<概要>
アラブ社会におけるヴェールや女性隔離、女性への相続権の放棄などの慣習はイスラームという宗教がもたらしたものではなく、古くからの北アフリカ・中東社会における「部族社会=イトコたちの共和国」を守るためのルールがもたらした慣習だということを紹介したフランス人女性民俗学者ジェルメーヌ・ティヨンの著作。
<コメント>
一橋大学の国際政治学者、福富満久先生紹介の著作ということで通読。イスラーム教よりも部族社会を守ることを優先しているのがアラブ社会ということで、ここではイスラーム教とアラブ社会の整合性がテーマとなっています。
したがって本書を読んでも以下ブログで紹介した「あらゆる問題をイスラーム教に押し付けるのはお門違い」という事例と同様で、本書は「女性差別」という問題がその対象。
結論的には、女性差別はイスラーム教に要因があるのではなく、彼らの部族社会の慣習に要因があるという仮説。
また、本書を読んでも以下ブログの中の【アッラーの言葉「アル・クラーン」(コーラン)】で紹介した通り、
「アラブ社会は、自分達の生活スタイルに合わせてイスラーム教を解釈している」
というのがアラブ社会のイスラーム教に対する態度だ、という私の見解も変わりませんでした。
■内婚制に由来する女性差別
著者によれば社会集団には
①イトコたちの共和国:集団内で血縁関係を結ぶ内婚制の血縁集団
→アラブ社会、近代以前のヨーロッパ・日本など
②義兄弟たちの共和国:集団外の血縁も取り入れる外婚制の血縁集団
→狩猟採集社会
③市民 たちの共和国:血縁関係に関係なくランダムに婚姻する集団
→近代社会
という三つの形態があり、ヨーロッパ&北アフリカ社会=地中海社会においては、内婚制社会(イトコたちの共和国)が幅を利かせていることが、女性差別の大きな要因となっている、というのが著者の仮説。
例えば、地中海世界のヨーロッパにおいても
過去10年ほどの観光の発展の前までは、スペイン、ポルトガル、南フランス、コルシカ、南イタリア、ギリシャ、レバノンにおいて、女性がスカーフなどで髪の毛を包まずに教会に入ることはスキャンダルであった。
本書195頁
フランスでは、北部においてさえも、ローマ法、カトリック教会およびナポレオン法典を媒介として、地中海地域の特徴が方向づける。数年前まで既婚女性は、夫に対して、父親に対する子供と同じ状況に置かれており、夫の許可なしにパスポートも銀行口座も請求することができなかった。
本書198頁
と、本書が出版された1966年の数年前、つまり1960年ぐらいまでの地中海北岸のヨーロッパでは、イスラーム教に厳格で女性差別が残存している今のサウジアラビアの状況と全く同じだったのです。
つまり宗教よりも「自分達の過去からの慣習にどれだけ固執するかどうか」が問題なのであって、宗教の束縛と女性差別とは関係ないということ。著者曰く
歴史的に見れば、どのような過去に遡っても、ハレムとヴェールは、コーランの啓示よりも限りなく古いことが示されている。
本書32頁
■部族を解体しようとしたイスラーム教の普遍性
本来イスラーム教が定める財産分与は女性にも分け与えることを明確に規定しています。
相続に関してイスラームは次のように規定している。各々の女の孤児には、男子の半分に相当する父親の財産を与え、息子がいない場合は、相続の二分の一を与える(残りは寡婦、尊族、兄弟に分配される)。もしも夫に子孫がいなければ、寡婦は相続分の4分の1、子孫がいれば8分の1を受け取る。尊族に対しては、死者に尊族がいれば、法律は同様にその取り分を与える。すなわち死者に息子がいなければ3分の1を父親に、3分の1を母親に、息子を持っていればそれぞれに6分の1が与えられる。
本書200頁
とし、ムハンマドが預言した神(アッラー)の啓示の狙いは
「娘にも財産を分与することで部族社会を解体し、イスラーム共同体ウンマとして生きよ」
ということではないかと考えられています。なぜなら部族社会のままでは、イスラームよりも部族のルールが優先されてしまい、(アッラーのもとでは、みな平等という)イスラームの理想は実現できないということから。
ところが、アラブ社会では依然として部族の慣習が優先され「神の啓示」は優先されていません。著者は部族社会について
部族構造とは、すべて祖先の家系に無縁である者が家族の財産に属する土地を保有できないということに基づいている。固有の土地を維持するためにはよそ者への売却を禁止しなければならないのであり、同時によそ者が相続人になることが法的にできないように構想された相続制度を備えていなければならない。
本書38頁
したがって部族社会はどうやってイスラームと部族の慣習との不整合を取り扱ったかというと、
もしも、コーランの規定に従って、娘が父親から彼に属する財産の半分を相続することになれば、娘は財産のこの部分を子供たち、つまりよそ者に譲渡することになってしまう。この危険を取り急ぎ解消するために、マグリブの人々は、すべての娘たちを相続から除外すること(すなわちコーラン法に背くことになる)と、娘を制度として父系の親族に嫁がせるという二つの保護の制度を組みわせてきたのである。
本書38頁
ということで、いとこ婚を推奨することで一応イスラーム法には従いつつ、よそ者と結婚されてしまった場合にはイスラーム法を適応しない、というふうにしたのです。
本書は1966年出版と50年以上昔の著作で「民俗学の古典」とも言われている名著にもかかわらず、彼女の仮説が世界中のマスメディアや言論世界において一般化してしいないのは不思議だなと感じつつ、個人的には、また一つ価値ある知見を学ぶことができた喜びに浸れる読後感でした。
紹介いただいた福富先生に感謝です。