といわれます。

「冬雪さえて冷しかりけり」です。

 

 

3月3日、日曜日の小谷山の朝

 

 

イワウチワが咲くかもと思っていましたが雪

 

 

己高山方面

 

そして、3月10日の日曜も雪の霊仙を楽しむことができました。

 

 

駐車場までの道中も雪、数台の先行車が雪踏みをしていただいたお陰で

駐車場の手前まで辿り着くことができました。

 

 

木々によって雪の付き方も違い、まるでオブジェをみるようだ

 

 

風が強く、雲の流れも速く一刻一刻の色が見逃せない

 

 

青に映えるメインツリー

 

 

カレンフェルトの岩と

 

 

少し遠くから

 

 

曖昧な天候の時は登り慣れた山に行くのがベストだ

 

 

最終ミッションは、雪の中から逞しく顔を出す福寿草

 

 

今年も花の季節がやってきましたね!

 土曜日2週続けて福井の山へ出掛けました。

今回は先週より晴れが期待できそう、福井の取立山へ。

中部自動車道路(無料区間)のお陰で登山口まで、途中コンビニに寄って2時間。

 

 

 道中の稜線はくっきり見えていましたが、

私が目指す山の上にはまだ雲が覆い被っている状態です。

昨夜の冷え込みで上部の木々には霧氷が付いているのがせめともの救いかな。

 

 

少し光が差してきたかな、木々が美しい。

真上は少しだけ青っぽい、これは晴れの予感。

 

 

取立山に着きましたが、ガスが取れるのを期待して、原高山~板谷の頭を目指すことに

歩いている内に視界も開けてくるだろうと。

 

 

原高山辺りで白山の御前ヶ峰と大汝が姿を見せてくれました。

2週続けてのガスの頂上から、なんとか抜け出せました。

 

 

見る見るうちにガスが抜けて霧氷で飾られた山々の奥に白山が、

これを期待してここまで来ているですよね。

 

 

経ヶ峰方面

 

 

2週続けて来たご褒美、ブナ林の霧氷の森が美しいすぎる

 

 

ズームで、今日も同じ写真を何枚も

 

 

楽しい稜線歩き、次回は鉢伏山まで歩こう!

 

 

今日はモノクロから青の世界に移り変わる素晴らしい一日でした。

 

 

 

 昨年から琵琶湖の水位低下が叫ばれてから久しくたつが、

回復の見通しは厳しそう。

長浜市湖北町の湖岸沖に奥の洲と、普段は湖面に沈み徒歩で渡るのが厳しいいところが、

水位低下のお陰で渡ることができる。

 

 

約30年ぶりのことだ。私の長男が生まれた頃にもこのような事象が起こり、

妻と息子を連れて行った覚えがある。

あれから約30年ぶりの御開帳。

森の中には、石碑が建っていた、昔神社があったらしい。

 

 

今年のアルプスも9月には水枯れの水不足になりそうだ。

田んぼの水の心配がなくなった今でこそ、不作や飢饉の心配もなくなったが、

昔はこういう年は大変だったろうな。

 

 

例年だとこの時期、白く輝く金糞岳の輝きも今一つ。

 

 

土曜日は息子と、福井の荒島岳に登ってきました。

天気予報では下界は晴れマークでしたが、頂上はずーっとガスが流れていました。

 

 

豪雪の福井県大野市の2月の山も雪は少な目、

下の方は根開けが見られた。

 

 

良い運動にはなりました。

そして登山口の真横に、延伸された中部縦貫自動車道の勝原ICができたいたのにはビックリ。

荒島ICの出口はモンベルと道の駅、これぞ町おこしICなんだろう。

 

大津ネタの「成瀬は天下を取りにいく」は滋賀県民なら読むと楽しいよ。

 年末から直木賞受賞作「地図と拳」を読んでいた。

最初の出だしがつながらなくって、船で刃物を捨てさせようとする場面から、

最後で、繋がった。

私は昨年からスマートウォッチ(FitBit)をつけていますが、

朝の読書時間はほぼ目覚めた状態なんですが睡眠時間に認識されるんです。

身体が休まっているということなんでしょうか。

 

なぜ世界から拳はなくならないのでしょう。答えは地図にあります。世界は狭すぎるのです。

答えはそれほど単純なのだろうか、

日本は少子化で人口減少、世界の人口はこの半世紀で倍増している、グローバルに考えれば日本の人口減少など咳ほどにもならないのだろう。

日本も明治初期には3000万人ほどだったし、1億超えたのも私が生まれたころの1967年。

 

そして川端康成の「山の音」世界的に評価が高い作品だということで読んでみた。

戦後昭和の味がした、私みたいな昭和な人間には、もってこいだし

主人公の年齢にも近いし。

 

そして、年末ごろから島崎藤村の「夜明け前」も重複進行で読んでいる。

上と下巻では少し趣が違う。時代は今でも、普通に使っていたものが

置き換わってしまうことのスピード感は一段と速まっている。

中山道の街道の仕事で生計を立てていた馬籠、期待を持って幕末から明治へ、

結果は、街道の仕事は無くなり、林業も9割が国有化されてしまい、

食べることもできなくなっていく。馬籠といえば、今は一大観光地である。

 

藤村記念館から見える恵那山、この山を毎日見ていたのだろう。

私のこの59年の人生は、電話がまだない頃に生まれ、

今はスマホでほぼほぼの情報が得られる時代へと、激動といえば激動なのだろう。

これだけは変わっていない、毎日食べていかなければいけない。

 

一月の最後の日曜日に干支登山に、

鈴鹿の竜ヶ岳に登ってきました。

 

頂上にはガスが流れ続けていました、

こえも想定内で、楽しんで登ってきまし。

 

今日から2月です、今は村上春樹さん「街とその不確かな壁」を

毎朝少しずつ朝ドラのように読んでいます。

 

 

 

 

 今年の冬も雪は非常に少ない感じ、北国で生活する者にはいいですが、

琵琶湖の水不足とか大局で考えると少し複雑なんでしょう?

 

 

 暖冬といえ冬はそれなりに冷え込んだりもしますが、

この寒い時期に閉じこもっていると身体が訛るので、

天気の良い日には山友と山に出かけるように!

14日の日曜日に、年末にも行った御池岳へ。

雪が少ない分、ブッシュに雪が積もり森の小人たちがまるでダンスをしているように見えました。

 

この時期、御池の森は気温が下がり、前日冬型の気候であれば、

かなりの確率で霧氷の森に変わります。

 

今回はタイミングがよく日曜日だけ晴れてくれたお陰で、また素晴らしい自然の贈り物を堪能できました。

 

家から登山口まで1時間ほど、登り始めて1時ほどで稜線に出て、そこから1時間ほどで

森の中へ。

 

ここまで来るにはそれなりに冬山装備は必要ですが、ハードルはそれほど高くありません。

普通に歩ける人なら。まさにウサギになったように飛び跳ねる気分です無気力

 

周りの山々の眺望も素晴らしいかった、

富士山までは見えませんでしたが。

 

当地の冬も、雪が積もるのもあと一ヶ月ほどと思えば短いのかな。

早セツブンソウが咲いた知らせも届いてきました。

 正月三が日、2日の天気が一番よさそう。

白髭神社の鳥居でご来光を見てから蓬莱山にでも登ろうと始動。

ご来光が雲の中からなかなか出てこず、登山口に向かうことに。

7時前でも凄い人でした、駐車場には入れずガーン

 

栗原という登山口から林道を歩き、今年のスタート

権現山から、軽く雪が付いて琵琶湖も奇麗。

 

ホッケ山を越え、風が強いところでは霧氷が太陽光に輝くキラキラ

 

頂上の地蔵さん、ここは六じゃなくて九地蔵

スキー場は雪不足で休業中でした泣

 

南湖方面から琵琶湖大橋を望む

 

小女郎池、風も無くここで昼食

静かだ、周りを歩く、昨夜ここでテントを張っていた跡があった。

 

静かなで暖かな年末年始でした。ただ妻が年末から風邪をひき、機嫌悪しでしたゲッソリ

 

 

 お正月は全てをリセットするのに最適、新たにスタートできる。

日本人とってはやはり特別な日である。

 

今年もあと少し。

 

当地の12月は天気が日本海側の気候に変わり、歩く距離も減ってしまう。

できる限り意識をして歩くように!

雨乞岳 清水の頭から鈴鹿一の稜線

 

今年も山歩きに、少しだけ本気で始めた畑など

これからの晩年の自分の生き方を追い求めた一年だったかも。

 

東雨乞から奥は御在所岳方面

 

山登りを始めて多分12年目、やっておいてよかった。

 

先週末、登り納めの御池岳

 

ピークの丸山近くは霧氷が付いていました。

 

今までに経験したことのない暖かな年末、

でも山にはそれなりに氷柱が

 

今日は30日、少しお餅をついて、

里山を歩いて、窓掃除をしてた、いつも通りの年末。

明日は雨模様の大晦日。

 

 師走突入ですね、11月の最終の土日は恒例の山友さんたちと忘年登山。

今年は初日に地元の霊仙山に登って、関ケ原のグリーンウッドのコテージを借りての忘年会。

二日目は快晴とウロコ雲の御池岳に。

初日に登った霊仙、そして伊吹山、中央奥に金糞岳と故郷の山々がくっきり。

 

 野の山々が色づきのピークを迎える頃、高度を上げた山の頂上では雪がついてまた違った景色を楽しめる。

 

快晴かと思いき、急にウロコ雲が迫ってきた。

このウロコ雲も見ようと思っても見ることはできないと思えば良いものに感じる。

 

 

遠くにうっすらと白粉を塗った白山が、

山友と今年登った印象に残った山の話など、来年登りたい山の話など、楽しい時間が流れる。

 

まだ元気な緑を保っている苔には氷が、

 

そして下界ではまだモミジが十分楽しめる。

 

小谷山のふもと近くの紅葉

 

今年もあと一か月、私がこれからできることを考え、

皆が息災でありたいと願うこの頃。

 

 なんとなく読んでみたくなる、不思議な長~い小説というか自叙伝?。

日本語訳では400字詰め原稿用紙10,000枚、9,609,000文字数にも及び、「最も長い小説」としてギネス世界記録で認定されている。脳科学者の茂木健一郎さんのツイートをきっかけに読んでみようと思った、」茂木さんは英訳で読んでいるそうです。

同じような内容なんだろうけど、繰り返し丁寧に書き綴られている。

独特な長い表現方法、暗喩

何となく、深く考えずに100年前のフランス上流階級の一コマに入り込んでいく。

1900年前後のフランス・パリのごく一部の上流社会の絵画的世界、現代風にいえばアート感覚がちりばめられた豊かな文章を味わいながら、1巻から14巻まで約5ヶ月間を通し今、最終巻の14巻目を丁寧に読んでいる。

 

最初のほうから、

「可能なものを現実にしたり現実から排除したりするのは、かならずしも天才の管轄ではないからだ。

天賦の才がありながら鉄道や飛行機の将来を信じなかった人もいれば、偉大な心理学者でありながらはるか凡庸な人にも見抜けたはずの愛人や友人の不実が信じられなかった人もいる。」

 

7 ゲルマントのほう Ⅲ 

「どんな家にも不幸な人が住んでいるのを知ったことである。こちらは夫の浮気のせいで絶えず涙を流している妻が、あちらでは夫と妻の立場が逆になっている、別の家では働き者の母親が酔っぱらいの息子に手ひどく殴られているが、おとなり近所の人にはその苦痛を見せまいと、人類の半数はまさに泣いている。」

 

この小説が長いと感じるとき、漠然とした内容で、改行がないまま20スページ以上続くような文章が幾度とある。

どこかで一度切りたいと思っても、切りずらく。

内容は延々と同じようなことが綴られているのではないんだろうが。

小説は非日常を愉しむことができる手段であるが、本書はまるで夢の中にいるような、別世界にいるような錯覚を楽しめる。約1世紀前に書かれた、今では考えられない、1900年前後、

日本でもこの時期に,歴史に残る名作が数多く書かれている。まさしく19世紀から20世紀は、文章による芸術の時代だったのかもと思える?

 

14巻を並べてみた、

 

7月から読み始めて、とうとう最終巻まできてしまった。

13巻で、『「自分にはものを書くことなど絶対にできないだろう」文学的才能の欠如を痛感した』と書いている。

生涯、両親、祖母からの資産を食いつぶしながら書き続けてきた作品を否定している。

その作品が、フランスでは、いや世界的に評価は高い。

読破後次に何を読もうか?少し寂しさを感じる。

 

そして今朝訃報が届いた。幼馴染がすい臓がんで旅立たれた。「メメント モリ(memento mori)」

 

※11月21日に読破できました。

  三連休最終日も天気良好で気温高し。

近くて便利な山、横山岳へ。

駐車場には先着の車が3台、伊吹山の入山規制が続いているが、

伊吹山に登っていた多くの登山者はどこに登っているんだろうか、

ここは例年通りの寂しい登山者数。少し熊が怖いポーン

 

 

白谷本流を駆け上がっていく、といっても歳相応に。

急登だ、もう少し優しい登りだときっと登山者数も増えているだろうな?

滝を越えたあたりからの紅葉は見頃だ、自然が織り成す色に見入ってしまう。

 

ブナが緑の葉から紅葉し始める高度、900m前後、来週は700mぐらいまで下りるんだろうな?

 

頂上付近はこんな感じ、葉もほぼほぼ散って冬支度。

 

今日も眺望は30kmほどかな、遠くは靄っている。

 

100m~ほど下るとこんな感じに変わる。

ここは比較的若いブナが多い。

 

そして200mほど下り、900m前後では

 

山が冬眠する前にほんの一瞬、色のアートを見せてくれる。

 

本当に心地よく歩ける時期だ。

 

同じような写真を何枚も撮っている。

赤が混じると他も映える。

 

下から見上げたら

 

4時間ほどの山歩き。

昼からは山芋の収穫、そして使わなくなった畑に防草シートを張る作業をして

暖かすぎた三連休も終わった。