52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

友人の無料招待チケットで生観戦。私も東京ヴェルディとか、スーパーカップだとか、応募すると結構無料招待チケットが当たるのですが、今回は今節の目玉試合だったので、お誘いに迷わず参戦させていただきました。

 

▪️町田は、選手よりもスタッフの方が多い?

それにしても絶好調の町田がどんな試合をするのか興味津々でしたが、むしろ町田の試合内容よりも、町田の極端なスタッフの多さにびっくり。

 

選手よりも多いんじゃないか、と思うぐらいのスタッフの多さ。

 

 

元町田の太田宏介さんのYouTubeによると、とにかくスタッフが多いらしい。選手39人に対してスタッフが37人!いるという。道具係からスカウティングから、人海戦術で選手のコンディションや分析、そしてメンタル面でのフォローまで、細部まで徹底的にやり尽くしての、J1首位ということなのか。

 

 

そういえば、自転車ロードレースの世界でも スカイ(現イネオスグレナディアス)というチームが、機材、栄養、移動、気候など、あらゆる専門家の手配による強力なサポート体制をひいて、ツール・ド・フランスで黄金時代を築きましたが、まさに町田ゼルビアは「勝つためにできることはすべてやる」という体制が万全なのでしょう。これはお金があるということか。

 

あとは、黒田監督のマネジメント。試合に出ていない選手のモチベーションを高めるためのモチベーターとしての能力が抜群らしい。これはユーロで優勝したスペイン代表でも、黄金時代のフロンターレでも同じだと太田さんは言います。

 

確かにイニエスタやチャビ全盛期のスペイン代表「ラ・ロハ」を深掘りした以下書籍を読んでも、選ばれた選手全員の一体感こそ、ワールドカップとユーロのダブルタイトルを獲得した秘訣だったという結論。

 

▪️勝負に徹した町田の戦術

その町田の戦術ですが、マリノス戦を観た限り、とにかく攻撃時のぺナルティボックス内に入る選手の数が多い。いつも4−5人はボックス内に攻め込んでいるんですね。そして必ず対角線でファー側にいる選手目掛けてクロスを上げるのを徹底している。

 

 

ボックス内にあんなに選手多く入れてしまうとカウンターが怖くて普通のチームではできないと思うんですが、意外にもカウンターをあまり受けていない。

 

ちゃんと後ろに構えてる選手のポジションだとか、全員サボらずに戻る速さだとか、が素晴らしいのです。

 

 

一応数字も載せておきます。Football Labからのデータですが、セットプレーとクロスとPKで点を取るんですね(全体の70%弱)。

 

個人的にみていて楽しいサッカーというのはスペイン代表やマンチェスターシティみたいに、中央ドリブル突破だとか、スルーパスだとかポケットからの折り返しのパスからのゴールなんですが、ほとんど「楽しいサッカー」的ゴールがないのが町田の特徴。

 

楽しさは犠牲にして勝利に徹しているんですね。ただシティー監督のグアルディオラに言わせれば、上であげた楽しいサッカーを追求することこそ勝利への道、みたいなところがあるので、これは方針の違いというしかない。ちなみに町田のスローガンは「貫け、町田の哲学を。」ですから、これが町田の哲学なのでしょう。

 

ただ、こうやって理詰めで勝利をめざす方向性は、一貫していればいるほど、説得力が高い、つまり脳科学的には「一貫性が高い=因果関係が明確になる」に、私含む人間は快感回路が活性化するので、観戦していて別の意味で面白いし、心地良い。

 

それでは他チームとの比較を見てみます。

 

 

この数字を見ると、圧倒的に攻撃されないことで、首位をキープしてるということがわかります。とにかくピンチを作らない。これが最優先。

 

観戦する立場からすればヒヤヒヤする場面が少ないチームなので「安心して試合が観戦できる」ということ。

 

実際にマリノス戦では、データで見るほど守備が強くない印象。2失点目なんかも、見事に崩されて失点しています。とはいえ、常に相手に数的優位を作らせないような、よってたかっての圧縮守備が90分通して貫徹されており、さすがの首位チームだな、という印象でした。

 

 

それにしても両チーム、センターバックとセンターフォワードは外国人選手が中心、など外国人選手に頼らないと日本のトップにはなれないんだな、と実感。両チームともスタメン11人中3〜4人が外国人ですから。

 

特にセンターフォワードは両チームともフィジカルが強力な猛者(マリノスのロペス、町田のデューク)を配置しており、実際ポストとして機能しているのでボールも前に進みやすい。

 

 

 

やはりジェフも屈強なセンターフォワードがいれば、両サイドの突破と小森の決定力が活きるかもしれないのですが、贅沢は言えません。林と呉屋になんとか踏ん張ってもらうしかありません。

 

 

 

 

 

 

 

今、小中学生を対象にした放課後教育みたいなもののボランティアをやってます。

 

学童保育みたいな感じで、学校が終わった後、ある場所に来てもらってボランティアがマンツーマンで小中学生の宿題や学力ごとの特定の教科書みたいなものを活用した勉強をサポートしつつ、一緒に夕飯のお弁当を食べて過ごす、という取り組みです。

 

その活動中、直接私に対してではないのですが、とあるボランティアに小学生が「キリスト教って何?」と聞かれて「はて困った」という状況に。たぶんその小学生のキリスト教徒の知り合いが「日曜に教会に来ませんか」みたいな勧誘をされたのではないか、と思われます。

 

そこで「自分だったらどう答えるだろう。ちょうど今ユダヤ教の勉強もしているし」ということで以下考えてみました。

 

(ノルウェーのスターヴ教会。アナユキのモデルとなった教会?:2018年撮影。以下同様)

 

キリスト教は「何が正しいことなのか、何が良いことなのか、世界はどんな世界なのか」についての考え方・見方のうちの一つです。

 

簡単にいうとイエス・キリストという2000年前に生きていたらしい人が「何が正しいのか、何が良いことなのか、世界とはどんな世界なのか」については「神様から預かった教えに基づいて判断しましょう」ということにしました。その具体的な教えが記された本が「旧約聖書&新約聖書」。

 

地球上には、はさまざまな考え方・見方があって、そのうちの一つがキリスト教の考え方・見方。

 

ちなみに今の日本国は「啓蒙主義」という考え方・見方で「何が正しくて何が良いのか」「世界はどんな世界なのか」について判断しています。なので学校で習う勉強もすべて啓蒙主義の考え方・見方に基づいて教えられています。

 

例えば世界中には、キリスト教や啓蒙主義の他にも、さまざまな考え方・世の中の見方があります。

 

中東などのアラブ社会ではイスラーム教、インドではヒンドゥー教、中国では儒教などの考え方・見方をする人が多い。でも全員ではありません。インドでもたくさんのイスラム教の人がいるし、中国にも儒教の考え方に染まっていない人もいます。

 

当然日本人にもキリスト教やイスラーム教の考え方・見方をしている人もいますし、仏教の考え方・見方をしている人もいます。創価学会の人も仏教的な考え方・見方をしています。

 

戦前の日本人の場合は、国家神道と中国の儒教が合わさったような考え方・見方で「天皇は神様で、世界は天皇の祖先が作ったもの」「家族は仲良く、(どんな人であっても)お父さん・お母さんなどの目上の人を敬うように」みたいな感じになります。

 

このように世界中にはいろんな考え方・見方があるのです。

 

(フィンランド ヘルシンキのウスペンスキー寺院)

▪️何が良いことなのか

「何が良いことなのか」については、例えばキリスト教の場合はいくつかありますがその一つとして「困っている人は助けなきゃいけない」という考え方がありますが、啓蒙主義の場合は違います。

 

啓蒙主義の場合は「困っている人を助けるかどうか、はその人の自由」というようになります。相手の状況が深刻で「助けたほうが良い」と思えば助ければ良いし、相手の状況は深刻でなく、しかも「今は忙しくて助ける時間や余裕がない」ということであれば助ける必要はありません。すべては個人の自由意志です。

 

儒教的考え方を持っている多くの中国人だったら、良いことの一つとして「おじいちゃんおばあちゃんを大切にすることは良いことだ」と思っているはずですが、啓蒙主義の考え方では「おじいちゃんおばあちゃんを大切にするかどうかは個人の自由」となります。

▪️世界はどうやってできたのか

キリスト教では「この世界はすべて神様が造ったもの」となります。地球も太陽も人間もゾウもライオンも虫もコロナウィルスもみんな神様が造ったものです。

 

一方、啓蒙主義は世の中は神様が作ったものではなく、宇宙があって地球があって、というのは、たまたま偶然にできたものだし、生き物は特に進化の過程で偶然にできたもの、ということになります。人間も偶然の自然の進化の過程の一つで「たまたま誕生した」ということになっています。

 

多分、中学に入ると地学の勉強をしますが、そこでも「世界は神様が造った、人間も神様が造った」というようなキリスト教の考え方・見方では教わりません。

 

ちなみにエジプト人などのイスラム教徒の人に「世界は誰が造ったの?」と聞けば、当たり前のように「神様(アッラー)が造ったに決まってるでしょ」となります。イスラーム教徒は世界中に16億人いるといいますから、80億人の世界人口のうち、5人に1人ぐらいは、こう答えるはずです。

 

ただしエジプトの学校では私たち日本人と同じように啓蒙主義的な世界観も教わるはず(未確認)なので、彼ら彼女らは「科学的(科学は啓蒙主義の一つ)には世界はこう、イスラーム的には世界はこう」というように世界の見方を分けて考えているはずです。

▪️人間社会の決まりごと

私たちが生きている社会について、啓蒙主義の考え方では、私たち人間社会では、基本的に人間は自由で、個人個人のお互いの自由・権利を守るためにみんなの合意を前提にしたルールを作り、そのルールにしたがって私たちは工場などで働いてお金を稼いだり、高齢者を介護してお金を稼いだり、田畑を耕したり、牛や豚・鶏などを飼って食べて生きています、というふうになります。

 

「仕事は何をしたいか」は自由ですから、資格や学歴、企業や役所側の要望などの条件さえ整えば、就職先との合意の上で自分で判断して就職先を決めることができるのです。

 

キリスト教では職業に関する決まりは「キリスト教徒を対象にした利息をもらう金融業は禁止」みたいなルールはあります(今は守られていない)。

 

また昔のインドのヒンズー教徒は生まれながらにしてどんな仕事に就くのか、決まってます。カースト制度というヒンズー教の考え方に基づき、生んでくれた親の仕事と同じ仕事をするというルールがあるです。

 

ちなみに江戸時代の日本も似たような感じです。身分制度があって職業の選択は基本的に自由ではありませんでした。

 

(フィンランド ヘルシンキ「岩の教会」テンペリアウキオ)

 

このように「キリスト教って何?」って小学生に聞かれた時の答えを考えてみたのですが、これでもたぶん難しすぎるかもしれません。

 

高校生レベルだったら理解できるか、今度知り合いの高校生に確認してみようと思います。

 

私は都民ではありませんが、都知事候補だった安野たかひろさんと石丸伸二さんが多くの票を獲得したので、日本にもまだまだわずかな希望があるのかな、と思った次第。

 

既存政党のように宗教や業界団体・労働組合などの既得権益組織に一切忖度せず、本当に私たち庶民が欲していることを具現化してくれそうな二人だったからです。

 

特に安野さんの「ブロードリスニング」という主張は、素晴らしい。

 

 

奥さんのあの扇動的な前振りは好みではありませんが、彼の考えは、かすかに民主主義の未来を実感させてくれるような主張。

 

これまでルソー初め、哲学的に民主主義を勉強してきた実感からすると、民主主義の最も大切なことは、

 

①暴力に訴えずに政権交代できること

②よっぽどの迷惑をかけない限り、自由に自分の主張をしていいこと

 

です。

 

特に「自由に自分の主張をしていい」ということは逆に、どんなに自分が嫌いな考え方であっても、必ずその考え方の存在は認めなければいけない、ということです(=排外主義の排除)。

 

「何が正しいか」は人によって違うし「何が幸せか」も人によって違います。だからこそ私たちは、あらゆる選択肢が選べるよう「表現の自由」や「信条の自由」は可能な限り担保する必要があるのです。

 

その点、あらゆる人の主張や考え、要望をAIを活用して見える化し、それを政策に反映させようという安野さんの試みは、まさに「新しい民主主義」を予感させてくれる、かすかな希望。

 

この時に大事なのは、デジタル化されていない情報

 

すでにデータとして上がっている情報だけでなく、リアルな情報をいかに効率よくかき集めるか、も大事で実際に安野さんは、離島に行ったりしてリアルな地元の声を収集。

 

でもこれらも、もしかしたら、安野さんのような人たちが、アナログな情報を簡単にデジタル化できるツールを作ってある程度、解決してくれるかもしれない。

 

 

個人的に過去に「大手小売業でいかにお客様の声を集めるか」について研究していましたが、インプットに関して大事なのは二つあります(アウトプットは別途必要)。

 

*一つ目は「アナログ情報を、いかに簡単にデジタル化できるか」ということ。

 

なぜならWEBだけでアンケートをとるなどの情報を集めると、デジタルデバイトの問題で、歪な情報になってしまうこと。まだまだ高齢者の一部はデジタルの世界にいない人も多いので、WEBだけでは情報が偏ってしまう。なのでアナログ情報を簡単に(=できるだけ低コストで)データ化できるような仕組みが重要なのです。

 

*二つ目は「アナログ情報は、デジタル化がいくら進んでも不可欠だ」ということ。

 

なぜなら置かれた環境によって答え方も変わるのが人間です。例えば、マーケティングの世界では「グループインタビュー」などして本当の顧客の声を聞いてみよう、となります。

 

私の体験では、実際に顧客に本当のところをぶっちゃけで話してもらうと、実際にはアンケートで答えた情報とは丸切り違う答えをする人もいたりするのです。あるいは表面的な答えのもっと本質的な要望が可視化したりすることもあります。

 

なので、ほとんどの人がデジタルの世界に慣れ親しんだ世の中になったとしても、依然アナログでの情報収集は重要で、これはどこまでいっても変わらないのでは、と思います。

 

 

以上、安野さん、または安野さんのような方々が日本でも多く誕生して、彼ら彼女らが政治や経済の中枢になっていけば、もしかしたらまだまだ「日本も買い」かな、と思った次第です。

 

 
トランプ大統領候補の副大統領候補ヴァンスの著作。
 
以下、7年前に読んだ時の感想。トランプ大統領候補がなぜ彼を選んだのか、なるほどな、と思います。
 

「ヒルビリー」つまり田舎者と呼ばれるラストベルトのスコッツアイリッシュの人達の実態を赤裸々描写した佳作。

アメリカにはマイノリティがいくつかあって、アフリカ系、ヒスパニック、アジア系が、よく言われる被差別層だが、実はもっと大きな塊であるヒルビリーという白人被差別層にスポットライトを当てて、当選したのがトランプ大統領だという。

解説者曰く「50年後のアメリカ人が2016年のアメリカを振り返る時、本書は必ず参考文献として残っているだろう」と述べたごとく、それだけ本書は白人労働者階級社会を的確に描写しているということだと思う。
 

本当にロアッソ熊本はいいチーム、というかみていて楽しいサッカー。ポジションも規則ごとはあるのかもしれませんが見た目は自由にポジションチェンジして玉離れも早い。大木監督のチームはサッカーが面白い。どのクラブで指揮をしていても。

 

 

熊本の場合は特に選手同士の気持ちと気持ちが通じ合ってる感じ。パスの出所を周りの選手がどんどん作ってくれるから、スムーズにパスが回るのです。

 

なので、ジェフ得意のプレッシングも全くはまらない。プレッシングがはまらなければ効果的な中盤より前からのボールダッシュもできないから得点チャンスもなかなか作れない。

 

そして鈴木キャプテンやメンデスの不在の影響大きく、さらに代役の松田の疲労もあってか、空中戦で2度も負けてしまい、2失点。

 

 

多分メンデスや鈴木がいたらこの2失点はなかったかもしれない。もちろん「たられば」。

 

さらに絶対的レギュラーの高橋も今節は欠場だから、カバリングなどの影響もあったかもしれない。そして藤田GKもちょっと今節は不安定だった(天皇杯観る限り、鈴木GKの方が安定感あり)。

 

 

兎にも角にも12000人集まった試合で、ここぞ、というときに負けてしまうのは、2年前までのジェフを見ているかのよう。そして水曜日のナイトゲームに強いのも同じ。この辺りは選手・監督ほぼ総入れ替え状態なのに、ジェフならではの特徴が残っているというのはどういうわけなんでしょう。

 

何れにしてもリーグ戦だけみれば、2戦連続の完敗なので、これまでの戦術と戦い方は維持しつつ、新たなオプションを用意すべき段階なのかもしれません。

 

とにかく結果を出して欲しい。そうでないと選手も監督も変わってしまうから。

 

 

今のチームは、天皇杯なんかの試合をみても私たちに唯一無比の感動を与えてくれる素晴らしいチーム。本当にこのチームをベースにJ1に上がってもらいたいからこそ、結果にこだわってほしいのです。

 

まだまだ、チャンスはあります。

播磨は瀬戸内式気候で、雨少なく一年中比較的乾燥した地域。

 

乾燥した地域では、穀物は米よりも小麦や大豆に適しているため、小麦・大豆の栽培が盛んになります。しかも年間当たりの降雨時間が少ないから、天日干が必要な海岸沿いでの塩や皮革の生産にも適している。

 

(播磨平野の小麦畑:2024年5月撮影。以下同様)

 

さらに瀬戸内海周辺は、約1億年前の火山活動の関係で「花崗岩」や「流紋岩」などの二酸化珪素成分の多い石が多く分布しているため、麹菌が嫌う鉄分がほとんど含まれていない一方、カリウムなど酵母の栄養となる成分が多い、という地質上の特徴あり。

 

特に播磨の龍野地域を流れる揖保川周辺は花崗岩が多く「醸造」に適した地域なのです。

▪️うすくち醤油の発祥地「龍野」

関西といえば「うすくち醤油(淡口醤油)」が有名で、私たち関東人からみるとうどんやそばのつゆの色が薄く、違和感あるのですが、薄い色になぜなったかというと、江戸時代初期に龍野でうすくち醤油が開発されたから。

 

(揖保川とヒガシマル醤油工場)

 

かつて龍野では酒造りが盛んだったのですが、水がミネラルをあまり含まない「軟水」だったため、発酵に時間がかかり非効率。

 

一方で酒造りのライバルだった摂津の灘五郷は「宮水」といって若干のミネラルを含むソフトな「硬水」系だったため、発酵がはやく生産効率面で龍野に比して優位。しかも発酵が速い、ということは辛口になるということで消費者にも人気が高い味。

 

このため龍野の蔵元たちは酒造りを諦め、醤油生産に業態転換したのです。

 

(うすくち龍野醤油記念館)

 

たつの市内にある、うすくち龍野醤油資料館によれば、揖保川が中国山地を出た、流れが緩やかになるあたり、つまり龍野旧市街のあたりで、醤油生産が始まります。揖保川の軟水と播磨平野の小麦、中国産地の山間で生産された大豆、これに赤穂の塩を利用して醤油生産が盛んになります。

 

(同上)

 

龍野の醤油は、軟水のため発酵がゆっくりで塩水の濃度を通常よりも濃くしつつ(だから色が薄くなる)、甘酒を最後に加えてまろやかにした醤油。したがって味は「うすくち」ではなくむしろ普通の醤油よりも塩味が強いので「濃口」なのです。だから薄口醤油は「淡口醤油」。

 

(同上。かつては「うすくち」ではなく「淡口」と表現)

 

現在では、菊一醤油造と浅井醤油が合併してできた「龍野醤油」が改名した「ヒガシマル醤油」が有名ですが、他にも醤油会社が七社。計八社が生産しているとのこと。

 

(たつの市:末廣醤油)

▪️「揖保乃糸」は組合制で会社ではない

龍野のもう一つの特産品「揖保乃糸」ブランドのそうめん。実は「揖保乃糸」という会社があるわけではなく、龍野のそうめん生産者400名超の協同組合「兵庫県手延素麺協同組合」のブランドなのです。

 

(揖保乃糸:そうめんの里)

 

各生産者の品質基準を明確にし、等級に分け、生産・販売。実際に工場をみると、ほとんどの工程が機械化されているものの「手延べ」という麺を伸ばす工程だけは気温や湿度の微妙な変化の関係で機械化できず、今でも「手延べ」に頼っているそう。

 

(「特級」のそうめんを現地で食す。確かに極細面のそうめんで美味)

 

これは私たちがスーパーで買っている赤帯の普及品「揖保乃糸」でさえも同じだそうです(詳細は以下参照)。

 

 

 

(館内のお土産。「緑帯」は地元晩播州=播磨の小麦「ふくほのか」を使用)

 

龍野は、麺が白くなりやすい揖保川の軟水、播磨平野の小麦、赤穂の塩など、品質よく豊富な原材料があること、瀬戸内式気候で雨が少ないので、そうめんの天日干しに適していたこと、近隣農家の勤勉な労働力があったこと、揖保川から瀬戸内海への水運が発達していたこと、などの理由でそうめん作りが盛んになったとのこと。

 

(観光客向け製造工場。実際に私が訪れた5月は製造していない→10月〜4月が製造期)

 

*なお、組合方式は小豆島のそうめん「島の光」も同じ。「揖保乃糸」と「島の光」の大きな違いは、油の違いで、揖保乃糸は綿実油で島の光は(カドヤの)ごま油。

 

(千種川河口より、小豆島を望む)

▪️赤穂の塩はなぜ赤穂なのか?

赤穂は、赤穂義士(地元では赤穂浪士ではなく赤穂義士だそう)と塩が有名ですが、今でも塩の生産は行っているものの、赤穂ならではの塩は、江戸時代に開発された「入浜式塩田」が塩生産が盛んになって以来。

 

(今でも赤穂で塩の生産をしている「赤穂化成株式会社」)

 

赤穂は、千種川の河口にあり、東岸の塩田は東日本や北国向けに大粒の塩を生産し、西岸の塩田は小粒の塩を生産するなど、全国屈指の塩の生産地。

 

(赤穂八幡宮)

 

赤穂市沿岸は遠浅のため、千種川が運ぶ細かな土砂が河口部に堆積し、広大な平地を形成する一方、瀬戸内式気候という降雨の少ない気候のため、海水を乾燥させるのにちょうど良い地。しかも瀬戸内海は干満差が大きいために、満潮時だけ塩田に海水を取り込むことで他の地域のように海水を撒く手間がなく、生産コストも生産性も日本随一。

 

 

実際に赤穂市を訪れると「塩の国」という観光施設がかつて塩田があった場所にあって、実際に塩作りの体験ができます。

 

 

ここでは明治時代に発明された近代的製塩方式=流下式塩田で採取したかん水を使用して塩作りが体験できます。海水の塩分濃度は%ですがかん水は15〜20%なので、これを煮詰めることで塩ををつくることができるのです。

 

(かん水を煮詰めて、最後はスプーンでガリガリやりながら塩をパラパラにする)

 

入浜塩田も、塩田でそのまま塩を取り出すのではなく、表面の塩を含んだ土を海水に取り込ませ、漉して「かん水」を作り、これを煮詰めて塩を作っていたとのこと。

 

(「塩の国」内にある入浜式塩田)

▪️日本一の皮革生産

平安時代末期から播磨は皮革の生産地として栄えていたというから、相当に古い歴史を持ちます。中国山地は但馬牛に代表されるごとく牛の生産も盛ん。その中国産地を源流とする市川や揖保川、林田川沿い播磨平野で皮革生産が盛んになります。中でも市川沿いの姫路市高木地区が有名。

 

(実際に訪れると高木地区は、皮革工場の集積地帯)

 

やはり皮革生産においては、そうめんや塩と同様に瀬戸内式気候は「雨が少ない」という点が重要で、皮の天日干がしやすい気候。川沿いでの皮なめしもしやすく、皮革の保存や処理に必要な塩の調達もしやすかったのです。

 

さらに消費地の大坂・京都などが水運を通じて大量に運べる環境があったからでしょう。

 

昔ながらのなめし手法は、川とそこに棲むバクテリア、塩、菜種油だけで完結させる、重労働の仕事。

 

(かつて皮の加工に利用したという市川)

 

化学薬品が発明されてからは、ほとんどが薬品による「なめし」に切り替わったとのこと。ちなみに、薬品を使ったなめしがおよそ1カ月で全工程を終えるのに対し、従来の薬品を使用しないなめし「白なめし」では2〜4カ月かかるなど、大変な手間がかかるので、昔ながらの白なめしを行っている職人は1名だけになってしまったそう。

 

それにしても1000年以上続く伝統の技術を継承する方が一人のみとは、残念です。

 

 

▪️姫路城という奇跡

天下無双のお城「姫路城」は瀬戸内式気候とはあまり関係ないのですが、播磨を代表する(というか日本を代表する)国宝の城なので、ちょっと紹介。

 

(姫路城。2024年5月撮影)

 

実は私は母の実家が姫路なので、子供の頃から何十回姫路城を訪れたか、わからないほど訪れています。とはいえ先日大天守の「平成の大改修」が終わり、

 

(平成の大改修:2013年4月撮影)

 

見事に真白になった姫路城は初めて訪れました。

なお、お城(主に天守)の色によって何系のお城かがわかります(熊本城など例外あり)。

*白いお城=徳川系(姫路城、二条城、名古屋城、彦根城・・・)

*黒いお城=豊臣系(松本城、岡山城、広島城・・・)

なので、姫路城は徳川系のお城。まさに徳川家康の娘婿「池田輝政」が築城したお城。ちなみに黒=黒漆、白=漆喰で、技術面から後代になればなるほど漆喰の優位性から白い城が多くなった、というのが実情らしい(朝日新聞記事より)。

母の家族からはいつも姫路城の奇跡について教えてもらってました。それでは姫路城の現存天守が今も残されているという姫路城の奇跡とはどういうことでしょうか?

 

それは、度重なる廃城のリスクの回避と姫路城という稀有の遺産への日本人の気持ちが、漏れなくすべて整ってはじめて残った、という奇跡。

 

(2024年5月撮影。以下同様)

⑴江戸幕府の一国一城令の回避

幕府の中央集権化の一環としての一国一城令に基づき、多くの城が廃城になりましたが、西国を統治する重要な拠点だった播磨の姫路城は廃城を逃れた。

 

(姫路城大天守から小豆島を望む)

⑵明治政府の廃城令の回避

幕藩体制が終了し、無用の長物と化したお城は廃城令でほとんどがなくなったものの、47城だけが学校や官公庁、工場の跡地として再利用され、姫路城の場合は工場用敷地として、城全体が残された。

 

⑶地元民の落札と陸軍幹部の助言

姫路城の天守は競売にかけられ、地元民の神戸清一郎氏が瓦などの建築部材用として落札(現在貨幣価値で47万円!)したものの、全ての部材が大きすぎて商売にならず、返還。その後陸軍の中村重遠大佐が山縣有朋などに姫路城(と名古屋城)の文化財的価値を進言して保存が決定。以降昭和4年には国宝に認定され、戦前から戦後にかけて昭和の大修理が行われました。

 

⑷太平洋戦争大空襲の回避

昭和20年7月3日、米軍から空襲された姫路市中心地。戦後、空襲した米軍のB29機長(A・トームズ)に「なぜ姫路城には爆弾を落とさなかったのか」聞いたところ、姫路城はレーダーでは「水面」と表示されたため焼夷弾投下対象外にしたという。

 

 

当時のレーダー精度では水か陸地か、しか判別できず、お城の周りにあったお堀のおかげで姫路城は「池や湖」と判別され、焼夷弾が投下されなかったのです(神戸新聞記事より。日本列島大空襲の詳細は以下参照)。

 

 

いくじゅうもの条件がすべて合わさった結果、この素晴らしく美しいお城が残ったというわけですね。そんな姫路城も今は世界中で大人気のようで、5月に伺った時は、半分以上は外国人じゃないか、というぐらいの盛況ぶりでした。

 

 

<概要>

全訳ではないが、重要な箇所について旧約聖書を現代人にもわかりやすく解説書付きで意訳に近い形で訳された著作。

<コメント>

旧約聖書を読むにあたって、最初のとっかかりとして本書を選択。旧約聖書自体が目茶苦茶長いので、まずは、おおよそのイメージをとらえるためにはよかったかな、と思います。

 

いずれにしても旧約聖書を忠実に守ったら現代ユダヤ教徒・キリスト教徒は生きられないでしょうから、当然イスラーム教のコーラン同様、現代宗教指導者等による現代的な解釈が必要だと改めて実感。そして自分たちに都合の良い解釈が生まれるのは宗教の世界の常ですね。

 

ちなみに旧約聖書の場合は、今受講している東北学院大学の田島卓先生によれば旧約聖書自体が「発展的加筆」と言う、過去に書かれた記述をよりわかりやすく再作成することによって年かけて作られた経典。したがって「解釈」前提の経典であるとのこと。

『申命記1:5』

「モーセは、ヨルダン川の東側にあるモアブ地方で、この律法の解き明かしに当たった

 →モーセが解釈しているのを「よし」としている

さて、本書は全訳ではないとはいえ内容は多岐に渡り、ざっくり以下のように分類できます。

 

⒈世界の成り立ち(創世記)

⒉ユダヤ人の歴史と神(創世記・出エジプト記・イザヤ書)

⒊各種律法と助言(出エジプト記・伝道の書)

⒋世界説明(伝道の書)

 

それでは個別に感想を以下整理。

⒈世界の成り立ち(創世記)

創世記を読むと、人間と動物は連続したものではなく、人間は動物とは違う特別な存在だ、というふうになります。なぜなら人間は神が泥を固めて自分の身を真似て造ったものだから。そして動物を支配するのが人間、という存在。この辺りはだいぶ生物学の知見や東洋的な思想とは違います。

また神が言った。「われらの像に、われらに似せて、ヒトを作ろう。そしてこれに海の魚、空尾の鳥、家畜、すべての野(獣)と、地に這うすべてのものとを従わせよう」

本書「創世記」⒈天地創造

人間含めて生きるものは皆「産めよ。殖やせよ」と神が命じていますので、イスラエルは先進国にも関わらず特殊出生率が「3.0」と突出して高いのも頷けます。

祝福して言った。「産めよ、殖えよ、海水に満ちよ、また鳥は地に殖えよ」夕となり朝となって五日目が終わった。

同上

エヴァ(女性)はアダム(男性)の肋骨から作られ、さらにエヴァがヘビにたぶらかされて善悪を知る木(=禁断の実)を食べて、アダムも勧められて食べてしまう。この結果、人間はエデンの園を追い出されて働かないと生きていけない世界に放り出され、女性は出産で苦しむことになる、という有名なストーリー。
 
*女性の誘惑→抗いきれない男性→生まれつき人間は罪深い=原罪
 
心理学的・生物学的に蛇が「人間含む動物一般に恐怖心を与える」という説があり、京大での実験でも「生まれつき人間は蛇が怖い」と言う説もあり、旧約聖書でも蛇を特別扱いしているところをみると、あながち古代人の経験則も『文化がヒトを進化させた』のいうとおり「疎かにはできないな」と思います。
ヤハウェ神が作ったすべての野獣の中で、蛇がいちばん悪賢かった。
本書「創世記」3楽園喪失
また、出産に関して、動物の中で唯一人間だけが出産で苦しむのですが(人間の赤ちゃんは頭が大きいから)、このあたりも旧約聖書の物語は、ちゃんと抑えてあるんですね。神のお言葉(=古代人の知恵?)は深淵です。
 
そして、一神教にとって「労働は苦しみ」。この辺りの価値観も今に生きる一神教の人たちの価値観に影響しているかもしれません。東アジア人というか日本人の場合は私の印象では「労働は美徳」であって「苦しみ」ではありませんから。
 
ちなみに現代イスラエル人の祝日は多いし、金曜の夕方から始まる安息日含む土日もちゃんと休むので、イスラエルに住むと休むばっかり、みたいな感覚になるそうです。

⒉ユダヤ人の歴史と神(創世記・出エジプト記・イザヤ書)

⑴ユダヤ人の歴史

アダムに始まって、アブラハムやモーセに至るまで、延々と記されています。

 

アダムを始祖としノアに至れば、ノアの方舟よろしくノアの家族以外の人間は全滅。

アダム→セツ→エノス→カイナン→マハラレル→ヤレド→エノク→メトセラ→メレク→ノア

 

②ノアの方舟で助かったノアの家族の系譜。のバベルの塔を作ったら、神に怒られて言語をバラバラにされてしまう。

 ノア→セム→アルパクサデ→シェラ→エベル→ペレグ→レウ→セルグ→ナホル→テラ→アブラム(のちにアブラハムに改名)

 

③アブラハムは、カナンの地(今のパレスチナあたり)からエジプトへ向かい裕福になってまたパレスチナに戻り、神との契約により、中東からエジプトにかけての始祖となる。のちにヤコブはエジプトに移住し、その息子のヨセフはファラオの元で長官となってエジプトの中枢になる。

 

 アブラハム→イサク→ヤコブ(のちにイスラエルに改名)→ヨセフ

お前の子孫にこの地を与える。エジプトの川からユーフラテスまで。

創世記15

④ヤコブ以降、イスラエルの民はエジプトにて人口爆増し、ファラオにとって目障りな存在に。そこでファラオは、イスラエルの民にわざと苦役を与えて追い出そうとする。

ヨセフを知らぬ新しい王が、エジプトに現われた。王は国民に言った。

「見よ。イスラエル人は多すぎて、我らの手に負えぬ。早急に意手立てを講じよう。さもないと、彼はますます殖えるばかりだ。そして、ひとたび戦争でも起これば、きっと敵の側についてわれらに刃向かい、この国から脱出するかも知れぬ」

出エジプト記1

そこで登場したのがファラオの王女に育てられたモーセ。モーセは神の声に従い、イスラエルの民を引き連れてエジプトを脱出。

イスラエル人はラメセスからスコテに向けて出発した。・・・イスラエル人がエジプトに住んでいた期間は、430年であった。

出エジプト記16

このように、モーセがパレスチナにたどり着くまでの歴史が延々と語り継がれていて、純粋な物語として読んでも面白い箇所。ユダヤと古代エジプトの関係がここまで密接な関係にあるとは、旧約聖書を読むまでは知りませんでした。

⑵神

旧約聖書を読む限り、一神教の神様は、どう考えてもイスラエルの民だけの神

 

コーラン日本語訳を読むと、イスラーム教徒にとっては旧約聖書に登場するアブラハムもモーセも預言者のムハンマドと同じ扱い。

 

アブラハムやモーセを通して発せられた神のお言葉は、旧約聖書の中ではイスラエルの民だけに向けた言葉であっても、ムハンマドからみれば、世界に生きるすべての人間への預言である、というふうになっています(だからアッラーを信じないものは死後全員地獄に落ちる)。

 

とはいえ、旧約聖書だけ読めば、神はあくまでイスラエルだけの神であって、同時代に生きていたエジプト人の神でもアッシリア人の神でもない。この辺りは明確。

だからイスラエル人にこういうがよい。<われ有り>という神から、このわたしは、おまえたちの所に遣わされたのだ、と。

本書「出エジプト記」3モーセの召命

わたしはおまえの神ヤハウェ。エジプトの地、奴隷の家からおまえを導き出したものである。

本書「出エジプト記」25十戒

後代のエジプト人もほとんどがイスラーム教徒になってしまうので、古代エジプトのホルス神やオシリス神、太陽神ラーなどは過去の遺物になり、イスラエルの神が唯一の神として彼らの信仰の対象になったのは皮肉です(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の神はみな同じ神なので)。

 

もしかしたらキリスト教が浸透していく中で、イスラエルの神がローカルな神からグローバルな神に転換したのかもしれません。

 

ちなみに神自身の性格は、イスラーム教のアッラーとほぼ同じ。全知全能の神であり、すべてを創造する神であり、すべてを司る神。

「われはヤハウェ。万物を造り、ひとり天をひきのべ、みずから地をくりひろげ、易者の徴を乱し、占者を狂わせ、知者をしりぞけ、その知識を嘲る」

「われはヤハウェ。唯一無比。光を造り、闇を創造し、幸を作り、災いを創造する」

「第二イザヤ」7クロスの召命

すべての行為は、しかり、善であれ悪であれ、いかなる秘密も、神によって裁かれるからである。

「伝道の書」14エピローグ

⒊各種律法と助言(出エジプト記・伝道の書)

「十戒」が代表的ですが、生きる上での規則については、旧約聖書でも多くのページが割かれています。例えば偶像崇拝禁止については明確に

おまえは偶像を刻んではならぬ。・・・いかなる形像をも。・・・またそれを拝んでも、それらに仕えてももいけない。・・・

同上

と否定しています。翻訳者の解説によれば、偶像崇拝は像を作ることによって「神」が限定されてしまうことになってしまうし、神の被造物である人間が神の像を造ることは神の主権を侵すことになる、とのこと。

⑴禁止

*人殺し、姦淫、盗み、隣人に対する嘘、同胞への金利請求、賄賂・・・

*小山羊をその母の乳でにてはならぬ

 →現代ラビ・ユダヤ教のカシュルート肉と乳製品を一緒に調理しない」の根拠ですね。一方で「豚肉を食べない」などの他のカシュルートは、本書には未記載。調べるとレビ記11にカシュルートの詳細が記されています。

⑵義務

*唯一神のみの信仰、安息日の履行、割礼、孤児や寡婦への施し・・・

 

 中でも男性の「割礼(包茎手術)」は旧約聖書でも重要な神との契約の徴として重要視されているのは意外でした。

「・・・おまえののちの代々の子孫との間に守られるべき契約というのだこれだ。すなわち、おまえたちの男はみな割礼を受けること、その包皮の肉を切って、これをわたしとおまえたちの間の契約の徴とすることだ。・・・わたしの契約は、おまえたちの肉に刻まれて、永遠の契約となるであろう。包皮の肉を切らない無割礼の男子がいたならば、彼はその民の中から絶たれるであろう。それはわたしの契約を破るものだからである」

創世記17

⑶罰

 *生命には生命を、目には目を、歯には歯を、手には手を・・・・

 *盗んだものはその二倍の賠償

 *男が処女と通じた場合は、その女性との結婚

 

コーラン同様、旧約聖書も大きなことから細かいことまで、さまざまなルールが規定されていて、この辺りは、旧約聖書がのコーランの手本になっていたのかもしれない。

⑷助言

特に「伝道の書」で、神から人間への助言が散りばめられています。義務としての「・・・しなさい」ではなく、助言としての「・・・するといいですよ」という助言。中身が実に現実的でリアルで面白い。以下主な助言を紹介。

 

*財産はリスクヘッジのために七つか八つに分けておくこと(伝道の書14)

*生ける犬は死せる獅子に勝る「どんなことがあっても生きよ」(同10)

*何事も中庸であれ「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(同8)

*若い者は青春を楽しんで悔いを残すな。したいことはし、見たいものは見よ(同13)

*憂いを取り払って鬱になるな(同13)

*時と偶然が支配する世の中だからこそ、徳福一致はないと思え(同11)

この辺りは神の存在と矛盾するように感じる。コーランの「神の意思は人間には計り知れない」の方が説得力がある。いわゆるインシャーアッラー(神が望むなら)です。

*苦労多い人生だからこそ、(アルコール含む)飲み食いして楽しむべし。(同10)

*何事もベストを尽くせ(同10)

*王(上司)の命令は守ろう。嫌なことがあっても安易に退職するな。王に従っていれば嫌な思いをすることはない(同9)

 

実に面白い。これが2000年以上前に生まれているのですから。。。

⒋世界説明(伝道の書)

伝道の書は、時代がおおいに下り(BC1000年あたり)、全イスラエルの王となったダビデの息子コーヘレスの言葉が紹介されている箇所。とはいえ、翻訳者によればコーヘレスをダビデの息子にしたのはこの書の内容を権威づけるためのフィクションであろう、とのこと。
 
「コーヘレス(コヘレト)の言葉」とも訳されていて、コーヘレスの世界説明は生々流転。世界とは生々流転するものであり「すべては空である」となる。つまり古代インド的な思想とよく似ています。
 
仏教含む古代インド思想では、すべての前提を「輪廻転生」におき、輪廻転生を前提に世界説明し、だから私たち人間は煩悩から抜け出せない、となるのですが、コーヘレスの場合は「生々流転によって人間が煩悩に苛まれる」とまでは言ってません。
 
どちらかというと、旧約聖書の場合、この世は「空」なのだから、私たちがこの世にいようがいまいが、世界は変わらずに生々流転しており、自分たちを襲う不幸や幸福に右往左往しても意味がない、というような考えのようです。

「空の空である」とコーヘレスが言う。「空の空、いっさいが空である。天が下で人間がいかに労しても、その労苦が、およそ何の益になろう。世は移り、世は来る。しかし地は永遠に変わらない。

旧約聖書「伝道の書」1万物流転

 
以上、旧約聖書の一部を翻訳した本書を読むと、旧約の世界観が若干わかるとともに、世の中は空である、というような東洋的な無常感も記されたりして、一神教のイメージとはだいぶ違うように感じます。今回は、あえて解説本などは読まず、素直に旧約聖書の翻訳本を読んでみました。
 
今後は、解説本なども読みつつ、さらにユダヤの本質に迫っていこうと思います。

痺れた試合だった天皇杯。今回のフクアリは、来て良かったと思わせる圧倒的ジェフ!!

 

 

なんと言っても小林祐介キャプテン。感動しました。120分間、走り切って一体彼は昨晩何キロ走ったんだろう。危ないところに必ず顔を出して、ブロックしてくれる頼れるキャプテン。そして的確に前線にボールを供給。

 

 

小林裕介の素晴らしいところは、毎年どんどんサッカーが上手くなってるし運動量も増えているところ。一人のサッカー選手として、一人の人間として尊敬できる素晴らしい選手。

 

ずっと彼のプレーを生で見ていると、彼の進化ぶりがよくわかる。よくここまで成長してくれたな、という印象。

 

 

そしてかつて右サイドバックだった松田がこの2試合、センターバックとして復活。いい意味で目立たないところが彼の良さ。どっしりセンターに立って、確実にカバーし、確実にラインをコントロールし、ミスがない。入団当初に比べると、自信もついてきた感じで、彼も小林同様、どんどん進化している。

 

林はやっと、彼の真骨頂を発揮。猛烈なプレスとここぞ、というときの決定力。眠れる獅子が覚醒したかのよう。

 

 

交代で起用された高木は、生まれ変わったと言ってもいいほどの運動量と迫力と相変わらずのテクニックで攻撃を主導。そしてリアルストライカー、呉屋の決勝弾を演出。

 

もちろん、メンデスの空中戦、戻ってきた日高や、長友とのサイド攻防戦を制した田中など、まさにWINBYALLそのものの戦いがピッチで躍動。

 

 

興奮冷めやらぬ素晴らしい天皇杯の夜でした。

 

 

*FC東京サポーターの「俺たちJ!!」みたいな相手チームを揶揄するようなチャントは残念。ということでFC東京は、あまり応援したくないチームになってしまいました。松木 玖生選手は素晴らしかったけど。。。。

兵庫県を1周して感じるのは、多様な地域が合併した県であるということ。地域文化の区分にほぼ近い旧来からの区分でいえば、播磨・摂津・丹波・但馬・淡路の五つの国が合わさった県で旧五国と言われます。

 

なぜ兵庫県がこれだけ多くの地域を包含したかというと、大久保利通の発案だったらしい。大久保は、兵庫県は神戸港という屈指の国際貿易港を有している県だから、経済的に強くなければいけない、と述べます。

 

これを受けて桜井勉(内務省地租改正局出仕)が「それでは但馬と丹波2県を兵庫県に合併したら知性的にも便宜である」と答え、これが契機となって大兵庫県構想ができたということ(『児山桜井勉翁米寿賀集』)

 

 

なお、文化。自然環境的には播磨と淡路は瀬戸内海を囲む一つの地域と言っていいかもしれません。したがって地域風土的にはつの地域。

 

自然環境的には、

⑴瀬戸内海気候の「播磨・摂津・淡路・丹波」

⑵日本海側気候の「但馬」

つの地域。「丹波」は中国山地の盆地系ですが、基本的に瀬戸内気候に近いものの、山間で雨が降りやすいのか、姫路市よりも降水量が多く東京並み。

このように日本の気候は、温帯区域内でも住む地域によって気候が全然違うのが日本で、これに沖縄だとか北海道だとかの亜熱帯や亜寒帯もあり、本当に日本の気候は世界でも稀有な豊かな地域。

 

⑴瀬戸内地域:播磨・淡路

瀬戸内地域は、四国山地と中国山地が外洋からの大気(シベリア高気圧や太平洋高気圧)をブロックする関係で、一年を通して雨が少なく乾燥した地域です。

 

(播磨平野:たつの市の麦畑。2024年5月撮影。以下同様)

 

なので、乾燥した気候を活用した農業や産業が栄え、播磨平野&家島諸島の小麦から作られる播州そうめん(揖保乃糸など)&醤油(ヒガシマル醤油)、

 

(たつの市;うすくち龍野醤油記念館)

 

赤穂のなどを育みました。

 

(赤穂市 塩の国:入浜式塩田)

 

この辺りは、同じ瀬戸内海気候の香川県(小豆島含む)ともよく似ています。

⑵摂津

地域的には、六甲山の存在が、自然環境的に大きな影響を及ぼしている地域。

 

(六甲山:見晴らしのテラスより)

 

六甲山の急な傾斜が美しい眺望を生み(=高級住宅街)、

 

(神戸の「超」高級住宅街:東灘区御影にある「旧乾亭」)

 

深い水深を生み(=良港→外国人)、

 

(神戸港)

 

強い風(=六甲おろし→酒造り)を生むなど、国内的にも、独特の風土を育んでいます。

 

(灘五郷:菊正宗酒造)

⑶丹波

丹波は京都府と別れて兵庫に参入されましたが、面積自体は京都府側の方が圧倒的に広いものの、丹波焼や丹波黒豆などの発祥は兵庫県側の丹波篠山市で、生産量も兵庫県側の方が多い。

 

(『兵庫県のトリセツ』112頁)

 

 

丹波は内陸性気候で霧が多く、昼夜の温度差が大きく厳しい自然環境のためは二毛作のできない土地。逆に「昼夜の気温差が大きい」ということは、栗が甘く育つ条件でもあり(気温の下がる夜に糖度が上がる)、丹波栗は全国的なブランドに。

 

(丹波篠山市旧庁舎「大正ロマン館」にて丹波栗のお菓子)

 

 

さらに冬は杜氏(=「丹波杜氏」という)として主に灘の酒造りを担うなど、丹波ならではの自然環境が、丹波ならではの風土を育んだのです。

 

(丹波篠山市:丹波杜氏酒造記念館)

⑷但馬

但馬牛で有名な但馬ですがその気候は日本海側ならではの「冬は雪深く、夏は猛暑の一年中湿気の多い気候」で、おとなりの鳥取県などとよく似た自然環境。

 

(豊岡市:古くからウシの神様として関西一円に知られる養父神社)

 

日本海の荒波に削られた海岸線には有名な鉄道橋「余部橋梁」など、高低差の激しい美しい海岸線を育んでいます。

 

(余部橋梁)

 

また城崎温泉周辺では、約160万年前に起こった火山活動により、玄武岩質のマグマが流れ出してそのマグマが冷却した柱状節理の洞窟(採石場の跡地)があり、玄武洞公園として観光施設に(詳細は以下)。

 

 

なお、黒毛和牛の99.9%は但馬牛の子孫ということで、但馬牛は和牛のルーツですが、但馬の狭い山間の中で段々の田畑を耕すには牛耕が必須。

 

 

たまたまですが、雪が深く積もる厳しい冬を越すために、但馬牛の脂はエネルギーに変えやすい融点の低いキレイな脂になったため、結果として高品質な霜降りの牛になったといわれ、但馬ならではの自然環境なしには日本の黒毛和牛は誕生しなかった、といえます。

 

(但馬の山中を流れる美しい円山川)

 

以上、兵庫の自然環境を踏まえた上で、兵庫県の歴史を踏まえつつ、各地域ごとの風土を別途紹介したいと思います。

 
(ネットで話題になった丹波篠山のミニスカポリス)

井岡一翔推しの私としては残念な結果になってしまいましたが、井岡流は12ラウンドを通じて貫き通してくれたと思います。

 

 

両国国技館は、おおよそ6割ぐらいの入りか(実際には4,235人/11,000人だったらしい)。大田区体育館でもそれほどお客さんの入りは多くはなかった井岡戦。

 

 

今回は両国国技館ということだし、前座もタイトル戦があるわけでもなく、お客さんの入りを心配しましたが、統一戦ということもあってか、私の予想以上にお客さんが入ったという印象。

 

 

私は井上尚弥や村田諒太の時と同じ価格帯、33,000円の席を確保しましたが、井岡の場合は一番近い1階のアリーナ席での観戦になりました。

 

 

実戦観戦した感じでは、三人のジャッジの採点(120対108、117対111、116対112)のうち、116対112ぐらいの差ではないかと思ったのですが、フルマークをつけるジャッジもいて完敗。

 

 

井岡は、得意のディフェンスで相手のパンチを巧妙に避けていたのですが、相手の勢いが強すぎて軽いながらも何度も被弾していたので、その辺りが採点に影響したか。髪型もストレートになって、パンチ浴びるたびに髪の毛がヒラヒラするので、印象も悪い。これでポイントも相当失ったのではないか、と勘繰ってしまいます。

 

 

井岡は、何度もボディーパンチをマルティネスのレバーに当てていて、その際はマルティネスも怯んで結構下がっていたのですが、タフなのかダメージの回避が上手いのか、しばらく経つとしっかり回復していたよう。本来あれだけボディー当てられたら、後半戦で体力消耗して、勢いが衰えるはずなのですが、12ラウンド通じて、勢いは衰えず、マルティネスのタフブリも相当なもの。

 

 

そしてなんと言ってもマルティネスの多彩で強力なパンチ。井岡と階級が違うのではないか、というぐらいのパンチの威力で、井岡がこれだけ被弾するのも初めてと言ってもいいのではないか。

 

 

今後の進退について、井岡がどう判断するか、はわかりませんが、これだけ基礎的なパワーに差がある以上、再戦しても難しいように感じてしまいます。今回の試合は、寺地vs京口でも感じたと同じで、テクニックだけではダメで、やはりボクシングはパンチがないとキツイなあ、ということ。

 

「真剣勝負のボクシングは美しい」と前座のバンタム級ランカー堤星也が試合後に言ってましたが、負けても井岡のボクシングは美しかった。

 

 

とりあえず井岡選手にはお疲れ様ですと言いたい。井岡一翔は、生ける芸術としてのボクサーであって、まさにボクシング界の至宝です。

 

【サッカーファンとしての追記】

マルティネスは、愛称が「プーマ(PUMA)」でマラドーナが履いていたシューズブランド。

 

 

しかもボカ・ジュニオールズの旗がマルティネス入場時にはためいていて、

 

 

ブエノスアイレスのボカサポーター(つまりマラドーナサポーター)登場!!、という感じが印象的でした(ブエノスアイレスのボンボネーラ行ってみたい)。