公邸のバリアフリー改修が「自分の夫のためにわざわざ」じゃなくて良かったーとかいうクソどうでもいい歓喜の意を表明しておきながら、「我が政権まわり」のバリアフリー化のためなら公邸改修の比ではない莫大な税金使ってでも衆院全とっかえしちゃうぞ!って話なわけだ。

 

それがどういうことなのかも解らない、脳みそウニみたいな奴らがわんさか「サナ活」だとかふざけた事言いながら支持率上げまくってる。

 

この国はこんな程度の国民しか生み出せない国なんだよな。失われた30年とか言うが、いやそれどころじゃないだろう。いい大人たちが「映え」だけでトップを支持し、そのやってる中身をまともに評論すら出来ないという現実。

 

自立した民主国家としてのそれには失敗したが、自民党のご都合による国民教育には成功したと言っていい。こうなったらもう宮台的「加速主義」なる最終処方箋しか手が無いように思うが、きっとそんなものが功を奏すよりも早く第3次世界大戦に見舞われるんだろう。

 

人間という名の愚かさが生み出す結末は、いつも「堂々巡り」だと知るのみだ。

推しグループのメンバーがブログであなたのMBTI教えてとか言うもんだからさw

 

「え、え?MBTIってなぁに?」状態の俺が16Personalities性格診断なるものをやってみたってわけさ。

 

 

これってなんか本物のMBTIとは違うとかいう情報もあって、いろいろとアレなんだけど、とりあえず無料!って方を選ぶのが俺の習性なのでまぁ間違いはないだろ。

 

良くブロ友さんとかがやってるカジュアル系のものかと思ったんだけど、案外ガチなやつだったみたいで。

 

設問数が鬼のように多すぎて、途中おもっくそ棄権しそうになりながらも、なんかかんかで全問クリア!(って言うのか?)まで漕ぎつけた。

 

で、肝心の診断結果なのだが。

 

 

なんと!(なんと?)論理学者なのだそうだ・・・

 

INTP(論理学者)のあなたは知的好奇心分析力に優れていて、抽象的思考を好みます。あなたの頭はアイデアの「遊び場」として常に複雑な概念を探り分析し、自分を取り巻く世界の基本原則を理解しようと努めているでしょう。理性的かつ論理的思考をもとに人生に臨み、感情や常識よりも事実や理性に頼ることを好む傾向があります。

 

知識欲が旺盛なため、興味を惹かれたテーマについて深く掘り下げていく習慣もあるでしょう。表面的な理解では満足せず、入り組んだシステムや理論を理解しようと懸命になり、複雑な問題に対する革新的な解決策を生み出すことも少なくありません。あなたには「深い知性」と「既成概念にとらわれない思考力」があるので、仕事でもプライベートでも際立った存在でしょう。

 

というのが基本的な性格らしい。

まぁほぼ俺自身の自認するところに合致してるかもな。割合当たってると思うぞ。

 

たださ、この先の説明が長すぎて読むのメンドーなんだよね。

 

で、とりあえず簡潔な解説をググってみたら・・・

 

はぁ?なにこれ。マジ最悪じゃんwww

 

 

「クズ・性格悪い」って(/_;) なにもそんなストレートな表現しなくても・・・orz

 

 

頑固・無愛想・自己中・協調性なし・共感能力なし・人見知り・1人が好き・無関心・クセツヨ

 

っておいっ! いくらなんでもそこまで言われたこと無いわ!今まで!

 

 

もうね目次だけでおなか一杯なんだけどw、でもこの診断結果って・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スゲー当たってんじゃねーかよwww

 

マジでそんな感じのヤツだよ俺ってwww

 

 

 

 

ったく、おっそろしいテストだよなぁ・・・(((・・;)

 

キクチ先生さんのこの投稿、うっかり見逃していてやっと今読んだ・・・orz

 

コメントしようかと思ったのだが、長くなりそうなのでリブログさせていただく。

 

 

>違いは、「法と情緒、どちらを優先するか」
 

いやもう、まったくもってw

そのたった一言で終わるというw


良くも悪くもメディアは規律と秩序のもとに情報を扱おうとするが、SNSは自由で無秩序だ。一般に「オールドメディア > SNS」(※訂正)「オールドメディア < SNS」の主張は、このメディアの「良くも悪くも」な所を、おしなべて欠点と見做すものだと言える。

「法による縛りは返って足かせになる」という思考はそれと似たもののように思える。社会には法を超えた絶対的正義があり、仮に多数決すれば必ずそれが支持されるに違いないという幻想的信念だ。今日、自由と解放に根差していたはずの民主主義体制が世界的に後退している理由は、まさにそういう所にあるのかも知れない。

わが国における民主主義がなんちゃってなのは、元々規律や秩序よりもそうした絶対性に救いを求める者が多いからだろう。昔から偉人といえば信長や家康だ。遠山の金さんや暴れん坊将軍が限りなき善人・正義の行使者として崇められるのだからモノホンである。権力というものが如何に「自分に対して優しいか」を噛み締めながら生きている、そういう民族なのだ。

だから民主化という絶対的正義も、ただ革命に依るものであるばかりか、たとえ国家的テロに依ってでも実現されるべきであると、違いのわからない男たちは当然のごとく信じて疑わないワケである。

元来、民主主義は絶対的正義・絶対的権力へのアンチテーゼとして、「権力の分立」「国民主権」「自由と権利の保障」「法の支配」といったいくつもの柱から成り立つ理念なはずなのだが、そんなこと、彼らは全く意に介さない。

 

それは強権の行使によって実現される民主体制が、今まさに我々が享受している「なんちゃって民主主義」そのものだからなのだろう。

だが民主主義的な法の縛りがいよいよメンドクサくなった彼らは、もうとっくに憧れを抱き始めているのだ。中露北のような「強権がシンプルに正義を語れる」世界観に。そして「法の支配」ではなく、「人の支配」による正義の執行に。

 

SNSの無秩序さにこそ真実が潜んでいるという考えは、その憧れと少しも矛盾しない。権力による規律と秩序の破壊を堂々と肯定する彼らならではの、まばゆいばかりの輝きだ。

その美しさたるや、まさに幻想的ですらある。