「AI vs. 教科書が読めない子供たち」新井紀子著 読了 | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

 

<概要>

AI(人工知能)が「できること」「できないこと」を整理した上で、AIができない「意味を理解する力=読解力」を対象にした教育を強化することで、経済力強化はもちろん人間力強化を訴える著作

 

<コメント>

新井紀子さんの生の主張も聴きたくて神保哲郎さん・宮台真司さん主催の「マル激第893回:AIは恐れず備えよ」を300円でストリーム購入して2時間新井さんのお話をオンラインで聴いてみましたが、新井さんの考えがより深掘りできてなかなか感動的な体験でした(以下は無料のダイジェスト版)。哲学や科学全般に興味のある方に是非お勧めします。

 

 

 

本書が28万部以上というベストセラーになっているのも、世の中なかなか捨てたもんじゃないなと思います。

 

およそAIについては、新井さんも同様、私もずっと本ブログで展開してきた通り「現段階で理解できるのはAIは高性能なコンピュータにすぎず、汎用AI(新井さんは「真の意味のAI」と表現)は現時点の延長線上では実現不可能」という理解。シンギュラリティーなんて想像もできませんという感じでした。

 

新井さんは、哲学者竹田青嗣さんのいう「事実」を扱う領域と「価値」を扱う領域の違いを当たり前のこととして理解しているので自然科学の可能性とその限界の判断が的確。動画では「ホリスティック」という表現も使っていましたが、初めてこの言葉知りました。

 

「事実」を扱う領域とは「数値化できる領域」、つまり自然科学の領域

 

「価値」を扱う領域とは「数値化できない領域」、つまり本質(真善美や好き嫌いなど)の領域。

 

A I含む「数値化できる領域=自然科学で説明できる世界」は世界の一部に過ぎませんが、近代西洋で再発見されて以降、革命的に世の中を幸せな方向(※)に向かわせたのは間違いありません。しかしどこまでいっても価値の領域には踏み込めません。「確定値」として数値化できないからです

 

※幸せな方向:この場合、自然死できる人間が増えたことを指します

 

したがって、AIがどうやって価値の領域に踏み込もうとしているかというと、それは「統計的アプローチ」

 

これは脳科学者茂木健一郎さんの「クオリアと人工意識」の書評でも紹介した通り、価値の領域(言語の含む)に関しては、自然科学は過去のあらゆる事象を統計的に調査してその「傾向値」を仮説として提示していくしか方法がありません。

 

具体的には、AIの事例では過去の起こったことをビッグデータの中から対象となるデータを教師データとして”人手によって”データベースを作り、このデータベースに基づいてQ&Aの事例を数千万・億単位で用意してAIに実装するようなイメージだそうです。

 

とはいえ、このような仕組みで作ったAIは、実は大変賢くて東大合格は無理でもMARCHクラスなら十分合格できる実力。MARCHクラスだって合格するのは全学生のうち数%のレベルでしょうから「大半の学生(の学力)はAIに負けてしまう」という結果。

 

なので、AIが苦手な領域、つまり「意味を理解する能力」を身につけることで、AIでは代替できない職業ができる能力を身につけましょう、という著者の提言。私が付け加えるなら「価値を理解する能力」も。

 

◼️AIができない「読解力」という人間の能力

私も本書にある例題を解いてみましたが、実感したのは行動経済学者ダニエル・カーネマンのいう「システム1」と「システム2」の使い分けが大事だということ。

 

本来我々はシステム1(反射的思考)でものを考える癖がついており、文章を読む場合でも反射的に内容を理解しようとします。この場合、自分のよく理解できない箇所や単語などはすっ飛ばして全体を安易に理解しようとします。この結果、本来の文章の意味とは違う理解をしてしまいます。

 

しかしシステム2を稼働して意識的思考によって意味を理解しながら慎重に文章を読めば、システム1だけの読解と違って、より正確に文章を理解できるはずです。

 

つまり、我々人間がAIができない能力を発揮するためにはシステム2を適宜稼働することが重要だということです。常に稼働すると頭が疲れてしまうので「適宜」ではありますが。。。

 

新井さんの場合

 

「デカルトの『方法序説』は大変薄い本ですが、大学時代から20回は読んで、自分の科学的方法のほとんどをそこから学びましたが、それでもまだ分からない部分があります。多読ではなくて精読、深読に、何らかのヒントがあるのかもしれません」

 

と紹介しているごとく、自分が「これは」と思った本は多読するのも読解力を高める方法かもしれません。

 

◼️アクティブラーニングには否定的

私は本書を読むまで、アクティブラーニングが本来子供が教育を受けるべきメソッドなのでは、と思っていましたが、著者によればアクティブラーニングは「絵に描いた餅」としてバッサリ否定。

 

そもそも教科書の文章の意味が理解できない子供たちに真っ当な議論ができるはずがない。まずは教科書が理解できる読解力を身につけるべき、との主張は確かにそのとおりです。

 

◼️数学について

これは個人的には眼から鱗が出る言葉でした。

 

数学は長い歴史を通じて「論理」「確率」「統計」の3つの言葉を獲得した。

 

したがって著者曰く

「人工知能は、統計と確率によって、意味あるものを意味あるようにみせかける技術」

 

◼️AI恐慌について

この点は、個人的には慎重に判断すべきかなと思います。代替できそうな職業は2030年までに増えるとは思いますが、

 

「労働市場は深刻な人手不足に陥っているのに、巷には失業者や最低賃金の仕事を掛け持ちする人々が溢れている。結果、経済はAI恐慌の嵐に晒される」

 

ような事態は2030年では起こり得ず、あと数十年先の世界のように感じます。

 

すでに自動運転技術は完全自動の水準は先が見通せなくなっていますし、そう簡単に人間の仕事が「完全に」代替できるとは思えません(運転含めAIによる業務支援は増加しそうではありますが)。

 

事務業務に関しては、私のサラリーマン時代もAI導入プロジェクト含め、DX関連プロジェクトにも参加させてもらいましたが、多品種少量販売という勤務先小売業の特性もあったものの、時期尚早だったのか利益増大に直結する開発に至らない事例が大半でした。

 

例えば、システム化するほどでない定型事務業務はRPA導入の候補となりましたが、システム化同様、全ての事務手続きにおいて機械ができるよう業務フローを機械向けに整備する必要があり、これによってイレギュラーの塊である顧客サービスをバッサリ切るという大胆な判断はできずじまい。

 

つまり、フレームに当てはめられるよう大半の業務を定形化出来ない限り、全てのホワイトカラーの事務業務が、デジタル化可能なわけではないのです(人間の方がコストが安い)。

 

私の感覚では、すでにコンピュータでできるホワイトカラー業務はすでにシステム化(自動化)は終了していて、システム化できない残った仕事のみをホワイトカラーがしているイメージ。

 

また、デジタルリテラシーの低い企業もまだまだ多く、AIブームに乗ってITコンサルタントやシステムベンダーさんの餌食になる企業もたくさんある(あった)のではないでしょうか(私が勤めていた会社も含め)。

 

どっちかというと今後必要なのはアナリスト系の業務。企業が持つビッグデータをいかに利益につなげていくか?に関してはまだまだの印象で、ここはデータアナリストの人手不足でなかなか進んでいない印象を受けました。

 

つまり、ビッグデータという「事実の領域」に、データアナリストがA Iを活用してどのような評価関数(茂木健一郎)を設定して「価値の領域」に変換し、マーケティングしていくか、ということです。

 

あとはデジタル化のボトルネックである入力系の解決で、OCR技術(光学画像認識)が画期的に進歩するか、行政があらゆる文書や通信データを強制的に定形化(=フレーム化)するかですが、これは相当ハードルが高いでしょう。

 

したがって、近未来において、AIによって人の労働より安価な定型事務業務・パターン化可能な業務の規模感は、恐慌を招くほどのレベルにはならないと思います。