非常事態宣言で集まるニューカレドニア独立への目 | 歴史ニュース総合案内

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 フランスの海外県ニューカレドニア(ヌーヴェル・カレドニー)で5月15~28日に非常事態宣言が発令された。「天国にいちばん近い島」(大林宣彦監督の1984年の小説原作映画から)の背後に隠れる先住民カナック人への歴史的抑圧が背景にあるという。

 近年の移住者に地方参政権を与える新法に、1998年のヌメア協定に反するとカナック人側が反発して勃発。死者が出るに及んで非常事態が宣言され、エマニュエル・マクロン大統領が急遽現地入りし、新法を撤回したことで落ち着いた。メラネシアのニューカレドニア島では長くカナック人を中心に独立運動が展開されており、3回否決されたが独立の是非を問う県民投票も行われている。

 

 トーマス・クック船長が発見し、スコットランドに類似性を見出して命名したニューカレドニアは、1853年にフランスのものとなり、やがて海外県となった。本島のグランド・テール島と離島からなる。

 流刑地だったが、ジュール・ガルニエによって間もなく東岸のティオ等にニッケル鉱山が開発されると、日本人を含め労働者が入植してきた。その中でカナック人は土地を失い居留区に押し込められた。カナック人の島内での比率は今や過半数を割っている。

 カナック人を中心に分離独立を求める声が高まり、大林が映画を公開した翌年には先住民がカナック社会主義民族解放戦線(FLINKS)を立ち上げ独立を画策。暴動も起き鎮圧事態になったが、フランス政府は1988年に独立派のジャン=マリー・チバウとマティニョン合意を締結。10年後には補完して県都でヌメア協定を結んだ。この年以降の移住者に地方参政権を認めない趣旨だったが、フランス国民議会は協定を破棄して5月に10年以上の居住者へ参政権を与える法律を定めた。これへの反発がアゼルバイジャン政府の後押しで増幅されると、フランス政府は妥協に応じた。

 

 ニューカレドニアでカナックの風俗は家のカーズなど観光資源として活用されている。だが、独立した他のオセアニア諸国に比べると見世物の側面が付きまとい、ニッケル鉱山では南アフリカ共和国のような構造が人種別職業分担があった。そのニッケル鉱山が不況に陥ったのが暴動激化の背景に挙げられている。