普通に考えればテメーの続投の方がはるかに有り得ねーんだけどな?

 

 

昨年の衆院選で与党少数に転落した際に総裁を選び直すべきだったと主張。「国民から見放された人が物を言っても信頼性がない」と石破氏の政権運営を批判した。

 

「へぇ~ そうだったのかぁ~ 京都府民~♪」

 

とんでもないケンミンショーを見せられちまった気分だぜ・・・

 

こんなタコでも見放さない京都府民!? 信頼性アリなのか!?

まさかの4選ってw・・・そんなにいい思いさせて貰ってたとは。

 

 

よっぽどぶら下がり心地最高~ってことな訳だよな?

 

 

ほんっとしょーもな!

 

 

つまり、兵庫県知事選は対岸の火事ではなかったということだ。

 

あまりにもクズ過ぎた自民党支配からやっと脱却する気配があらわれたと思ったら、勝るとも劣らぬクズ政党が支持を集め始めた。

 

人を見る目がどうのこうのといったレベルの話ですら、もはや無いぞ。

 

小麦批判、プランデミック、発達障害不存在、国家主権、教育勅語、基本的人権スルー、反多様性、大東亜戦争肯定、沖縄戦日本軍擁護、スピリチュアル、似非科学、外国人優遇説。

 

ちょっと調べれば、いや、調べなくてもすぐに判るようなデタラメな主張を、さっと挙げただけでもこれだけの数揃えているというのに、まさかの国政選挙の次元で「多くの支持」を集めてるというんだからな。

 

 

この政党を支持する、と公言してるオマエら。

 

一体この政党のどこが支持に値すると言うんだよ?

 

上に挙げたようなバカ丸出しの主張に、オマエらはマジで同調するってのか?

 

そうじゃなく、あえて無視して聞かなかったことにしてるだけなのか?

 

それともこんなバカ丸出しの主張に、はなっから目が行かないほどにフシアナなのか?

 

 

なぁ。その手の中にある大事な一票を、あんなクソくだらない軽々しい主張に委ねる前に、オマエらの考えを聞かせてくれよ。

 

それぞれに思いを発信してくれよ。

 

そうすれば、いかにこの国の愚民構成率が兵庫県と同じレベルだったかをしっかりと可視化出来るからさw

 

 

俺はハッキリ言うぞ。

 

本当にクズなのは、クズ政党なんかじゃない。

 

こんなクズ政党に、平気でこの国を喰らわせようとしているオマエらの方だ。

 

俺は保守主義も進歩主義も、資本主義も共産主義も、その思想の存在意義自体は否定しない

 

だがな、論理的にも合理的にも科学的にも、事実を無視したデタラメな主張をするヤツは絶対に認めない。その主張は明らかに人を騙しているからだ。

 

そして、その主張を軽々しく支持すると言うオマエらはみな共犯で、同じように人を騙すことに加担している。

 

いいか?これは主義主張の問題でも、思想の問題でもないんだぞ?

 

嘘を言いふらすヤツらを、社会のドまん中に据えてどうするんだという話だ。

 

そいつらと一緒に、オマエらが嘘を言いふらしてどうするんだとう話だ。

 

 

 

人としてあたりまえの、ごく簡単な選択でしかないんだよ。

 

まともな世の中でまともな人間として暮らしていきたいと思うなら、こんなデタラメな政党に加担するのはやめておけ。

 

 

マジで、ゼッタイに後悔するんだからな。

 

 

 

(凡女ー留野さんのリクエストに応えて) 

 

人が考える力を身につけるには、「頭の中で情報を廻す」「見て聞いて⇒書いて話す」、事実上これを繰り返す以外に上手い方法なんて無い。また、その作業は皆で一斉に実践すれば結果を仕込めるというようなものではなく、「個々が自身で学ぶ」ことが特に重要で、それぞれが独自の方法で学ぶことによって独自の「考え方」が深まり、その積み重ねがすなわち「考える力」となっていくものなのだ。

 

ところが学校という所では、クラス全員に先生の方を向かせて黒板に集中させ、同じ内容を同じタイミングで全員の頭にねじ込もうとする。およそ人の個性や志向を無視した形式的な授業が昔から変わりなく行われているのだが、残念ながらこの状況では、生徒たちは「一様に放射された情報」を受け止めるだけになってしまい、頭の中で情報を廻すとか、見て聞いて⇒書いて話すといった進歩的なプロセスに自ら「乗っかって行く」ような機会を得ることもなく、好きでも嫌いでもない、別に知りたくもないような知識をただ詰め込まれるだけの退屈な時間を過ごすことになる。

皆で一斉に学ぶ。この国ではその姿=学校であるとして、ずっと「それで良いんだ」ということになっており、「個々が自身で学ぶ」を実践する必要性も重要性も大きく語らていない。俺はそれが本当に問題だと思っている。皆で一斉に一様な知識を取り入れさせようとすると、個々が考える力を失ってしまう。元来子供にはさまざまな興味の対象があり、理科ひとつ取っても虫や動物などが好きな子、宇宙や天体が好きな子、飛行機や車など機械が好きな子といったように多様性があるはずだ。

 

子供というものは、こと自分の好きな事に限れば、誰に教えられるまでもなく勝手に学んで行くものだ。放っておけばどんどん興味を膨らませてどんどん吸収し、逆にこちらが質問責めにされたりする。聞かれるまではこっちから教え込む必要なんて全くない。だから本当なら、子供にはただ興味の対象を与えてやるだけで良いのであって、例えば宇宙や天体が好きな子にはそういう本を与えてやりさえすれば、読めない漢字があっても勝手に自分で調べて読み始めるし、どうしてもわからない事があれば親とか大人(先生)に聞いて何とかしようと考えるし、今の時代はネットで勝手に調べたりもする。そんな風に子供が自ら「のめり込んで」行く過程において、考える力は勝手に養われるものなのだ。

子供の個性・個々の学びを無視していること。すべてを一様な学びで、一様な知識・一様な人格を備えさせようとしていること。それが日本の教育のダメなところだと俺は思っている。「勝手に学ぶ」「個々が自身で学ぶ」というのは、本当にこの上なく重要なことなのだ。勝手に学べる環境を与えること、子供にそういう下地を作ってあげることこそが本当の意味での教育だ。そうすれば、考える力なんて自然と身について行くものなのだよ。

 

嫌がる子供にいらぬ知識を詰め込むことがまともな教育であるはずがない。日本の教育はそこを間違えているから、自分の頭で考えることの出来ない、与えられた知識をただ鵜呑みにする人ばかりになってしまう。まるでわざわざ狙って「鵜呑みにする癖」を付けさせているみたいじゃないか。

 

鵜呑みと言えば、前にブログで「円錐の体積」っていうのを書いたんだが、まさにそういう教育こそが人をダメにし、その結果としての今なのだろうと、参院選を前にして俺は声を大にして言いたい。 

 

 

だが俺は、子供の頃から「釈迦のてのひら」に乗ることをひたすら嫌ってきたのだ。身の周りに居た、俗に「エラい」と呼ばれる人たちとはことごとく喧嘩してきたしw、納得出来ないことを飲み込まされるのがどうしても嫌で仕方がなかった。小学校6年の時に教えられた円錐の体積の出し方も、何故そうなるのか?と言って先生を困らせたんだ。そら困るはずだよw、小学生の知識では絶対に説明も理解も出来ないものだったのだから。でも、だったら教えるなと言いたいんだよ俺は。「これはこうなるんだから、言われたとおりに覚えておきなさい」とか言われるのが本当にアタマに来るんだよ!

 

陰謀論とか、誹謗中傷とか、冤罪とか、そういうものは皆一つ残らず、人々が与えられた情報をまんま丸飲みにすることによって引き起こされるものだ。どうせそんなことになるんだから、円錐の体積の出し方を丸飲みする経験なんてしないに越したこと無いだろうよ。そんなものに慣らされて、いったい何の得があるって言うのさ?