現存12天守 完登 | 山歩きと風景

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趣味と健康維持で始めた山歩きのことや、風景写真、今読んでいる小説の感想などなど、自分の軌跡、日記としてブログを利用させていただいております。

 観光都市の中心には大抵お城があり、城といえば姫路城、大阪城、熊本城などを想像します。

 

「現存12天守 完登」とは大げさですが、まずは行けたことに感謝。

 

正確ではないんですがアメリカの作家アシモフの言葉に、

 

人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である。」という

 

フレーズがありますが、12現存天守へ行ったこともただ自己満足の世界です。

 

 しかし数ある天守閣の中でも江戸時代から現存している天守閣はわずか12城だけです。

 

北から、青森県の弘前城、長野県の松本城、福井県の丸岡城、愛知県の犬山城、

 

滋賀県の彦根城、兵庫県の姫路城、岡山県の備中松山城、島根県の松江城、

 

そして四国の香川県に丸亀城、高知県に高知城、愛媛県に松山城、そして今回訪れた宇和島城と。

 

 

ここは、あまり有名な観光地も無く、気合を入れなくては行く機会もありません。そして我が家から

 

570kmほどもあります。わざわざ行くには遠すぎる。

 

家内の実家が徳島で、息子が岡山に下宿をしているという好条件が揃って今回初めて行けました。

 

多分、もう二度と行くことはないだろうと強く思っての訪問でもありました。

 

12の城へ行ったことは全て覚えていますし、全て子供を一人は連れて行っています。

 

 

ここ宇和島城の縄張りは、近江出身のあの武将、藤堂高虎により作られ、今ある天守は

 

1615年に入封した伊達政宗の長男秀宗の子供の二代目の宗利が改修したものだそうです。

 

幕末には四賢公の一人と言われた宗城が出ました。江戸時代を通し、財政的には苦しい藩だったそうです。

 

私は以前読んだ司馬遼太郎の小説や、大河ドラマの「花神」の主人公大村益次郎(村田蔵六)が

 

軍艦建造に招かれた所としての印象があるのと、シーボルトの娘イネが医学を学んだところでもあります。

 

天守から、宇和湾方面、江戸時代は前方は海に面し、後ろには山。

 

 

天守へ向かう石段も急な石段で、そして野面積みがそのまま残され、石垣の間から草が茂り

 

往時が偲ばれます。米中心の経済であったからこそ、日本全国が同レベルで発展したんでしょう。

 

 

GWが一番の賑わいでしょうか。

 

お城を見学後、翌朝四国最南端の足摺岬へ。ジョン万次郎の出身地でもあります。

 

 

ここまで来ると、南国の匂いが漂ってきますし、植生も亜熱帯地方のヤシなどが。

 

3月に青森で見た日本海とは真逆の感があります。

 

このGW後半、山友の間で山芍薬が話題になっているんですが、我が家に咲く芍薬。

 

今週末はその話題の山芍薬がまだ咲いているのを期待して見に行きたいものです。

 

 

ふと感じることは子供って、父親が凝るものを毛嫌いする風潮があるのでしょうか、城や山を。

 

アシモフの言葉じゃないですが、これからも無用な知識、見識を増やすことで充実感を味わい、

 

自己満足の世界を広げていきたいものだ。