私が何故、生まれてきたのか、自分が何をしたかったのかもうわからない。
周囲の人の期待に添うこともできなかった。
私は恵まれていて、何かの苦労をしたわけでもない。
(発達障害であっても、あるいは他の障害をお持ちの方でも、
苦しい状況下や耐え難い出来事に晒されてももっと強く、美しく生き抜いている方はたくさんいます)
闇を這うモンスターならまだロマンティックですが、
ただ、孤独と恐怖と屈辱だけが支配する暗くて狭くて汚いつまらない地下室(あるいは独房)に閉じ込められて(閉じ篭って)いただけでした。
どんどんゴミが投げ入れられて、どんどん壁が厚くなる窮屈な地下室。
時々、窓から強い光が射したり、ドアを開けてくれる人がいた、そんな幸せな想い出もたくさんあります。
「ふつう」ぶることで、楽しいことに出遭えたことだってたくさんありました。
(この「ふつう」を夫は「平凡」と捉え、ちょっとムッとしていました
日本語って難しいですね
私の言う「ふつう」って決して平凡という意味ではありません
定型発達という意味でもありません
きちんと前を向いて日常を頑張れる人を私はふつうと定義しています
平凡という意味では私はとても平凡です)
このblogを読んでいただけたらわかるように実のところ、ある種冷静で、狂気の世界にもいないのです・・・。
ただの地下室だと思います。
ここに初めて光を灯してくれたのが布袋寅泰さんでした・・・。
私が私という器を通す限り、見ることができず、とっくに忘れてしまった夢、または欲望。
「たった一度でいいから、きれいな人の一番美しい瞬間を見てみたい」
人ってそれぞれみんなきれいな面とそうでない面を持っていると思います。
私はこういう人間だから、関わりあうのが私である限り、観察者が私である限り、
冷たい態度や、口汚い言葉や、きれいな人のちょっときれいでない面ばかり見せられてきた。
(相手が悪いのではなく、私が悪いのです)
あるいは今思えば、せっかく目の前にあっても気づかなかった(シングルフォーカスですから)り、受け止めることができなかったのかもしれません。
布袋さんは超一流の芸術家であり表現者、つまりはきれいな人のきれいな瞬間を見せるプロですからある意味それは当たり前なのですが、
(布袋さんの先輩fan、または最近fanになった方はこの感覚わかりますでしょうか?
あるいは他のミュージシャンさんやアーティストさんのfanの方もこの感覚わかりますでしょうか?)
とにかく、地下室自体に光を灯してくれたのは彼が初めてでした。
ふつうぶることなく、ふつうの感覚がわかったのもこれが初めてです。
『サレンダー』『DEAR MY LOVE』『DIRTY STAR』『BEAT EMOTION』『ラストシーン』『A DAY IN AUTUMN』『CIRCUS』『LONELY★WILD』『MUSIC DAY』『SHOCK TREATMENT』(最近妙にショックトリートメントがお気に入りです)
書ききれないのでやめておきます(笑)
それは、とても楽しく幸せなことだったし、同時にとても悲しく淋しいことでした。
本当はずっとふつうになりたかったし、女の子たちのキラキラした群れに加わりたかった。
幼稚園の頃から、可愛いティッシュ交換とか、○○ごっことか意味やルールがわからなくて入れなかった。
(こういうことを言うと、私がふつうの女の子達を馬鹿にしていると誤認識されてきたのですが、
決してそうではなく、憧れていたけど純粋に本当にわからなかったのです
まあ若い頃を振り返ると酸っぱい葡萄的理由で本当に馬鹿にしていた時期もあったかもしれません)
小さい頃はお喋りとか、お遊びは男の子との方が話が合って楽しかったかな。
(ASDさんはわりとユニセックスな性格の人が多いようです、
もちろんそうではない方もいます)
年齢が上がると、それも性差とか私の外見上の問題が邪魔をして変な誤解を招いて難しくなってしまいましたが・・・。
それに、ふつうの人って人それぞれの状況や条件を受け止めて、目標に向かって、言い訳せずみなさんすごく頑張っていらっしゃいます。
私もどこかに向かって頑張りたいのだけど、自分なりに頑張っているつもりなんだけど、
どこを掘っているのか、どこに進みたいのか、いまどこにいるのか、ちっともわからない。
そっち行きたい!と思っても、いや、そっちは私の行く場所ではないかもしれない・・・みたいな。
もしも・・・。
もし、子供の頃やもっと若い頃に自分の脳に障害、あるいは個性があると知っていたら、
特性に合わせて、自分も周囲も苦しめることはなく生きていくことが出来たのかもしれない。
もし、もっと早く布袋さんに出会えていたら、その光に向かって楽しくひたむきに生きられたのかもしれない。
(布袋さんキャリア長ーいベテランさんですし、私もfanになる何年も前から知ってはいました・・・
『CIRCUS』好きで、フルコーラス覚えていたけど布袋さんの曲だったって去年知りました!)
私はいつの間にか、後戻りの出来ない袋小路に迷い込んでしまったのかもしれません。
でも、これでよかったのかもしれない・・・。
もっと早くわかっていたら、
それは自分も幸せで、周囲に迷惑をかけることもなくよかったのでしょう。
でも、知ってたら、頑張ればふつうになれるという勘違いあるいは過信をしていなかったら、
結婚はしなかったかもしれないし、
子供は産まなかったかもしれない。
(一応、これでも責任感はあるのです・・・)
少なくとも、状況が整って自分の特性を理解したうえであえて子供を作っていたとしても絶対二人目は作っていなかったと断言できます。
日々、成長する(長女ちゃんとかもうある種私を越えています)娘たちを見ると、これでよかったのかもしれないと思うこともあります。
逆に布袋さんに出遭わなかったら、
どんどん暗さと狭さを増す地下室で、幸せなはずなのに何故こんなに苦しいのか理解することなくず、いつか結婚生活も育児も破綻していたのかもしれません。
他の人はもっと苦しい状況でも頑張っている、私ももっと、もっとと・・・。
感情を殺して、役割をきちんとこなす、やるべきことをきちっとやる・・・。
できない、どうして?もっと頑張らなくてはと人ではなく出来の悪いロボットのように永遠に苦しんでいたかもしれません。
だからきっとこれでよかったんだと思いたいです。
wais-Ⅲという知能検査の結果を元に、
自分が何がマシで何が苦手なのか見極めて、
先生や保健センターのご指導やアドバイスを受けて、
自分らしく、でも周囲にプラスになるように、
日常生活や仕事等工夫して立て直して生きたいと考えています。
また、大人の発達障害って、
私などは診断前は一応の日常生活はまあ?普通に送ってきたのですが、
(紹介してきたように今は仕事も問題なくできますし、
今は少し話しただけではこの人おかしい!と私を一発で見抜く方も少ないと思います)
それって本人は本人なりにトライアンドエラーを繰り返して自分でえっちらおっちら社会で生きられるように自己療育してきたのですね。
その中に、『代償』や『誤学習』があるのかもしれません。
いろいろと、自分の中に誤解とか誤認識はありそうに思えます(笑)
発達障害は治るものでもそもそも病気でもありませんが、
二次障害は治るものだと認識しています。
大人の発達障害では発達障害自体はごく軽いものでも二次障害が顕在化して問題になることが多いようです。
(二次障害とは、発達障害という一時障害による周辺との不適合やトラブルを原因とする精神疾患やメンタル不調のあれこれです)
私の場合、摂食障害とか抑うつとか・・・
パーソナリティ障害もあるのかもしれませんね。
振り返ると若い頃、パーソナリティ障害と誤診されたことが地味に意外と響いているのですが、
(しかもその医師は精神科医なのにパーソナリティ障害=性格が悪いとまで言いました
今時一般人でもそんな誤解をしていない人も多いのに・・・)
実際にパーソナリティ障害も併発していた(いる?)のかもしれません。
そういう意味であながち誤診でもなかったのかもしれません。
まあ、性格が悪いというのもあながち誤解ではない気もします、確かに良くはないですよ(笑)けっこうキレやすいし狡い面はあります。
(だからこそ、布袋さんみたいに自分とは正反対の心がきれいでまっすぐな方に惹かれるのかもしれません・・・)
布袋さんは私にとってパンドラの箱だったのかもしれません。
人の一番美しいところが見てみたかったという忘れていた過去の夢を見せてくれた人、
私にも人間らしい心があると初めて教えてくれた人。
布袋さんには感謝しかありません。
だからこそ引くべきだと言われるのかもしれませんが、
もっと聴きたい、見たいという欲望はあります。
この先どうなるのかわかりませんが、
11/26NHKホールの1階センターブロックでもう一度、あの感覚を味わいたいと考えています。
ASDblogはこの先もまだ更新するかもしれませんが、
この自伝というか雑文はいったんここで終了します。
この先どうなるかわかりませんが、
一応のハッピーエンドのつもりです。
自分のことなんて正直どうでもいいのですが、
嘘をついたり何かを装って布袋さんのLIVEに行くことは自分が許せませんでした。
書いてきたように、強烈な磁場で好意が悪意に捻じ曲げられる私の世界・・・。
(私には他意も悪意も害意もなく、悪く取る方も性格良い方がほとんどだと思います、
それは私の視野の狭さや感情表現力の乏しさが招いているのかもしれませんし、今のところわかりません)
この手記も嫌だな、気持ち悪い、腹立たしいと捉える方もいらっしゃると思います。
それでも私は嘘をつきたくはありませんでした。