私は、ホームステイはしなかったけれど、

NYでシェアアパートに引っ越してからのルームメイトは、

ドロシーと言って、家で本を書いている女性だった。

料理をよくしてくれたので、私にとっては、

ホストマザーのような存在だったと思う。


ドロシーは、以前、HBOというテレビ局でディレクターを

やっていた。

HBOといえば、Sex and the Cityというテレビドラマで

知っている人も多いと思う。

以前は、シンガポールに駐在もした事があるという

アジア好き。

金髪で、スタイルも良く、

"I'm proud of my family."

と言いながら、

メイフラワー号でやってきた

曽祖父や曾祖母の話をしてくれた。


インターネットのウェッブサイトは、

すべて

"Junkよ!"

とはき捨てるように言い、

一切ネットはやっていなかった。

PCは机の上にあるけれど、

執筆用にしか使わないらしい。

そして、原稿はファックスで送る。


センスがよく、

私が住んだ部屋のカーテンの色合いや、

置いてあったアンティークの家具、

そして、ドロシー自ら塗ったという壁の色が

とても気に入って、この部屋を選んだ。


そして、ドロシーの得意料理は、

ミートローフ。

これが、とってもおいしい。

ジューシーで、玉葱いっぱい。

思い出すと、ついついよだれが出そうになる。


彼女が、本格的料理をするときは、

必ずレシピの本を見ながら作っている。

分厚いけれど、綺麗な写真付きの

レシピ本を、よく見せてもらった。


私が日本に帰る時は、これと同じ本を

買って帰ろうと思っていたのに、

当時は、お金が無くて、

買えなかった。


でも、私がこの部屋を出ることになった時、

ドロシーは、手作りの品をプレゼントしてくれる。


小さな額縁に入ったコラージュ。

日本について書かれた雑誌や

新聞の切り抜き、

かわいいボタン、

私の電話番号が掲載されたNY電話帳の切り抜き、

貝殻、

ドライフラワー

色々なものが無造作に貼り付けられ、

絵の具で重ね塗りされていたり。


今でも、これを見ていると、

ドロシーの事を思い出す。


素敵すぎる、プレゼント。

ドロシーは、今、何しているかなぁ?


昨日も、ひでみとしゃべらナイト

私がベルギーとの電話会議が終わり、
スタジオBeに着いたのが、
8時くらいだった・・・

開口一番ひでみが、
「揚石さんと一緒に、御食事に行くことになったよ!」
というではないか!
どうやら、私も一緒にという事らしい。

やったー!
先週ワークショップが始まる前に、
ほんの数分、挨拶させていただいただけなのに、
一瞬にして、吸い込まれちゃうくらい、
素敵オーラを発している揚石さん。

あんな素敵な人なのに、
夜中に友達の為に、
電子レンジを自転車で運ぶ話を
聞いて、すっごい親近感を持ってしまった。

そういえば、私も、イスを地下鉄で
運んだ経験がある。
NYで9丁目から、96丁目に引っ越す時、
スーツケースに荷物を詰めて、
何度か地下鉄を行き来して運んだ。
イスは、そのまま持って乗った。
それはそれは、夜逃げしているような気分。
でも、誰もじろじろ見たりしない。

自転車をかついで地下鉄に乗る人だって
NYでは、日常茶飯事の光景だからかなぁ。

日本で、座椅子を買った時、
これくらい自分で持って帰れると思い、
大きい袋に入れて電車に乗ったら、
意外と、みんなジロジロ見る。

これもお国柄の違いかもね。

揚石さんに会ったら、
是非、地下鉄で引越し荷物を運んだ事を
話したい。

そして、おいしい白菜入り焼きそばも作ってくれた
ひでみにも、感謝感謝です。
第2回英語でしゃべらナイトね!が無事に終了した。

終わってから、反省会と称して、
話し始めたら、もう止まらない・・・

また今夜も終電になりそうな勢い。

このしゃべりがたまらなく楽しい。

昼間寂しがっていたひでみを知っていたので、
心配していたけれど、
私がBeに入った時には、
いつも以上に元気なひでみ。

待ってました!という感じで、
急な訪問者の話をしてくれた。

かなり、面白い人だったらしい。

ひでみの”好き”に対する
響き方は、
誰にもまさって、クリアーだ。

私も、インプロをやっている時は、
Spontaneousになれるけれど、
日常になると、
すぐに忘れてしまう
”好き”という気持ち。

もっと、もっと、好きに響いていく
自分を許そうと思う。
今朝は、サンデーラン初日。
インプロワークショップ仲間のかおりちゃんと、
ひでみと、ランキングランクゥイーンの前で、
待ち合わせた。

誰も来ない。。。

ちょうど良かった!
ランキングランククゥイーンをのぞいた事が
無かったから、
じっくり中を見ることができた。
ここに来たら、世の中で流通している物を
手にできるんだぁ!
すっごい発見!

結局かおりちゃんは現れなかったから、
ひでみとスタジオBeに寄って荷物を
置き、新宿御苑まで行ってみた。

お金も持たずに来た私達は、
行ってみて、びっくり!
新宿御苑って、入場料とるんだね。

でも、インプロな私達。
新宿御苑脇を走ることにしたよ。

ところが、この脇道が
紅葉で、すっごく綺麗だった。
脇道を走れて、ちょうど良かった。

ひでみに言わせると、
おしゃべりしながら走れる速度が
ちょうど良い速さらしい。

「セントラルパークみたい!」
と言うと、
ひでみが、
「どんなところ?」

New Yorkで3つ目の住みかは、
Upper East のLexixnton Avenue沿いにあった。
West方向に3分歩くと、
Central Park の中にある、
貯水池脇の5番街にぶちあたる。
前に住んでいたEast Villageと違って、
少し建物が高く、少し落ち着いている感じ。
もう少し、Upperに行くと
ハーレムが近いけどね。
Guggenheim Museum までも、歩いて3分。
夏は、深い緑に包まれ、
秋は紅葉に彩られる、
そんな風景を毎日見ていた。

Central Park

Central Park

そんな景色を思い出させてくれた新宿御苑脇の道に、
感謝!

今日も、楽しい1日となりそう!

人は、どうして夢を達成できないかというと、

途中で障害に出会うと、

思考停止状態になる。


そして、理想を下げてしまうのだ。

「今のままでも、いいじゃない・・・」

のように。

でも、理想に近づくには、

理想を下げるのでは無く、

自分を上げる作業が必要。

では、自分を向上させ続ける事が

できないのは、なぜか?

エネルギーが足りないから。

ガソリンが無い車は動かないのと、

同じ。

このエネルギーを作り出すのは、

変化であり、

それにより感動するという

感情であり、

それを積み重ねるという

構築する作業。


というわけで、日々の生活に、

「意図的変化」を起こすことが

重要らしい。


そしてそして、

変化を生み出すのに、

最もHelpfulなのは、

自分が感動したり学んだ事を

すぐに人におしえること!

これをすると、定着するし、

飽きないらしい。


詳しくは、羽根さんの

セミナーをお試しくださいませ~


羽根 拓也
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今日、羽根拓也さんという方の「学ぶ技術」というセミナーに参加した。


そしたら、まさしく、私が昨日友達と話していた事「心動かされる事」

に近い事が話題になった。


簡単に言ってしまうと、

「夢の実現の、大きな原動力の一つは、感情に突き動かされ、

 行動すること。」

らしい。


今日は、眠いから、

詳しくは、明日、まとめようと思う。




今日、友達と話していて、

話題に出た言葉、

「心動かされる事」について、書きたくなった。


私が、留学を決意できた理由は、

たくさんの事がきっかけにはあったけれど、

そのたくさんの事というのは、

「心動かされた事」の集合体があったから

だと思う。


理由は、わからないけれど、

こっちの方がいいにおいがするなぁ

とか、

これをやっていると楽しくてしょうがない

とか、

そんな自分の五感って、

結構信じていいんじゃないかと、

最近つくづく思うのである。


理屈で、

「これをやったら正しい」から、

とか、

「常識的には、こうしたらいいから」

とか、

「この人とは、背格好や年齢や条件がちょうど良いから」

とかいう理由でつきあえたり、

それで自分が本当に幸せになれるのであれば、

そうしたい。


でも、自分はそうはできなかった。


会社には、ずっと勤務するのが、

正しかったのかもしれないし、

20代で結婚するのが常識なのかもしれないし、

背格好、年齢、条件がちょうど良い人がいたら、

結婚すれば良かったのかもしれない。


でも、それはできなかった。


アメリカに留学したいなぁ~って、

心動かされた事を

消し去る事が、どうしてもできなかった。


どんなに周囲に反対されても、

自力で留学して、

本当に私は、楽しかった。


勉強する量は、半端でなかったから、

大変だったけれど、

本当にHappyな日々だった。


そして、今もHappy

心動かされるセンサーに従って楽しかった記憶を信じ、

心動かされる方向に進んで行こうと思う自分を

許そうと思う。



特異な例なのかもしれないけれど、
私は、NY留学中、一度も危険な目に
遭遇しなかった。

それは、
自分が気をつけていたからか?
危険を寄せ付けないオーラを出していたからか?
普段の行いが良かったからか?
理由は、定かでない。
アメリカが景気が良かった時期であることも、
起因しているかもしれない。

私がNYにいたのは、
911テロが起きる前の、
1998年から2000年。

まず、学校の中には、
警備員が24時間体制で、管理。
学校の周辺は、NYPD(New York Police Department)
のパトカーがあちらこちらに
停車していた。

On Campus のDormにいた時は、
もちろんドアマンが24時間体制で警備。
24時間オープンしている図書館で、
夜中まで勉強しても、
寮までは徒歩で3分。
Off Campusのシェアアパートに引っ越してからも、
ドアマンは、いなかったけれど、
午前0時くらいまでは図書館にいて、
徒歩10分弱のアパートまで、歩いて帰っていた。
でも、早歩きはしていたかもね。
ちょっと、怖いから・・・

そういえば、当時Times Square にあった
Drama Bookstore という
本屋に行った時のこと。
必要な本を購入して、
次に寄った図書館で、キャッシュカードが
無い事に気づいた。
図書館で、落としたのだと思い、
警備の人に話したら、
みんな一緒に探してくれた。
「なんて、みんな優しいのだろう!」
またもや、感激してばかり。
結局みつからなくて、
警備員の人がCiti Bankに電話して、
キャッシュカードを使用されないように、
止めてくれた。

そして、アパートに戻って驚いた!
Drama Bookstoreからのメッセージが
留守電に残されていて、
私のCiti Bankのキャッシュカードを
保管してあるというではないか!

Times Square のど真ん中での出来事とは、
とても想像しがたい。

本屋さん、一緒に探してくれた図書館の警備員の方々、
本当にどうもありがとう。

それから、もう一つのエピソード。
パスポートのコピーを、
大学近くのKinko'sで撮った時、
コピー機のガラス面に、
パスポートを置き忘れてしまった事がある。

その時は、Washington D.C.にExcursion する予定で、
パスポートのオリジナルは、持ち歩きたくなかったから、
コピーをとり、パスポートは部屋に置いていったつもりだった。
ところが、Washington D.C.から戻り、
家に帰ったら、パスポートが無い・・・
どこにしまったのだろう?記憶をたどり・・・・・
「そうだ!Kinko'sでコピーしたままだった!」
コピーしてから、約1週間後に気がつき、

ピックアップに行くと、
そのKinko'sに保管されていた。
こんな事、有り得るのだろうか?
本当に、有り難い。

すべては、私の不注意から起きた事なのに、
大事にいたらなくて、本当に良かった。

学校から歩ける距離に
住んでいたのと、
お金を使いたくなかったから、
いつも、マンハッタンの中なら、
どこへでも歩いて行っていたし、
もちろん、地下鉄やバスにも、
たまに乗ったけれど、
何も危険な目に遭わなくて
済みました。

意外と、案ずるより産むが易し!?

かもしれませんねぇ~



寮生活と言っても、色々形態があると思う。

2年間のNew Yorkでの留学生活のうち、
最初のSummer Semester に、
Study Abroad Program で単位を取得した。
その時に、London と Edinburgh で、それぞれ1ヶ月寮生活をし、
この寮生活は、めちゃ楽しかったという経験がある。

Study Abroad Programというのを簡単に説明すると、
自分が所属する学科の教授が同行しつつ、
他の国の大学での授業を受け、
現地ならではの、イベントを通して、
より深く学ぼう!というような感じである。

London も、Edinburghも、約30人のクラスメイト

がいた。

その London と Edinburgh での寮は、
Flat 方式で、
一つの入り口から入ると、4~5室のベッドルームがあり、
キッチン、バスルーム、リビングは共有するというスタイル。
こういった、Flatが、1つの建物の中に、
たくさんあるという形態だった。
それぞれのベッドルームには、洗面も付いていたから、
みんな一緒の授業を受けていたけど、
朝の忙しい準備も、
スムーズにできたと思う。

London のFlat は、同じ30代女性5人。
日本人は私1人とイギリス人が1人、アメリカ人3人。
私を含め独身は3人で、バツイチ1人、子供が2人いる主婦1人。
朝、昼、夜と、
5人そろう時もあれば、
バラバラだったり、
一緒に料理したり・・・
授業のわからない事も、
おしゃべりの合間に、
きいたりしていた。

同じ寮になって、
数日後には、
"My ex-husband is..."
"My ex-boyfriend is..."
"Her parents are divorced..."
"My stepfather is ..."
"His stepmother is..."
という言葉が、飛び交う。
私の感覚では、日本では、知り合って間もない人同士で、
出てくる会話では無いと思っていたので、
少々面食らったけれど、
今思うと、
本当の話がきけて、良かったと感じる。

EdinburghのFlatで、
私が少し驚いたのは、
男の子が、同じFlatにいた事である。
アメリカ人の子達は、
それを特異な事とは
全然思わないと言っていた。

Pot Luck Party をやったのも、
Edinburghの寮。
Edinburghの寮の方が、
リビングが広くて、
みんなが集まるスペースが広かったと思う。

Londonのような都会と違って、
ひとつのEdinburghの方が、Flatが広いのは、
やはり郊外にあるという場所柄であろう。

同じクラスメイト全員が、
同じ寮で生活をする。

最初にこれを経験した事が、
自分にとって、プラスになった。
なぜなら、New Yorkでの授業は、
授業が終わったら、
それぞれが、それぞれの生活に戻り、
お互いをより深く知るチャンスは、
とても少なくなったと思うから。

そして、この寮生活で仲良くなった生徒とは、
New Yorkに戻ってからも、
より語り合うチャンスに恵まれた。

まったく知人のいない場所に
留学した私にとって、
「私は、なんてついているのだろう!」
と言える出来事のページに
付け加えておきたい。



どうしても寮を出たかったから、

Off Campus の家探しも、

必死だった。


Off Campus Housing Center

には、コンピューターが設置されていて、

自分の希望条件を入れると、

それに合う条件のアパートが

リストアップされて出てくる。


学校から近くて、通学徒歩圏で、

安全そうで、

ルームメイトは、女の子で、

禁煙で・・・


いくつか出てきた候補のアパートの連絡先をメモすると、

片っ端から電話してアポをとりつけた。


今考えると、勉強の合い間に、

あちこちと、

よく歩きまわれたと思う。


第一印象がすべてとは言わないけれど、

この時ばかりは、

ルームメイトとして、

うまくやっていけそうかどうか、短時間で判断しなければ・・・

と思いながら、

数分だったけれど、丁寧に一人一人と

アパートを訪れては、話していたと思う。


一方、2Semester の契約をしてある

寮は、どうするのか・・・

これは、On Campus Housing Center

に相談した。途中でmove out するには、

「勉強に支障をきたす」等の

明確な理由がなくてはダメで、

担当教授からのレターも取り付けるように

と言われた。


その上、この2つがそろっても、

途中で寮を出て、

残りの寮費を払わなくてよい事が認められるには、

On Campus Housing Center 内の

会議にかけ、許可される必要があるとの事。


教授にかけあって、事情を説明。

どうしても寮を出たいから、と訴えた。

そしたら、次の日には、綺麗にタイプされた

レターを渡される。


アメリカでは、主張すると、自分が認められると実感した

初めての出来事だっと思う。


そのレターを持って、On Campus Housing Office に

駆け込んだところ、会議が2日後にあるから、

その日に、また来るように言われた。


シェアアパートは、East Villageにある

Two Bed Room に決めてあった。


On Campus Housing Center の会議で許可された事がわかった時は、

飛び上がって喜んだ!


ルームメイトのドロシーに、Deposit を払い、

Agreement をかわす。


また一つ、留学生活中のハードルを

一つ飛び越えた気分。

うれしかった。