「同調圧力」という自己家畜化と集団脳『文化がヒトを進化させた』  <その2> | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

 

 

引き続き『文化がヒトを進化させた』より、自己家畜化集団脳について。自己家畜化は本書第11章、集団脳は第12章で扱っています。

▪️社会規範という同調圧力

自己家畜化とは、今風の言葉に置き換えれば「同調圧力」のことで、私たちは同調圧力をネガティブな概念として扱いますが、進化生物学の世界では、同調圧力、つまり自己家畜化は人間の進化にとって欠かすことのできない重要な概念だといいます。

 

心理学者マイケル・トマセロによると、心理学に関する多数の実験の結果、

他者を観察することによって、幼い子どもたちは自発的にその場のルールを察し、そのルールは誰もが従わなければならない規範なのだと思い込む。逸脱行為や逸脱者は子どもたちを怒らせ、正しい行動を教えなくてはという気持ちにさせるのだ。

本書第11章「自己家畜化」

つまり、心理学的には私たちは自己家畜化されるよう社会規範を身につけて育ち、子供のうちから内面化され、その規範から逸脱した者に対しては拒否反応を起こすようになる。

 

進化生物学的には、人類誕生以降、社会的動物である人間は、それぞれの共同体においてさまざまな社会規範を形成しつつ、その社会規範は他共同体と生存競争する中で切磋琢磨される結果、競争優位な社会規範だけが選択的に広まり、制度となってそれぞれの共同体の社会規範として引き継がれていきます。

 

その社会規範は当該共同体の中で育つ中で、集団内の個々人の善悪の価値観として内面化されるため、規範を犯した者には、さまざまな制裁が待ち構えています。陰口を叩かれたり悪い噂を流されたり、いじめられたり。最後には村八分にされ、集団リンチに遭うことも少なくなかったらしい。著者曰く。

オオカミを家畜化してイヌにするときに、服従しようとせず訓練を拒んだ個体を殺処分したように、ヒトの共同体はそのメンバーを家畜化していったのである。

同上

自己家畜化されることによって、私たちは競争優位な集団で生存し、生き抜くことができたのです。

 

▪️私たちの価値観は、所属する共同体の社会規範

人間は幼いうちから発達していく認知力と動機によって、ルールに反する行為をめざとく見つけて違反者を避けたり非難したりするし、自分もそうされないよう、常日頃から自分の評判には気にかけ、評判を落とすまいと心がけます。

 

なので自分が属する共同体の社会規範をきちんと身につけ内面化すれば、いちいち意識化しなくても反射的にルールに従えるようになるので、生きるのがラクになる。

 

こうやってみると、進化生物学的には同調圧力に完全にしたがって生きられるようになるというのは、人間生存のための一つの文化進化だったのです。

 

自己家畜化は、脳科学的にみても家畜化によって「報酬系回路(快感回路)」が活性化するといいます。具体的にはボランティアしたり、コロナの時の自粛警察よろしく、その場のルールに従わないものを罰したりすると快感回路が活性化。

 

つまり脳科学的には、人間は規則を守り、規則に背く者を罰することが「好き」なのです。

 

このような社会規範は、それぞれの共同体ごとに独自な文化進化を遂げます。したがって自分が生まれた共同体がどの共同体なのか、によって内面化される社会規範はバラバラ。

▪️生まれたときから社会規範を身につける人間

自分が所属する集団の社会規範は、生まれた時から形成されていきます。

 

ボストン、パリ、南アフリカの子供達を対象に行った実験では、生後5−6ヶ月の乳児は、母親と同じアクセントの人の方ばかり見るといいます。生後10ヶ月になると、母親と同じアクセントの人のほうからおもちゃを受け取るようになります。

 

発達心理学の世界では「社会的参照」と呼ばれる幼児の行動が明らかになっています。幼児は未知のものに遭遇した時は、母親や近くにいる大人の表情や行動をうかがい、その人たちの行動を真似ます。特に自分と同じ言語や方言を話す人、具体的には母親と同じ言語やアクセントの人を「自分の仲間=味方」だと認知し、彼ら彼女らの行動を真似るのです。

 

幼稚園児の友達についても、自分と同じ言語や方言を話す子を「友だち」に選ぶ傾向があります。

 

このように自分の所属する集団への親近感と共に社会規範は自ずと身につくよう育っていくようになっているのが人間という生き物の社会なのです。

▪️味方(内集団)か、敵(外集団)か

この結果、同じ社会規範を身につけたもの同士には仲間意識が生まれます。上記のように幼児でさえウチか、ソトか、見分けるわけですから、これは人間という種の文化進化の宿命と言ってもよい。

 

以前ヘンリ・タジフェルの実験と内集団の偶然性について紹介しましたが、先天的に人間はウチとソトを分ける特質があると言ってもよい。

 

 

著者曰く

同じ民族の者は、規範を共有しているせいか、好意的な待遇を受けるが、その分、厳しく監視され、その規範を破ると罰を受けることになる。これはどの文化にも共通して言えることのようだ。・・・宗教も国家も、擬似部族をつくることにより、ヒトの心理のこうした部分を巧みに利用するように文化的に進化してきたものだ。

同上

このように内集団か外集団かは、言語や習慣などの社会規範によって区分されるわけだから、階級や人種、肌や毛髪・目の色によって区分されるわけではありません。

 

こうやって見ていくと人間の仲間意識というのは、進化生物学的には、同じ社会規範を有する仲間を味方として認知するということ。

 

なのでヘンドリックの知見に従えば、移民政策なんかも、日本という国家=擬似部族の社会規範(言語含む)を内面化しているかどうか、つまり「同化政策」をどれだけ進めるかどうか、が移民可否判断の基準になるのかもしれません。

▪️「集団脳」という「社会知」

これまで紹介した「自己家畜化」概念は、どちらかというと社会規範的な考え方ですが、一方で「社会知」的な側面も文化進化の重要な側面です。それが「集団脳」とでもいうべき概念。

 

人間は、個人個人で知を保有するだけでなく、社会全体で知を保有することによって人間は進化したと著者は主張しています。

 

社会知は集団脳として、集団から集団へ、世代から世代へと伝達されていく過程で、取捨選択され、生存に優位性のある知のみが蓄積され洗練され、伝播していきます。

 

例えば同じヒト族のネアンデルタール人は、私たちホモサピエンスよりも賢かったと言われています。しかしホモサピエンスとの生存競争に負けて絶滅。私たちがネアンデルタール人に勝てたのは、集団脳があったから。

 

単体でしか知を保持できなかったネアンデルタール人に比べ、私たちホモサピエンスは、濃密で広い社会ネットワークの形成によって、知の創造と蓄積を社会単位でおこなってきたため、その優位性はネアンデルタール人と比べて圧倒的だったから。

 

例えば、同じホモサピエンスの集団の中でも社会的ネットワーク規模と交流密度の違いによってどれだけ変化するか「漁労用具」の具体例があります。

 

人類学者ミシェル・クラインとロバート・ボイドによれば、太平洋上の群島ごとに漁労用具の種類とその技術の高さを調査。この結果、人口規模が大きく、他の島々との接触度が高い島や群島ほど、漁労用具の種類が豊富で、より複雑な漁労技術を持っていることが明らかに。

 

 

逆にある集団が突然人口を減らしたり、社会的ネットワークを失ったりすると、文化的蓄積ができなくなるばかりか、高度なスキルや技術も失われてしまうらしい。つまり集団脳が萎縮してしまうのです。

 

その大きな理由は「コピーがオリジナルを超えることは、なかなかない」し、そもそもオリジナルが喪失すればコピーすらできないから。人間国宝が亡くなってしまえばその技術は喪失するし、人間国宝の後継者がいても同じ水準に達するのは難しい。

 

大規模で交流が盛んな集団であれば、継承はおろか、より能力の高い継承者に技術が継承されやすいので、集団脳は拡大していくのですが、集団が小規模で更に交流が少なくなれば「技術の維持」さえも困難になってしまうのです。

 

その好事例がオーストラリアのタスマニア島。

 

オーストラリア大陸と地続きだったタスマニアは、1万2千年前にオーストラリア大陸から分断されて島になって以降、高度で複雑な道具が失われ始め、およそ3500年前には完全に姿を消してしまい、旧石器時代の初期の頃の技術水準にまで劣化してしまったらしい。

 

これを専門家の間では「タスマニア効果」という。

 

科学ジャーナリストのマット・リドレーの著作『繁栄』や『人類とイノベーション』でも人類の発展には、できるだけ多くの集団や人間が混じり合うことが不可欠、との如く、著者ヘンドリック的には、できるだけ大規模で交流の多い集団脳の方が文化的蓄積が多い、ということだから人類の発展に必要なセオリーは同じなんですね。

 

 

ヘンドリック曰く

イノベーションの成否はひとえに、集団脳を拡大できるかどうかにかかっている。そして、集団脳をどれだけ拡大できるかは、新たなアイデア、信念、洞察、習慣をどんどん生み出して、互いに共有し、いろいろ組みわせることを促すような、社会規範や制度を構築し、人々の心理を醸成できるかどうかにかかっている。

『文化がヒトを進化させた』第17章新しいタイプの動物

▪️「民主主義」による自己家畜化は「レイヤー構造」

以上、自己家畜化と集団脳について紹介しましたが、自己家畜化については、注意が必要。

 

私たち日本人の社会規範は「民主主義」。

 

でも民主主義ってやっかいな社会規範で、

 

「民主主義は、さまざまな社会規範を共存させる」という社会規範

 

数多の宗教という社会規範、イデオロギーという信条などなど、さまざまな社会規範を共存させることこそ、民主主義の根本なわけで、社会規範が民主主義と特定の社会規範とのレイヤー構造になっているのです。

 

例えば民主主義社会に暮らすユダヤ教信者の場合だったら「ユダヤの社会規範とは異なる社会規範の人も、嫌な顔せずに受け入れる」という社会規範。「ユダヤ教の教えからう外れるやつは許さん」という排外主義は自己家畜化がもたらす感情ですが、こんな排外主義的な感情こそ排除すべき、というのが民主主義の社会規範。

 

なので、民主主義っていう社会規範を内面化するのは、なかなか難しいのです。でも、だからこそ唯一普遍的な社会規範ともいえるのです。