留学中の約2年間にわたるNew Yorkの生活で、

2回引越をした。


アメリカに行く前は、

本当に色々な事が不安で、

とりあえず寝る場所くらい決まっていないと、

と思いOn Campus のDorm (学校内にある寮 Dormitory)

に申し込んだ。

現地に到着してから、住む場所を探すなんて、

できる自信は全然なかったのだ。


日本で記入した寮の申込書には、

はっきり記載されていたと思う。

「この契約は、2 Semester の契約(2学期間)で、

途中での解約はできない。」


まさか、自分が途中で寮を出たいなんて、

思うはずないと思っていた。

中学高校大学と、部活をやってきて、

合宿とか、友達との共同生活は大好きだったから。


でも、実際の寮生活は、予想外の出来事の連続。


9月始まりの授業に間に合うように、

寮に入ったのは、8月最後の週だったと思う。

一番安い寮は、Studio と言って、

大きなワンルーム。

たぶん20畳近くあったと思う。

広いし、キッチンやバスルームは別にあって、

とても快適だと思った。

問題は、ルームメイトとのプライバシーが

保てなかった事。


ルームメイトは、大学卒業したての台湾から来た女の子。

キッチンで使う物を一緒に買いにでかけた。

共同で使用するから、

全部割り勘で支払いを済ませた。

だから、2人で買った物は、

いつでも自由に使えると思っていた。


ところがである。

彼女は、私がお金を払っていないのに、

彼女の所有物を使っていると、

主張し始めた。


え~!


一生懸命説明したけれど、

全然わかってもらえなかった。


それ以来、彼女は、朝起きても

"Good morning!"

も言ってくれない。


おまけに、午前中に授業を集中させ、

夜早く寝る私と違って、

彼女は完全夜型。

遅くまで、電気はつきっぱなし。


同じDormの担当カウンセラーに相談して、

3人で、話し合いもした。

その時、ルームメイトは愛想良くすごしたけれど、

カウンセラーがいなくなったら、

元の木阿弥・・・


毎日の事だけに、

これ以上我慢していたら、

勉強に支障がでる・・・


思い切って、Off Campus Housing Center

に行って、学校外にあるシェアアパートを探し始めたのは、

もう、寒くて帽子無くては過ごせない、

12月に入っていた。



この間、友達のパーティーに参加したら、

これから英会話の勉強を開始したい人に、

「ヒアリングができるようになるには、どうしたら良いか」

をきかれたので、今日は、少し、その話をしようと思う。


これから、ヒアリングの勉強をする人に、第一に薦める事は、

「1.一語一句聞き取れる速度の英語教材を選ぶ」ことです。


I went to school yesterday. という文章だったら、


I     と、

went  と、

to   と、

school と、

yesterday


が、一語一句聴き取れる速度です。


例をあげると、

NHKラジオの基礎英語のような教材も、もちろんOKです。


よく、

「英語をシャワーのように浴びていると、英語が聴けるようになる。」

という話を聞くけれど、

そんなの、はっきり言ってだと私は、思います。


理由は、

「聴き取れない英語を聴いても、わからないから、楽しくない。」

からです。


そして、

「2.自分が聴いて、楽しいと思う教材。」

であれば、もっと聴きたい!と思えます。


なんでもそうだけれど、

楽しくない事は、継続もできません。

英語は、継続も大切なので。


できたら、その聴き取れて、楽しい教材の

「3.ディクテーション(聴いた内容を書き取る)」

をしてみましょう。


「こんなに、英語が聴き取れて、私って、すごい!」

と思えるようになったら、しめたもの!


英語のヒアリングが、どんどん楽しくなります。


そしたら、少しずつ、英語速度の速い教材に

移行していきましょう。

そして、また同じ事の繰り返しですが、

聴けるようになったら、

ディクテーションもしてみましょうね。


お試しあれ!


学校の中は、日本語禁止。英語による会話Only。


これが、自分にとっては、何よりも楽しかった。

会社の中で話す(話さなくてはならない)敬語に

辟易していた。


1歳しか違わない後輩からは、

「○○さん」と大先輩扱いされ、

上司には、「お嬢さん方」

と子ども扱い・・・


私より、たった2年後輩に、男性社員が

入ってきた時、私は、その新人を、

「Yくん」と呼んでいた。

だって、「Yくん」って呼びたいと思ったから。

それに、部長だって、「Yくん」と呼んでいた。


そしたら、部長から注意された。

「Yさんと呼びなさい。」


心の中で、私は、叫んだ。

「なんで、Yくんて呼んだらいけないの?

 そんなきまりあったの?」


会社での見えないしきたり・・・

ただでさえ、堅苦しい場所が苦手の私には、

向いていない環境だったのかなぁ?と思う。


英語だったら、You と I で

対等に話せる。

年齢差、男女差、関係無い。


英語だけの環境。

これを兼ね備えていた学校だったから、

この学校が本当に大好きだった♪




リエが通っているという英語学校に、一緒に行った日・・・


そこは、パチンコ屋の2階。

入り口で、下駄箱に靴を入れた。

中は、いくつか部屋があるけれど、

ふすまのようなもので仕切られ、

時には舞台と化す大部屋。

昔はスタジオだったかのような部屋。

中階段を上がったところに、

職員室。

3階をとおりこして、4階にも、以前は

サロンだったかのようなはなれのお部屋。


以前通ったことのある、他の英語学校数校と

比べたら、一言で言うと、

きたない。ぼろい。古い。

誰もが「こんな英語学校通いたくない」

と思ってもおかしくない条件が三拍子そろっている。


でも、私は、自分の

動物的直観で、そこに決めた。


入ってから、まもなく、その直観に従って

良かったなって思った。


そこでは、

英語ができないけれど、

英語を一生懸命勉強したい自分に

OKを言えた。


誰も、「英語勉強して、どうするの?」

なんて言う人はいない。


そして、一緒に頑張れる仲間がいたから。

先生は、もちろん、

みんな真剣に英語を勉強していたから。

気取ってなんかいられない。


同じ気持ちで勉強している仲間といる空間が、

何よりも、自分にとって、心地が良かった。


自分が、探していたのは、これだ!


会社では、みんな何を考えているかわからない、

表面的会話の毎日・・・


そして、アフター5と、週末は、

ほとんど学校にいる生活が

始まる。



つまらない会社生活の中で、


3度目のアメリカ訪問を終え、

いよいよ留学に的をしぼり始めた私。

英会話学校に通ってはいても、

なかなか英語力の上がらない自分に、

嫌気がさしていたそんな日。

会社の1階にある、本屋にいるおばさんに

愚痴をこぼしていた。

そしたら、

「英語勉強したいのなら、いい学校があるわよ。

 あそこにいる、リエちゃんが通っているから、

 きいてみなさい。」

リエとは、私も、何度か話した事がある、

会社の広報部にて、ノベルティーを

管理している子だった。

仕事中の立ち話で、リエに、その英語学校の情報を

仕入れた。リエが、会社帰りに、その学校に行く時、

一緒に連れて行ってくれると言う。

数十分で、約束をとりつけた。

今、思うと、本当にお気楽OL生活・・・

その英語学校は、東京松本英語専門学院。

ここに通うようになって、

私の生活は一転した。

通勤電車は、ウォークマンを聴き、

ランチタイムは、英語の予習復習の時間と化した。

30歳になったその年、同期の仲間も、結婚、転職、出産等で、

大分残り少なくなり、一人で食べる日もあったから、

ちょうど良かった!

この英語学校に行っていなかったら、

今の私は無い。

と言い切れる。

この薄曇りの頭の中を、気分爽快!元気ハツラツ!

にしてくれる衝撃的な出会いだった。


これでもか、これでもか、・・・と思うほど、
私は、自分の気持ちを再確認していた。

アメリカに行きたい!
でも、本当に一人で行きたいのか?
本当に留学したいのか?
留学する意味は?

そんな事は、わかるはずが無かった。

今だから言える。

アメリカに行きたいと思ったなら、
素直に自分の直感を信じて行動に
移すだけじゃん。

一人で行くしかないじゃん。
誰と行くの?
日本にいたって、一人暮らししていて、
一人じゃん。

留学してみないと、留学する意味なんて、
わかりっこないよ。

今ならはっきり言えるのに、
それでも、再確認したくて、
3度目のアメリカ行きを決行した。
New York を、もっとじっくり訪れてみたかった事と、
会社で同期のサッチャンの希望が一致した。

NY市内観光は、2人で地下鉄を利用しまくって、
動き回った。

色々な人がいて、
でも、全部許してくれるって感じがした。

楽しくて楽しくて、生きてる!って思った。

ダウンタウンを歩いている時、
サッチャンが言った。

「高層ビル街と違って、
 こんな所なら、住んでみてもいいなぁ~」

「うん。住みたい!」 と私。
この時は、本当に留学するとは、
思っていなかったけれど・・・

St. Louis で会ったキョンキョンは、ダンナ様が
New York 勤務になっていたから、
丸一日は、買い物三昧したいサッチャンとは別行動をとり、
New Jersey に住んでいるキョンキョン宅に1人で訪れた。

この小さな1人旅が、ささやかな自信につながる。

大都会New York で、
乗った事も無いバスに、
1人で乗り、

Hudson River沿い West.38st. にある、
フェリー乗り場まで行き、

New Jersey 側にある Port Imperial まで
1人でフェリーに乗った。

なぁんだ、1人で動けるじゃん。

こんな事で悩み、私は時間を使っていたんだぁ~
思い出すと、がっかりする。

時間があると、時間をめいっぱい使って悩むみたい。
これが、私だけなのか、一般的にみんなそうなのか、
定義はできないけれど・・・

今は、悩むより、即行動して早く答えを
出したいと思う日々である。


ユーミのお陰で、アメリカ大好きになった私。


でも、まったく理由が無い。


ただ、動物的直感で、
大好き!楽しい!と思っただけ。

アメリカは、どんな歴史を持っているか?
どんな経済構造なのか?
アメリカと日本という国どうしの関係は、どんな感じなのか?
本当に、知識がなかった。
なんせ、「職場の花」しかやっていなかったから。

そんな理由からか、
慎重な性格だったからか、
この時点で私は、まだまだ即行動に移せない。


今となっては、「これ!」と思ったら即行動する私だが、
この頃は、石橋を叩いても渡らない私だった。
思い出すと、本当にイライラしてくる。

New York とSan Francisco を旅行した翌年、
今度は、Missouri 州 のSt. Louis に行ってみることにした。


Gateway Arch in St. Louis

Gateway Arch


学生時代からの親友、キョンキョンが、
ダンナ様の企業派遣のMBA留学で、
駐在していたのだ。


Washington Univ

Washinton University in St. Louis

何も無い田舎だったけれど、
住宅街は洗練されていたし、
モールも綺麗で
すぐに気に入った。


楽しかった理由は、その他にもあった。
それは、キョンキョンのダンナ様の
クラスメートに日本人が数人いたことだ。

夜は、バーベキューをしたり、
ゴルフにも一緒に行った。
見た感じは、普通の人たちだけれど、
なんだかアメリカにいるからか、
みんなかっこよく見えてくる。

自分が留学したいと思っていたはずなのに、
いつの間にか、気持ちは、
留学している人、もしくは、留学する人と
結婚すればいいんだ !!
に変わっていた。

それが、簡単にかなってしまう人も
たくさんいるのだろうけれども、
悲しいけれど、
その時は、うまくいかなかった。


もし、かなっていたとしたら、

留学していなかったか?

というと、

今となっては、それも疑問が残る。


留学がなかなか、決断できなかった理由の一つに、


まったく知らない住んだことのない国で、

一番の自分の見方であるはずの家族に

反対されているのに、

誰も知っている人がいないのに、

一人で生活できるのか?


という基本的な、

でも誰もが一度は思う不安があったと思う。


その決断ができなかった時期は、

会社に勤め続ける疑問と、

留学したいという気持ちを感じつつも、

そこからの逃避行であるかのように、、

海外に行って、

気をまぐらしていた。


でも、その海外旅行が、私の留学を決断する

引き金になった事も否定できない。


当時お料理教室で知り合い、仲良くなったユーミが

勤務する会社が、New York とSan Francisco

7日間で破格のツアーを発表した。


San Francisco

Goldengate Bridge in SF

前の年に、New York に行って、New York大好きに

なっていたユーミは、大喜び。


「アメリカは、恐そうだから行きたくない!」

って言っているのに

引きずるように、私をこのツアーに巻き込んだ。


「これが最初で、最後。」

と腹をくくった私のはずだった。


NY で泊まったHotel

NY で泊まったHotel


でも、行ってみて驚いてしまう。


鳥肌がたつくらい、

楽しかったのだ。


そこにいるだけで・・・・・




留学を決断できた、一番のきっかけは、一人暮らしだったと思う。


両親は、まだ定年に達していなかったけれど、

祖父母が心配だから、

という理由で、新幹線通勤を決断。

田舎暮らしを開始した。


当時の私は、まだ20代。

新幹線通勤なんて、

絶対に嫌だった。

理由は、友達と遊べなくなるし・・・

新幹線通勤の定期券代は、会社で出してくれないし・・・

それに、一人暮らしもしてみたかったし・・・


留学に反対されてから、

両親とは、何かと衝突する事が多くなった。

特に、母親と。


うちの母親は、家族じゅうが認める、

超ヒステリー

のキャラを持つ。

本人は、「ママは、力んでいるだけで、

ヒステリーを起こしているつもりはないのよ。」

なんて言い訳している。


でも、何度お願いしても、ヒステリーを起こすのは、

やまなかった。


パパも、ママのヒステリーには、疲れ果てていた。

一度、パパに聞いたことがある、


「ママは、どうして、あんなにヒステリーなんだろうね。」


「パパも、何度も言ったけれど、なおらないんだよ。

 もう、パパは、疲れちゃったから、

 子供達みんなで言ってよ。」


こんな調子。


でも、最近のママは、そんなにヒステリーでなくなった。

だから、それが今は、ちょっと寂しい。


こう思えるようになったのも、一人暮らしのおかげ。


父親に反対され、


私は、やっぱり日本で英語勉強しよう!

一度は、あきらめた。


というか、実際に留学するまでに、

何度もあきらめている。


別に、私が英語しゃべれる必要ないじゃん。


世の中、たぁ~くさん英語しゃべれる人いるし。


英語しゃべれなくても、生きていけるし。


誰も、私に英語しゃべってほしいなんて頼んでないし。


でも、留学したい。


でも、別にしなくたって、いいじゃん。


みたいな気持ちを繰り返しながら、

相変わらずの会社生活を送っていた。


親が言うとおり、結婚しても良いと思っていた。

でも、結婚は、

結婚したいと思う相手がいてこそできる事であって、

その時は、

全然、そんな相手はみつからなかった。


というか、その頃は、会社を辞めたいと思っていたから、

そんな自分を好きになれなかったし、

自分を好きでないのに、

ましてや誰かが、

こんな自分を好きになるはずがない。


そう思ったら、毎日が、不安だった。


強い親の反対があったにもかかわらず、

実際に留学を実行に移すまでに、この後、数年かかる。


でも、この時間が必要だったと、今では思う。


留学しないのは、誰のせいでもなく、自分のせいだって事に気づいたから。