結局カタールってどんな国だったのか?「その2:アラブ部族社会・天然資源編」 | 52歳で実践アーリーリタイア

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52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

カタールは、四つのキーワード「砂漠」「イスラーム教」「アラブ部族社会」「天然資源」で説明できるのでは、という私の勝手な解釈のうち、今回は「アラブ部族社会」「天然資源」について。

 

■イスラーム帝国からアラブ部族国家へ

本来、イスラーム教徒(ムスリム)の国は、イスラーム教の教義上、アッラーが治める一つの共同体(=ウンマ)ということになっており、その代理人としてのカリフをリーダーとするわけですが、オスマン帝国の崩壊以降、イスラーム統一国家は未だ誕生していないし、誕生する気配もありません(ISが無謀にもその試みを実現しようとした)。

 

(ドーハ市:イスラーム文化センター)

 

オスマン崩壊以降、イギリス・フランスの植民地政策によってズタズタにされた旧オスマン帝国領としてのイスラーム社会は、英仏にとって都合のいい国境線によって今の複数の国家区分に分割されてしまいます(この結果、パレスチナやクルド問題など多数の問題が今も残存・継続)。

 

カタール含む湾岸諸国は、イギリス領(または保護領)だったのですが、イギリスが1968年にスエズ以東の支配を放棄して以降、土着の部族首長が英国との調整(結託?)で、そのまま自分の領域を司って独裁国家として独立(カタールは1971年)。その一部はUAE(アラブ首長国連邦)という連邦制によって一国家に(カタールはUAEに参加しなかった)。

 

(カタール政府庁舎)

 

以降、お隣のサウジアラビアやUAE含めて、アラブ人は部族の首長たるリーダーのその卓越性によって、国家を引っ張っていこうという体制に。

 

首長は、部族社会の長としてそのコミュニティに対する責任感が強く、世界におけるスタンスを強めてアラブ人としての名誉を確保しようという感じ。

 

カタールは、カタール土着のムンディール(マアディール)部族、サーニー家の世襲による完全な独裁国家ですが、まるでプラトンが理想とした哲人政治のように、今のタミーム・ビン・ハマド・アール・サーニー首長(※)のインタビューを読んでも、そのリーダーシップは現時点では成功しているように見えます。

 

※タミーム・ビン・ハマド・アール・サーニー

 =タミーム(個人名)+ビン・ハマド(父親の個人名)+アール(冠詞)・サーニー(名字)

 

 

どの湾岸アラブ諸国も部族社会の長としての「家」が、世襲制で首長(国のリーダー)を輩出するという構図ではあるものの、カタール含め血縁による世襲は守りつつ血縁内での権力闘争は激しいようで、血縁内クーデターが多いのは、カタールだけでなく他の国でも同じようです。

 

*カタールの場合は、サーニー家の中で、今のタミーム首長のお父さん(ハマド)が、そのお祖父さん(ハリファ)から無血クーデターで権力掌握。

 

 

かつてのアラブ部族社会は「民主主義を発明したのはアラブだ」と彼らが言うぐらい、全員参加の合意制で物事を決めたり、部族内で一番ふさわしい人をリーダーに決めていたらしいのですが、今のアラブ部族社会はリーダーとなる家の世襲制ではあるものの、数ある後継の中から優秀な息子を選んでリーダーにしているようで、この辺りはオリエントの伝統を受け継いでいるのかもしれません。

 

カタール含むアラブの首長による独裁国家で、国によってばらつきはあるものの、「体制批判さえしなければ」「それぞれの国家が解釈するイスラームの規範さえ守れば」という前提付きでの政治的自由、宗教的自由は確保されているようです。

 

■部族民は、守られるべきファミリー

「部族内の人々は責任感ある首長が守る」という感じなので、国家が家族のようになって、国家首長が国家のリーダーとなって、天然資源があろうがなかろうが、しっかり稼いで国民を食わせていこうというスタイル(ドバイのように天然資源がない国もある)。

 

カタールは(UAEも)外国人労働者が80−90%(バーレーンは50%)ですが、カタール人を優遇しつつ、カタール人ができない仕事は、単純労働も知的労働も「皆できる外国人を雇って働いて貰えばいい」という考え方。なので、我々が実際にカタールやドバイに行くとほとんど周りは外国人(インド人、バングラディシュ人、フィリピン人が多いイメージ)。

 

アラブ人は、車で移動していることもあってかほとんど街中では歩いていません。彼ら彼女らは、エリートはエリートとして、そうでないものはほとんど労働時間の短い公務員の仕事で生きているように感じます(詳細は以下参照)。

 

 

■首長の卓越したリーダーシップ

【徹底したW杯成功のための運営体制とインフラ】

カタールにおいても、リーダーたるサーニー家のタミーム首長のリーダーシップは、W杯という世界最大の大会を「こんな小さな国で開催してしまう、そして成功させてしまう」というその実力で体感することができました。

 

 

莫大な資金を使って、スタジアムを建設し、メトロを開通させ、バスを用意し、スタジアム近隣に巨大モールを併設させ、博物館や美術館を整備し、メインストリートとなる海岸沿いの道路を全面封鎖し、「こんなに人がいるのか」というぐらい、スタジアム、スタジアム⇄メトロ間、駅、空港内での案内・交通整理人員(ほとんど外国人労働者)を配置。

 

そして韓国イテウォンで起きた事故を教訓にしたのか、人を分散させるための動線の工夫などもして、(そのおかげで観戦している我々は体力勝負でしたが)安全確保を徹底。

 

 

数十万人がアラブの一都市に集中しても宿泊施設が不足しないよう、チケット保有者だけに入国を限定し、ファンビレッジという仮設住宅を大量に供給し、などなど、数え上げたらキリがないくらい、徹底して「W杯を絶対成功させる」というタミーム首長の「鉄の意志」がこのイベントに反映されているように感じました。

 

■自力で開発した天然ガス

もちろんこれは、開発に成功した天然ガスによってもたらされた潤沢な資金があったからこそ、ですが、お金だけで世界最大のイベントを成功させるのは難しいでしょうから、やはり国としての実力がそこにはあるわけです。

 

実は豊富な天然資源も、石油メジャーが開発した施設をそのまま横取りしたわけではなく、彼ら自身が、過去にはその価値について定かではなかった天然ガスに、1990年代以降に思い切って投資したからこそです(もちろん外資を活用して)。

 

これまでカタールは、まだイギリス保護領時代、他湾岸諸国同様、ペルシャ湾岸の天然真珠を採取→販売することで経済を成り立たせていましたが、

 

(ドーハ、真珠のモニュメント)

 

日本の御木本幸吉が真珠の養殖に成功して以降一気に衰退。その後、石油開発を経て、タミーム首長のお父さん、先代ハマド首長が天然ガス掘削にチャレンジしたわけです。

 

(カタール国立博物館における天然ガス・油田掘削紹介の展示)

 

■総括

このように、カタールは首長が優秀で運良く天然資源が豊富なので成り立っていますが、一方で豊富な天然資源によるバラマキ作戦によって国民が従順である、という側面も当然あります。

 

今後、潤沢な資金を使っていかに他の付加価値を創出していくか、がタミーム首長の腕の見せ所ですが、インタビューを読む限り、そのあたりは本人も相当意識しているように感じました。

 

とはいえ「独裁制は独裁者が失敗すると修正が効かない」という点で民主主義よりも劣った政治体制。しかも今後「血縁内で継続して優秀なリーダーが生み出せるかどうか」は全く不透明。

 

ただ今の所は、そのような心配はないように感じますので、今後のカタールの経済発展はしばらく続くのではないかと思っています。