牛島満の辞世を掲げる沖縄の自衛隊 | 歴史ニュース総合案内

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 沖縄を担当する陸上自衛隊の那覇駐屯地第15旅団が、太平洋戦争時に沖縄戦を指揮した牛島満司令官の辞世を掲載しているのを、琉球新報が6月3日に報じたのをきっかけに政治問題化している。木原稔防衛相は6月4日に国会答弁で「沖縄の風」の高良鉄美議員に理解を求めた。

 「美ら島の護り」と名乗る第15旅団は、2018年から組織沿革の説明で牛島の辞世「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」を掲載。沖縄返還に先立ち結成された臨時第1混成群と第6高射特科群が合流して1973年に第1混成団となり、2010年に第15旅団に編成された歴史を伝える中で、初代混成団郡長の桑江良逢1等陸佐(1922~2010)の訓示を引用する下りで辞世が登場する。首里生まれの桑江郡長(著書『幾山河、沖縄自衛隊』)は琉球の民が「異民族統治のもと幾多の艱難辛苦をなめて」きた苦難を思い、現ミクロネシアのメレヨン島にいて自身は加わっていない「沖縄作戦において風土・郷土防衛のため散華された軍官民20余万の英霊」を祈念して、最後に第32軍司令官の辞世を引用している。

 対して沖縄の学者たちは牛島が首里から南西部へ撤退して住民の犠牲者を増やした軍官民共生共死政策の責任者と非難。旧軍との関係を断ったところに自衛隊があるのではと難詰している。牛島は最終的に摩文仁の洞窟で6月23日に自決した。しかし、福岡県久留米市の幹部候補生学校で沖縄戦を善戦と教えていることが直後に報じられた陸上自衛隊が聞き入れることはないだろう。

 

 沖縄も標的となる台湾有事の脅威が煽られる中、第15旅団は広報番組「美ら島とともに」でMCをマッキーとマリリンに。なんとも親米な部隊である。