THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

パンクやパブ、ガレージロックに大きな影響を受け、グルーヴ感溢れる攻撃的なサウンドが持ち味だった4ピースバンド、ミッシェル。
激しいカッティングを多用しメロディの核を生み出すギター。
正確無比のリズムを刻むドラム。
打楽器のようにバキバキ打ち鳴らすベース。
がなりたてるヴォーカル。

ミッシェルは、日本の音楽シーンの脇道のド真ん中を走り続けていました。
そして2003年10月、多くのファンに惜しまれつつ、その活動にピリオドを打ちました。

ヴォーカルのチバユウスケをはじめ、ベースのウエノコウジ、ドラムのクハラカズユキは、それぞれの音楽活動に打ち込んでいます。
ただ、ギターのアベフトシは、もうこの世ではギターを弾いてはいません。

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今日の音楽:http://www.youtube.com/watch?v=l745SMQNMww  
      必聴。ミッシェルの魅力が爆発しています。
      http://www.youtube.com/watch?v=LBZXucS1Ycs&feature=related
      http://www.youtube.com/watch?v=qifBmzHJ6ug&feature=related
      http://www.youtube.com/watch?v=e5L0OkeiDJo&feature=related
      http://www.youtube.com/watch?v=ACX2frd0r9A&feature=related
      http://www.youtube.com/watch?v=i4kIN2KW7Eg
      http://www.youtube.com/watch?v=xjFM5J55WDY
      http://www.youtube.com/watch?v=XfKWJwgINYo&feature=related


余談ですが、あるとき後輩がミッシェルのCDを貸してくれと頼んできました。
『フッ。キミもロックンロールジャンキーになりたいのかい?』
などと思いながら、僕は快くCDを貸しました。
1週間後、その後輩はCDを返してきました。
『どうたっだ?』
と感想を聞くと、
『いや~ミッシェルいいっスよね! でもカラオケで歌うには難しそうですよね?』
などとほざきやがりました。
その瞬間、僕は封印していたはずの拳を思わず握りしめてしまいました。


ニセモノだらけのこの世のなか。
右を向いても左を見ても、似たり寄ったりの商品、どこかで聞いたことのある音楽、テレビからの受け売りの言葉、雑誌に踊らされたファッション、お決まりのストーリーなどなど、お手軽なニセモノで溢れ返っています。
そのなかに時折、キラリと光るマジモン(本物)があります。
普段ボンヤリと過ごしている僕などは、そういうマジモンに遭遇したとき、えも言われぬ歓びと興奮に包まれるのです。

たとえば走り屋。
いまでこそ街で見かけることはほとんどありませんが、僕が免許を取り立ての頃、気の利いた野郎は5速MTを駆使してカッ飛んでいました(田舎の出ですから…)。
しかし哀しいかな、そのほとんどは、僕も含めてニセモンでした。
やたらアクセルとブレーキをガツンと踏み、ステアリングをエイヤと切り込み、同乗者をヒヤヒヤさせるような運転をして悦に入っていました。
そんな若さと馬鹿さ爆発の運転をしていたとき、僕はマジモンに遭遇しました。
プロドライバーだったGさんの運転するクルマ(タービン交換仕様のFC3S)の助手席に乗せてもらい、真夜中の首都高を走ったのです。
『Miltz、眠くね?』
などといたって普通の会話をしながら、GさんドライブのFC3Sは、レインボーブリッジに至る高速コーナーを4速全開ゼロカウンターで駆け抜けていきました。
エンジンは雄叫びを上げ、タイヤは悲鳴を上げていましたが、チューンドFCは挙動を一切乱すことなく走り続けました。
『こいつにはかなわない。マジモンだ…』
タバコを燻らせながら5速にシフトアップするGさんを見て、僕は興奮を抑えきれませんでした。


そして、いまから5~6年ほど前。
別のマジモンに遭遇しました。

当時僕は、一般家庭に野菜などを宅配する仕事に就いていました。
事件は、渋谷での配達中に起こりました。
円山町の狭い道をいつもの宅配トラックで走行中、前のクルマがいきなり道の真ん中で停車したのです。
『ブーー!』
僕は即座にクラクションを鳴らしました。
宅配業に就いたことのある人ならわかってもらえると思いますが、基本的に仕事中は急いでいます。
なぜなら、急がないと仕事が終わらないですし、なかには時間指定のお客もいるからです。
『退きさらせ! ドアホ!』
もしかしたら、無意識のうちに叫んでいたかもしれません。
と、前のクルマのブレーキランプが消えました。
ゆっくりと運転席のドアが開き、ブラックスーツに身を固めたお兄さんが降りてきました。
ブラックスーツのお兄さんは、ゆったりとした足取りでクルマの後ろ、トラックの前に回り、そして助手席側の道路脇に設置してあった自動販売機で缶コーヒーを買いました。
お兄さんのやたら自然な足取りを見た僕は、心のなかの警報機が最大音量で危険を知らせていることに気付きました。
『アイツ、なんか知らんけどヤバイぞ!』
お兄さんは自販機から缶コーヒーを取り出し、運転席に戻ろうと歩き出しました。
ゆっくり、1歩ずつ。
お兄さんが、トラックの前を通り過ぎました。
そして、ゆらりと僕の方に向き直りました。
お兄さんの全身から、トキのように穏やかな、それでいてラオウのように猛々しい“気”が伝わってきました。
次の瞬間、僕は笑福亭鶴瓶のような満面の笑みで、
『どうも~』
と挨拶しました。
一瞬の間のあと、何事もなかったかのように、お兄さんはゆっくりと運転席に戻っていきました。
ブレーキランプが束の間点灯し、前のクルマは走り出しました。
ゆっくり10秒数えてから、僕はトラックのギアを2速に入れました。
前のクルマは、オフホワイトのマジェスタでした。
僕は思いました。
“頼むから、ヤクザは黒塗りのベンツに乗ってくれ”

ちなみに、これはスジモンの話でした。

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今日の映画:激突! 1971年 スティーブン・スピルバーグ監督
      クルマに乗っていると、ヤバい目に遭うこともありますよね。


表の裏は、裏。
裏の裏は、表。
物事にはすべからく表と裏があります。
光と陰。
男と女。
南斗聖拳と北斗神拳。
なにをもって表とするか、どのようなことを裏と見なすかは別として、すべての事象は文字通り表裏一体で、しかもそれが複雑に絡み合っています。
ある一線を境にして表から裏に変わり、またある一線から今度は表に変わります。
1人殺せば悪人、10人殺せば大悪党、100人殺せば英雄、10000人殺せば悪魔…。
いつの時代もこの世は混沌のなかにあり、確かなものなど1つもないのです。

僕はいまも混沌のなかに在りますが、20歳前後のころもやはり混沌のなかに在りました。


10代の終わり頃、こんな噂を耳にしました。
『O町に、洒落た美容室ができたらしい』
すぐさま、僕は噂を否定しました。
“アホか。O町に洒落た美容室などできるわけがない”
O町とは、僕が生まれ高校生まで育った町です。
S私鉄沿線の特急が停車する駅としては最小で、住民も『オラがトコが一番』という村気質の強い町です。
コンビニエンスストアでさえ、僕が高校を卒業した翌年にO町1号店ができたような町なのです。
当時神戸に住んでいた僕は、噂を鼻で笑って黙殺しました。

しかし、地元に帰った際、駅を降りると、確かに見慣れない美容室の看板が立っていました。
好奇心に駆られた僕は、ちょうど髪が伸びていたこともあり、駅から徒歩1分のその美容室に散髪しにいくことにしました。
すると…。
これが確かに洒落ているのです。
外観は言うに及ばず、働いている人たちもお洒落ならば、髪を切りにきているお姉さんがたも洒落ているのです。
“なんでO町なんかにこんな洒落た美容室が…”
まさかそんな問いを美容師さんにぶつけるわけにいかず、僕はさっぱりした頭で美容院をあとにしました。

それからです。
すっかりその美容院を気に入った僕は、月に1回O町に帰り、髪を切ってもらうことにしました。
理髪技術やお店の雰囲気はもちろんですが、僕がその美容室に通うには、もう1つの大きな目的がありました。
それは、“顔剃り”を担当してくれていたお姉さんです。
残念ながら体毛が濃い体質に生まれてきた僕は、当時から髭が濃いめでした。
そんな僕のあごをお姉さんはこねくり回すようにして、きれいに髭を剃ってくれるのです。
可愛らしい顔立ちをしたそのお姉さんは、優しく繊細な指先で顔中を触りまくってくれました。
そのたびに、
『そ、そんな美しい指でそんな大胆に肌を触られたら。ボクはもう、もう…』
『もっといやらしく触ってみろよ。どうせおまえは違う男にも毎日毎晩こねくり回してんだろ!』
という相反する2つの感情に心をかき乱されました。
生理的に気持ちよいのはもちろんですが、はっきり言ってしまうと性的にも気持ちがよかったのです。

性体験の有無にかかわらず童貞気質な僕は、お姉さんをどうこうしようなどという大それたことは考えさえ及ばず、したがって僕の屈折した欲望をお姉さんに気付かれるはずもなく、月に1回の愉しみとして、美容院通いが始まりました。

そうして1年が過ぎた頃でしょうか。
性懲りもなく僕は、期待にいろいろなところを膨らませつつ美容院のドアを開け、受付を済ませました。
ソファーに座って紅茶なんかを飲んでいると、自分の名前が呼ばれました。
『Miltzさん、お願いします』
その瞬間、僕は今日このときに美容院に来てしまったことを心底後悔しました。
文字にするとわからないでしょうが、なんと男性美容師が声をかけてきたのです。
『あの、いつものお姉さんは?』
などと聞けるわけもなく、うなだれたまま理髪用の椅子に座りました。
隙をみてあたりを見回すと、やはりいつものお姉さんは居ません。
『じゃ、顔剃りからはじめますね』
という笑顔の男性美容師に、
『自分のケツでも舐めてろ、ゲス野郎!』
などと返せるわけもなく、諦めて目を閉じました。
瞼の上に熱いタオルがかぶさり、顔剃りが始まりました。
“畜生! 男にツラ触られても嬉しくもなんともねぇよ”
心のなかで悪態をつこうとしたのですが、どうも様子が変なのです。
様子が変というか…、はっきり言って気持ちがいいのです。
熱心に肌を揉みほぐしこねくり回し、軽くつまんだりしながら剃ってくれています。
その繊細な指の動き、そして気持ちよさは、いつものお姉さんに勝るとも劣りません。
“こいつ、なかなか上手いこと剃りよるやんけ”
などと強気でいられたのは初めだけでした。
ストレートとして必死に抵抗したのですが、体は正直に快感を快感として受け入れ、そして次第に心にまで変化が始まりました。
“兄さん、その辺にしとかんともうそろそろアレやでぇ”
“ちょっともう、いい加減にしぃや自分…”
“ボクはそんなつもりで来たんじゃないんだから…”
“そんな風にされたらいくらアタシだって”
“もう… わかったわよ。1回だけだからね”
観念して、ベルトを緩めようとしたそのときです。
『お疲れさまでした』
というきれいな声とともに、瞼の上のタオルが取り払われました。
なんと、そこにはあの可愛らしいお姉さんの笑顔がありました。
どうやら、僕が目を閉じてから男性美容師からお姉さんに交代したようなのです。
“あんたは… あんただったのか”
心のなかでつぶやき、心のなかでお姉さんにそっと口づけをしました。


余談ですが、上京したての頃、バイト先のピザ屋で約1年間、女性店員にのみホモを自称していました。
いまとなっては、当時の自分がなにをしたかったのかさっぱり理解できません。

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今日の映画:クルージング 1979年 アル・パチーノ主演
      自分の価値観が根底からひっくり返りそうになるとき、ありますよね。

はじめにお断りしておきますが、今回もしょうもないシモネタです。
すいません。

僕はこの世に生を受けた瞬間から男性器(チンコ)を有しており、家族に母と姉がいるものの女性という人種をあまりよく理解できておりません。
かろうじて童貞ではないものの、お世辞にも女性との付き合いが上手とは言えず、知らないが故に、ともすれば女性を“自分とは違う美しい存在”として神聖視してしまう傾向にあります。
そんな僕が、“女性にもヘアが生えている”というまぎれも無い事実を知ったのは、中学生のときでした。
“ヘア”というのはもちろん陰毛、フランス書院的に言うと“恥毛”、お下劣な言い方で言うと“マン毛”のことです。

話は少し逸れますが、僕は幼い時分からひねくれたガキでした。
これはネタではなく本当の話ですが、小学生の頃、無邪気に遊んでいる友達を見て、
『いまは楽しそうに遊んどるけどのぉ、あと何十年かしたらおまえら全員死ぬんやど!』
などと時折ひっそりと毒を吐いていました。
ちなみに、僕の小学生時代の夢は、“長生きすること”です。
これも、残念ながらネタではありません。

そんな僕が、中学1年生にして“恥毛”の存在を知ってしまいました。
ちょうど性に目覚め始めた年齢でしたが、精神年齢の低さで定評のある僕は、女性のスベスベ肌にそんな醜悪な剛毛が生えているなどとは到底信じられませんでした。
しかし、写真(エロ本)は嘘をつきません。
童貞ならではの頑固さで否定し続けた僕も、最終的には“恥毛”の存在を認めざるをえませんでした。
そのときからです。
街で20歳くらいの綺麗なお姉さんを見かけるたびに、こう毒づくようになってしまいました。
『おまえらそないなキレイなツラしとってものぉ、マン毛ボウボウなんやろがい!』
正確に言うと、これは“毒づき”ではありません。
いたいけな少年の、心の叫びでした。

そして…。
ときをほぼ同じくして、セックスの全貌を知ってしまいました。
股間(チンコ)は熱くなりましたが、同時に、
『こんなん、みんなやっとんかいや!?』
と心底驚愕しました。
街で綺麗なお姉さんを見かけるたびに、心のなかでこう叫ばずにはいられませんでした。
『おまえらキレイなツラして素で歩いとってものぉ、昨日の晩はスパンスパンやっとったんやろがい!』
中学生だった僕の心は、泣いていました。

さらに!
あろうことか、オーラルセックスの存在まで、僕は知ってしまいました。
こんなことを女性がするという事実は、当時の僕にとっては天地がひっくり返るほどの大事件でした。
街で見かける綺麗なお姉さんが、全員魔物に見えました。
『おまえらそないにかわいらしいに笑うとってものぉ、チンポくわえまくっとんのやろがい!』
握りしめた拳は、ぶつける場所を見つけられないままいつまでも震え続けていました。


こんなどうしようもない僕でも、高校1年生のときに初めて好きな女性ができ、それからだんだんと女性の素晴らしさを再確認していくことになります。
もちろん今日では、セックスが男女の自然な営みであり、素晴らしいものであることは重々承知しています。

しかし、少年の日に覚えたあの遣り切れなさ、そして痛みは、いまでもふとした拍子に懐かしく想い返すことがあります。

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今日の映画:ジョニー・スエード 1991年 ブラッド・ピット主演
      たまらなく青臭いブラッド・ピット。ファンならずとも必見の良作です。

今日の動画:The Roosters http://www.youtube.com/watch?v=0pgp8RcVcUA
      オンタイムで観たかったです。



フィニッシュ・ホールド(Finish Hold):プロレスにおいて、3カウント/ノックアウト(10カウント)/ギブアップなど、勝ちを獲るための決め技。スープレックスや関節技、打撃系など、押さえ技に限らない。

日本の男性が弱くなったと、巷で喧伝されています。
『いまの若い奴は…』的な言い草はオッサンの戯言に過ぎず、基本的に好きではないのですが、これには同意せざるを得ません。
なぜなら、ほとんどの若者が、この質問に即答することができないからです。
『あなたのフィニッシュ・ホールドはなんですか?』
一昔前ならば、名刺交換の際にお互いのフィニッシュ・ホールドを確認し合うのが、ビジネスマンの常識でありマナーでした。

僕も初めて就職した際、新人研修で講師に、
『いいかおまえら。自分のフィニッシュ・ホールドをいますぐ見つけるんだ!』
と喝を入れられました。
同期の奴らが慌ててフィニッシュ・ホールドを考えるなか、僕は悠然と構えていました。
目ざとい講師は、すぐに切り込んできました。
『ほう…。Miltzとかいったな。まさかおまえ、もうフィニッシュ・ホールドがあるのか?』
僕は自信たっぷりに、こう言い放ちました。
『スープレックスならバックドロップ、関節技ならワキ固め、打撃系ならエルボです』
それを聞いたときの講師の驚嘆した顔、同期の奴らの羨望の眼差しは、いまも忘れません。


記憶に残るプロレスラーというのは、例外無く自分のムーブ、そしてフィニッシュ・ホールドを持っています。
上記の技で言うならば、ジャンボ鶴田のバックドロップ、木戸修や藤原喜明のワキ固め、三沢光晴のエルボです。
“プロレスの心”を知らない人がこれを読めば、こう言うかもしれません。
『なんだ、ぜんぶ初歩的な技じゃないか!』
そういう人たちには、僕はこう言い返すことにしています。
『失せろ、ケツのアナ野郎!』 効果音:ゴゴゴゴゴ

確かに、バックドロップもワキ固めもエルボも、プロレスラーを自称する者ならば誰しもが出来る、初歩的な技です。
しかし!
誰でも出来るが故に、これらの技は難しいのです。
誰でも繰り出すが故に、技の優劣が一目で分かってしまうのです。
しかも、たとえこれらの技を使いこなせていたとしても、観客に自分の決め技だと認められなければ、フィニッシュ・ホールドとして使うことは御法度です。
例えばバックドロップ。
“プロレスの天才”の名をほしいままにする武藤敬司でさえ、バックドロップで観客を納得させることはできません。
もしも“カリスマ”アントニオ猪木がワキ固めでギブアップを奪えば、観客は唖然としてしまったことでしょう。
エルボに至っては、基本的に痛め技・繋ぎ技ですので、三沢光晴以外がフィニッシュ・ホールドに使えば観客から『手抜きすんな!』とブーイングが起こります。
ミハエル・シューマッハがバイクレースで上位入賞すればマスコミからもてはやされますが、プロレスラーが他レスラーのフィニッシュ・ホールドで勝利しても、誰も祝福してくれません。
そうです。
フィニッシュ・ホールドとは、プロレスラーのアイデンティティであり、代名詞であり、レスリングスタイルそのものなのです。

プロレスラーが自分のレスリングスタイルを確立するということは、自分のフィニッシュ・ホールドを確立し、それにつながるムーブを確立し、そしてそれを観客に認知させることに他なりません。
ちなみにムーブとは、レスラー固有のアクション(お約束)のことです。
たとえば、アントニオ猪木がリバース・インディアン・デスロックを繰り出すときに叫ぶ『ヘイヘイヘイ!』。
たとえば、スタン・ハンセンがウエスタン・ラリアットを繰り出すときの、肘パッドを直す仕草。
永源遙の唾飛ばしや、ラッシャー木村のマイクパフォーマンスも、一種のムーブと言えるかもしれません。
観客は、ムーブが多ければ多いほど沸きたちます。
なぜなら、プロレスとは観客参加型のパフォーマンスであり、レスラーと観客が渾然一体となって創りだす筋書きが微妙なスポーツだからです。
しかし、フィニッシュ・ホールドは1つ、多くても3つくらいまでに収めねばなりません。
それ以上多かったら、観客は応援のしどころが分からなくなってしまうからです。

優れたプロレスラーほど、自分のフィニッシュ・ホールドを非常に大切にしました。
カタチだけなら幼稚園児でもできるラリアットを、無敵のフィニッシュ・ホールドとして体得したスタン・ハンセンは、こう述べています。
『相手にダメージを与えるだけ与え、ここぞという場面でウエスタン・ラリアットを繰り出すようにしていた。ラリアットをやるときは、いつでも1発で決めるつもりだったね』(うろ覚えです)
ハンセンのウエスタン・ラリアットは、名実共に最強のフィニッシュ・ホールドでした。
僕が高校生のときには、“鶴田のバックドロップ”と“ハンセンのラリアット”、どちらが一撃必殺かという話題で激論し、友人と胸ぐらをつかみ合ったことがあります。

日本プロレス創世記。
フィニッシュ・ホールドは、ボディスラムやブレーンバスター、空手チョップなど、シンプルなものでした。
僕が新日/全日に夢中になっていた頃には、多種多様なフィニッシュ・ホールドをレスラーが開発していました。
現在ではスピーディかつ華麗な非常に難易度の高い、または説得力はあるが危険性の高いフィニッシュ・ホールドが多数存在します。
ですが、技術の向上や多様化に比例して、プロレス人気は上がったでしょうか?
残念ながら、答えは“否”です。

どこかの誰かが、こんな名言を残しています。
『プロレスとは、シュートを超えた闘いだ』 ※シュート=真剣勝負
プロレスは、観て、応援して、参加して、ハートを熱くして楽しむスポーツです。
プロレスの復活を、心から熱望します。


余談ですが、ジャンボ鶴田が三沢光晴にフェイスロックでギブアップ負けしたとき、高校生だった僕は、深夜2時過ぎにテレビの前で号泣しました。
あのときの熱いハートでプロレスを観る日が、再びやってくるのでしょうか。

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今日の映画:レスラー ミッキー・ローク主演
      ただひたすらに、リアルです。

今日の動画:http://www.youtube.com/watch?v=8E0e9RgVNvI&feature=related
      “Jのテーマ”を聞くと、いまでも胸が熱くなります。