名古屋初めての平和の日 | 歴史ニュース総合案内

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 愛知県名古屋市が5月14日を「なごや平和の日」と定め、第1回の式典を同日に開催した。太平洋戦争中の1945年5月14日に空襲で江戸期以来の名古屋城天守が焼け落ちたのを追憶する。

 東邦高校の生徒会が空襲犠牲者を悼む日が市にないのはおかしいと2014年に提起したのがきっかけ。長く論議されたが、名古屋城を木造で再々建するのに熱心な河村たかし市長(減税日本党首)が受け入れ、3月21日に市議会で「なごや平和の日を定める条例」が満場一致で可決された。全4条の条例では、名古屋空襲での犠牲者を悼み、戦禍の悲惨なる記憶を継承し、恒久平和の実現を祈る。

 プロ野球の中日ドラゴンズもこれに賛同して市と協定を締結。大曽根のナゴヤドームで5月25日の中日ヤクルト戦の前に平和イベントを実施し、大島宇一郎オーナーが平和だからこそ野球ができると訴え、河村市長が始球式をした。戦時に三菱重工の名古屋発動機製作所大幸工場だったナゴヤドームは1944年12月に激しい空爆を受け、前後の空襲を含め2600人以上が亡くなった。

 

 当時から工業化されていた名古屋では、愛知航空機や大幸工場をはじめ航空機などの軍需工場を主目標に1942年のB25ドゥーリットル空襲から63回の空襲作戦があった。作戦は住宅を目標にした低空からの絨毯爆撃になっていき、1945年3月19日に最大規模の大空襲を敢行。その後、北部市街地を標的にした空襲で名古屋城を炎上させた。市議会ではどの日を追悼の日にするかを議論してきたが、結局5月14日になった背景は名古屋城の再建経緯を知れば明白だろう。