振興される会津の向羽黒山城 | 歴史ニュース総合案内

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 福島県会津美里町の向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)がこのところ、魅力ある山城として雑誌「歴史街道」などで盛んに振興されている。同誌は1~3月で珍しく漫画「向羽黒山城ものがたり」を連載し、4月号で補足した。

 全国的に名高い会津若松城から南へ6kmほどの場所にあるこの山城は中世大名の蘆名氏の拠点だった。蘆名氏の全盛期を築いた蘆名盛氏(1521~80)が1561年から岩崎山で整備し始め、7年かけて完成させた。堀が整備されている。常陸の佐竹氏との争いに勝ち勢力を広げたが、嫡男の盛興が毒殺されて後継者に難が出て、伊達家との諍いが起きる中で盛氏が1580年に亡くなる。一族は衰退し始め、蘆名義広は1589年に猪苗代の摺上原で伊達政宗に敗北して一族は滅亡。会津にやってきた蒲生氏郷や上杉景勝が改修して城の再活用を図ったが、黒川城を前身とする若松城に行政機能を持っていかれ、江戸時代初期に廃城となった。

 会津美里町は南北800m、東西600mという山城の大きさに注目し、江戸時代の記憶を中心とする会津若松城(鶴ヶ城)という城郭で華やぐ会津若松市に対して、阿賀川(大川)で向かい合う会津美里町は戦国の記憶で差異化できるとPRに乗り出した。城跡は公園として整備され、土日祝日に開く資料室やギャラリーが設けられた。続日本100名城にも選ばれており、一曲輪の3連続枡形が独自の工夫という。

 

 町は歴史系ユーチューバーの非株式会社いつかやるに城の動画を投稿してもらったり、「とのチャンネル」に蘆名盛氏をプレイヤーの国として戦略ゲーム「信長の野望・新生」を攻略したりという企画を実行。さらに「歴史街道」編集部に魅力を伝える記事を組んでもらい、有名な山城になろうと奮闘している。