バターチキンカレーの起源訴訟 | 歴史ニュース総合案内

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 インド料理のバターチキンカレーを誰が開発したのかを巡って、デリーで訴訟が1月に起こされた。ヒンディー語でムルグ・マッカーニ(鶏バター)という同カレーは、1930年代に現パキスタンで始まったという。

 名門のモティ・マハルは2019年に開業したダリヤガンジにムルグ・マッカーニの考案者を名乗る資格は無いと提訴した。金串(シーク)に刺してタンドールの中で焼いたヨーグルト漬けの鶏肉をカレーソースと合わせるムルグ・マッカーニを1930年代に考案したのは、クンダン・ラル・グジュラルだったとモディ・マハルを運営するグジュラル家は主張し、単独での考案を訴え24万ドルの損害賠償を訴える。

 一方、被告のダリヤガンジは共同考案を主張。グジュラルがダリヤガンジ創業者の祖父クンダン・ラル・ジャギと共同でムルグ・マッカーニを生み出したと唱え、ダリヤガンジもムルグ・マッカーニ発祥の店と名乗れると唱え、チキンバターカレーの商標をダリヤガンジが申請すると、モティ・マハルとの関係が悪化し、豆カレーのダール・マッカーニともどもデリー高裁での訴訟となった。

 

 ムルグ・マッカーニは英領期にペシャワールでシーク教徒のモカ・シンが運営していた食堂モティ・マハルで生まれた。タンドリーチキンともどもパンジャブ地方の流れを汲んでいるという。印パの分離独立で従業員のグジュラルやラル・ジャギはインドへ逃れて音信不通になるが、グジュラルはデリーでモティ・マハルを再興し、瞬く間にネルー首相が訪れるほどの名声を得た。モティ・マハルはカリスマ亡き後の不振を乗り越え、日本を含めてフランチャイズ展開している。

 一方、ラル・ジャギはペシャワールでグジュラルの下で一定の地位にあった。そこから共同開発を訴えるが、ラル・ジャギは副パートナーでメニュー開発には関わっていなかったとグジュラル家は唱えている。