留学はしてみたいものの、

どこの国に行きたいか?


自分でもよくわからかった。


大学の卒業旅行で行ったのは、

ヨーロッパ地域だったから、

なんとなくイギリスに行こうと

思っていた。

アメリカは、恐いという印象が、なぜかあった。

行ったこともないのに、ただの印象で決めていた

と思う。


イギリスだったら、ブリティッシュ・カウンシル に行くと情報がわかる、


と知った私は、そこまで、よく通っては、資料を集めていた。


その頃は、英語がまったく話せなかったから、

語学学校しか思いつかず、

語学学校に手紙を書いて、学校案内や、

学校の申込書を送ってもらった。


返信用の郵便代金として、

郵便局で、外国で切手と引き換えられる証紙みたいなものを

購入、同封してイギリスにある語学学校に送ったのを覚えている。

今では、こんな事は、する必要ないと思うけれど。


両親に話したら、

反対されるとわかっていた私は、密かに密かに、

準備していた。


あとは、申込書を送って、会社を辞めて、

行くだけ!


という段階に来て、父親に、怒鳴り散らされた。

「そんなの、行ってどうするの?」

「行っちゃダメだよ。」

「結婚しないとダメだよ。」


その頃の私は、「留学したい」という気持ちは、確かだったけれど、

理屈では説明できなかった。

ただ、はっきりしていた事は、「留学したい!」だけ。

それ以外のことは、よくわからなかった。

普段は、優しい父親でも、怒ったら、すごい勢いで、

とても太刀打ちできない。


まだ、両親と同居中の、27歳の時だった。

親のありがたみも、よくわからず、

でも、親の言う事は、絶対だと思わされていた27歳の春は、

終わろうとしていた。



ヤッちゃんが留学して、


自分自身に対する疑問に、

面と向かい始めたのも束の間、


もう1人の留学宣言を発したのは、

フランス人形のように髪が茶色で

色の白いフッ子だった。


フッ子は、単にパリに住んでみたいからという

シンプルな理由。

パリにある大学の語学学校に申し込んだらしい。

ヤッちゃんに比べたら、

深く悩むこともなく、

親に反対されることもなく、

「1~2年したら帰ってくるからさぁ~」

っと、明るく元気に行ってきまぁ~す!

って感じだった。


「留学って、どうやって手続きするの?」


「あぁ~、私はね、学校に直接申込書送ったり、

 ファックスしたりしてね。」


「え~?自分でできるの?」


「うん。大丈夫。」


と、こんな感じで、アメリカに行ったヤッちゃんも、

パリに行ったフッ子も、留学業者には、何も頼んでないらしい・・・


「留学を扱っている会社で、

 初回無料カウンセリング、みたいのだけ参加して、

 情報仕入れるくらいよ。あとは、自分でできるよ。」


ようやく、情報を仕入れ始めたわたし。

今ほどインターネットが普及していなかったから、

結構、自分で歩きまわった。


NHKのテキストや、留学雑誌に出ている広告を見て、

電話して、資料を送ってもらう。


実際に行って、話をきく。


一方では、留学なんかしなくても、日本で英語勉強できるじゃん、

っていう考えも頭から離れず、


英語学校に行き始めたのも、

この頃だった。


とりあえず、通ってみないとわからない、

と思い、半年、1年間、と行ってみたのは、

日米○○学院、ベル○ッツ、LA○○、ブリティ○○○カ○○シル、

○フ外語学院。

どの学校にも、一生懸命通ったけれど、

特に英語力がついたというわけでもないし、

何か違う感じ・・・

同じ目的を持っている友達も、

できそうな環境なのに、なぜかできなかった。

目の前に見えるのは、曇った空ばかり。

晴れ晴れとしない。



でも、やっぱり、人生いつも曇り空ばかりでなかった!


この薄曇りの頭の中を、気分爽快!元気ハツラツ!


にしてくれる偉大なる方と、濃い仲間に出会う時が

やってくる日は、そう遠くはなかった。



留学というと、

何かをしっかり身につけて帰って来ないと、
意味が無い・・・と言われた。

「英語の勉強だけだったら、

日本にいながらにして、

いっくらだって、勉強できるじゃない。」


「うん、わかってる。」


「じゃ、留学にかかる費用くらいかけたら、

日本でだって、十分英語が身につくんだから、

日本で勉強したら?」


「う~ん、そうだよね。」


この頃は、まだまだ両親に言われると、

「そうかなぁ~」って思っちゃって、

本当に、自分はどうしたいのか、

判断ができなかった。

というか、私の場合、両親の影響が強かった

のかもしれないし、
両親がしっかりしていたから

かもしれない・・・

昨日登場した、ヤッちゃんは、1人暮らしだった。
しっかりしていたし、
自分自身はどうしたいのか、

1人でいる時間が長いだけ、

深く考える時間があったのだろうと思う。


ヤッちゃんは、日本を出発する時は、

別に、これを勉強するぞ!
って事は、特に決めていなかった。

でも、現地の語学学校に行ってから、

思考錯誤しているうちに、
「やっぱり、油絵をもっと勉強したい。」と思ったらしい。
だから、大学と大学院は油絵を専攻。


こんな留学だってあっていいと思う。

もちろん、MBAとります!とか、

はっきり目的が決まってることも、
大切と思うけれど、

「わからないけれど、とにかく行ってみたいの」

という心の声に耳傾けることで、先が見えてくるって事も
たくさんあると思うんだけど・・・
どう思う?

と、こんな事に気がつくまでに、

私自身はまだまだ時間がかかり、

またまた他の友達に先を越されてしまうのでした。




ヤッちゃんは、留学のために、この3年間で300万円ためていた。


そういえば、

ヤッちゃんは、よくお弁当を持ってきていたし、

スタイルいいのに、そんなに目立つような服装もしていなかった。


それなのに、この3年間、私は何をしていたのだろう。

話題のランチレストランには行きつくし、

誘われた飲み会には、全部参加し、

週末は、テニスにスキーに一泊旅行。

海外旅行にも行った。

自分はやりたい事は、何なのか?

考えることもせずに、というか考える事を避け、

出されたケーキをすべて食べつくした脳みそは

カロリー過多で、機能停止状態だったのかもしれない。


とにかく、他の子はどう思ったか知らないけれど、

私にとって、ヤッちゃんの留学宣言は、衝撃的だった。

なぜなら、見ないようにして避けてきた、私にとっての

そのものだったから・・・


ヤッちゃんは、話してくれた。

両親には、もちろん大反対されているよ。

「留学して、その後どうするのよ?」

と親は聞く。

でもね、そんなの私にだってわからないよ。

とにかく行ってみたい!その気持ちしかわからない。

行って駄目だと思ったら、その時また考えるよ。

会社に勤め続けたって、

この後、どうなるかなんてわからないんだから、同じだよ。

反対されているから、両親からお金借りられないし、

だから自分でためたんだよ。


私は、大きくうなずいた。

でも、ぼぉ~っとした私だったから、自分の留学を決めるまでには、

この大きなうなずきを、あと数回も経験することになろうとは、

この時は、思いもよらなかった。


そして、ヤッちゃんは、今もアメリカ中西部で、

Nativeのような英語をしゃべり、現地の会社で働き、

マイペースの日々を過ごしている。

日本から持っていったのは、300万円だけ、

語学学校を経て、大学に編入、大学院も卒業。

お金無いから、大学も大学院も成績オールAをとって、奨学金で

まかなったらしい。


ヤッちゃんからたまに届いた絵葉書は、いつも、

スペースがもったいないと思っているかのように、

小さな字で埋め尽くされていた。


その意味は、私が米国に留学して初めてわかった。

そう、ヤッちゃんは、生活費をきりつめて、きりつめて、

絵葉書と切手を買っていた。







今日は、ブログ初日。

ブログを書くことは、決めていたのに、な~んにも考えていなかった。


そうそう。これは、留学前の私と一緒。


とにかくな~んにも考えていなかった。


ごく普通の大学生活を終え、普通のOLになってしまった私は、

「社会人生活って、どんなんだろう!?」と胸をはずませる日々。


コピーとったりお茶入れたり、たまに計算したりPCをいじると、

「あっ~仕事したなぁ」なんて気分になったりしてね。


そして、昼は、社食で同期とランチ、

夜はみんなで飲みに行ったりして、初めての社会人生活を

「これが、社会人ってやつかぁ~」なんて、素直に受け止め、当たり前と思い、

学生時代の友達に、「仕事何しているの?」と聞かれると、

「職場の花」なんて答えていたよ。


それに、同じフロアーにいた同期女子組みは、いつも見える範囲にいて、

毎日ランチも一緒だから、みんな同じ感じと思っていた。


そんな平和な日々に、突如、衝撃が走った。


それは、同期女子組みのヤッちゃんの「留学する」発言。


エッエッー!


私のドキドキ・・・は、こうして始まった。