結局カタールってどんな国だったのか? 「その1:気候と宗教」 | 52歳で実践アーリーリタイア

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52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

せっかくワールドカップで2週間以上カタールに滞在したので、カタールという国について、風土論的に整理しておきたいと思います。

 

カタールという国家の特徴は「砂漠」「イスラーム教」「アラブ部族社会」「天然資源」という4つのキーワードで説明できそう。

 

これは湾岸のUAE=アラブ首長国連邦、バーレーン、クウェートとほぼ同じ性格で、これらの国は、一般にレンティア国家(※)ともいわれていますが、どれもこの4つのキーワードで整理できる国家ではないかと思います。

※レンティア国家

石油等資源の輸出に伴う非課税収入=レント(rent)収入が国家財政収入において40%以上を占める国家のこと。

まずは自然環境としての砂漠から。

 

(ドーハの風景:2022年11−12月撮影。以下同様)

 

■砂漠

砂漠があるのは地球的には「亜熱帯高圧帯」という、緯度でいうと20〜30度付近のエリア。というのも赤道付近で熱せられて上昇した空気が南北に移動し、下降して地面に吹き付けられるのがこのエリアだから。

 

(『図解気象学入門』:165頁)

 

「空気は上昇気流によって高度が上がって冷やされ水蒸気が雲を形成して雨を降らす」というのがざっくりした雨が降るしくみですが、亜熱帯高圧帯では、下降気流なので雲が発生しないわけです。なので雨も降らない=乾燥して植物が生えない砂漠地帯となっちゃう。そういう構図です。

 

 

砂漠地帯の特徴は、乾燥しているので気温の変化が激しい。特に1日の寒暖差が激しいので、昼は暑く夜は寒い。これは11月下旬のドーハでも実感できます。

 

一般に「アラブは暑い」というのがわれわれの認識ですが、実は11月は冬の始まりであり、確かに昼は暑いのですがせいぜい30度以下で日本の真夏よりよっぽど涼しい(特に日陰)。しかも11月は太陽も低く日が短いので、暑いのは12→15時までの3時間だけ。

 

 

(ウェザースパークより)

 

16時半(=日の入り時刻)ぐらいから日も暮れてくるので、一気に冷え込み、夜の間は20度未満なので長袖の方がいい。そしてスタジアムはもっと寒いのでダウンベストやパーカーなどでの防寒必須。

 

したがって選手たちも体調崩している人多かったですが、私自身も喉を痛めて風邪ひく始末。

 

 

こんな気候なので、カタールでのスポーツ大会は、すでにアジアカップなどで経験済みですが、冬の開催についてはむしろヨーロッパや日本よりもよっぽど好条件ではないかと思います(もちろん夏はダメ)。

 

■イスラーム教

こんな気候なので、実はアラビア半島発祥のイスラーム教の服装は、砂漠気候に最適な服装なのです。男性の場合は白いワンピース(トーブという)で体全体を覆い、

 

 

女性は原則、黒いワンピース(アバーヤ)。そしてみんなスカーフ(女性はヒジャブ、男性はゴトラという)を被るわけです。「痛い」といわれるぐらい猛暑の夏は、半袖短パンよりも、体を緩い白い布で覆い、スカーフを被った方が猛烈な暑さを妨げられるのですね。そして砂嵐も。

 

(ドーハ国際空港では黒いワンピースではなく、実際には色々あるようです)

 

つまりイスラームで指定されている服装は「アラブの砂漠気候にとって最適な服装だからこれを着なさい」となっているだけで、イスラーム教だから体全体を覆う服装をしているわけではないのですね(イスラーム教ではこれらのルールは「神の思し召し」なので合理的な理由は不明、ということになっている)。

 

(W杯カタール2022のキャラ=ライーヴ)

 

イスラーム教を勉強すればするほど(今はコーラン日本語訳を通読中)、ムハンマドが生きていた7世紀のアラビア半島において、最も合理的に、コスモポリタン的(伝統的アラブ部族の慣習から逃れるという意味で)に生活するための最適な方法をコーランが定めていて、それが世界的に広まったというのが実情のように思われます。

 

なので今イランで問題になっているヒジャブも、ヒジャブがあった方がアラビア半島では生活しやすいし、今でいう「みせハラ」防止のためでもある。つまり理由があってそうなっているので、砂漠気候でない地域ではヒジャブをかぶる理由は「ミセハラ」防止するかどうか、だけになります。

 

 

このように実はそのウラにはちゃんと理屈があるのですね(ひつこいですが、イスラーム教上は、すべてアッラーの思し召しなので理屈はないことになっている)。

 

なのでちゃんとアッラーの思し召しの本質さえ掴めば、その時、場所、機会に応じてイスラーム法の解釈を担うイスラーム法学者がその都度適切な見解をしていけばいいのですが、実際には難しいらしく、むしろ政治的・部族的に都合のいいよう解釈してしまっているのが実態(詳細は以下参照)。

 

 

例えば「酒が飲めない」「豚肉が食えない」というのは、たとえば「なぜ酒を飲んではいけないか」が、ちゃんとコーランにその理由が書いてあります。

信ずる人々よ、おまえたちが酔っているときは、自分の言っていることがわかるようになるまで、礼拝に近づいてはならない。

(コーラン第4章第43節)

 

つまりアッラーは、酒を飲むこと自体を禁止したいのではなく、飲酒で酔っ払ってしまい、ちゃんとお祈りができなくなることを禁止したいわけで本当は酒を禁止したいわけではないのではないかと思います。来世の天国では「お酒を飲んで楽しく暮らせるよ」と書いてあるぐらいですから。

 

つまり本質的には酒を禁止するのではなく「酒を飲んでもよいが礼拝時はシラフでいるように」との思し召しなのです。

なお、豚肉を禁止するのはユダヤ教同様「豚は人間と同じものを食べるから」といわれています(食べてもよい羊や牛は、人間が食べない食物=草などを食べる)

イスラーム教の男尊女卑の考え方も、実は条件付きで、ちゃんと理由があります。

男は女より優位にある。というのは、神がお互いの間に優劣をつけたもうたからであり、また男が自分の金を出すからである。それゆえ、善良な女は従順であり、神が守りたもうたものを留守中も守るものだ。逆らう心配のある女たちにはよく説諭し、寝床に放置し、また打っても良い。もし彼女たちがいうことを聞くなら、それ以上の手段に走ってはならない。誠に神は高く、かつ偉大であらせられる。

(コーラン第4章第34節)

つまり女性に稼ぐ能力があるなら、男女に優劣をつける必要はない。7世紀のアラブにおいては女性は弱く、稼ぐ能力がなかったので、男性はちゃんと女性を守らなければいけないといっているわけで(困窮者も子供も)、本質的には「稼ぐ能力があるかどうか」なのです(恐れ多くも私が日本語訳をそのまま素直に読めばですが)。

 

なので男性優位がアッラーの主張する本質ではないのではないかと私は思います(同じ主張をしているムスリムや専門家は今のところ知りませんが)。

 

(カタール国立博物館では、カタールの歴史について現代に至るまで詳しく知ることができる)

 

ただ、実際カタールでは禁酒は厳格に守っているし、豚肉も存在しません。もうこれは彼ら彼女らの慣習というしかない。タブーみたいなものです。宗教というよりも生理的に受け付けない、といった方がいいかもしれません。

 

もちろんこんなことが言えるのは私が今、日本にいるからですが。。。


長くなってしまったので、「アラブ部族社会」「天然資源」については「その2」として、別途展開したいと思います。