平安時代の平安度 | 歴史ニュース総合案内

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 爆笑問題が司会するNHKのBS番組「歴史サミット」は1月3日、平安時代を主題にした第6回で、大河ドラマ「光る君へ」の考証役で権威となった倉本一宏らの学者が討論した。平安時代は本当に平安と呼べるのかが論点となった。

 番組では平安時代の社会を討論。社会の平安性、身分秩序、呪術、気候変動、宮廷の恋愛、国際性、武士の台頭からの終焉の是非が論じられた。あれこれ問題があっても、全体的にみて平安な世だったという点では倉本ら多くが賛同した。

 

 平安時代は身分が生まれで決まる「究極の親ガチャ」社会だったという論点が提示された。貴族の世襲制ぶりについては意見が一致したが、それが社会秩序の安定をもたらしたとも論じられた。よく考えれば江戸時代も同じようなものだが、この時代の庶民はより不自由だったろう。

 平安時代は平均気温が高かったという説があるが、その変動は低い方にも触れていたという学説が登場。それにより新田の開墾が阻害され、地形争いを治めるために武士が台頭したという方向へ展開したが、荘園の発展は何故か無視された。

 菅原道真が遣唐使の停止を進言し、有耶無耶のうちに受け入れられた後も、大宰府から唐物が輸入され続けていて、国風文化が独立して成り立った訳ではないというのは、もはや定説である。

 

 内政では平将門や藤原純友のような内乱や土地を巡る騒乱が後になるほど激化していき、源平合戦から武士の世へと変わっていく。しかし、対外的には自ら戦争しにいかなければ、遼や宋や高麗が攻めてくることもなかった。その点では平穏安寧だが、目の前の治安は今昔物語集の如く悪漢が跳梁する世界だったようだ。身分を笠に着て貴族たちは喧嘩沙汰を起こして闘争(繁田信一『殴り合う貴族たち』)したが、族滅や死刑になったりせず復権していった。「光る君へ」の世界では、海の向こうの宮廷劇の影響を受けたような権力闘争が展開されるようだ。

 そんな闇の世界を題材に、安倍晴明をテレビ級の著名人にした夢枕獏の小説『陰陽師』シリーズも、新作映画「陰陽師0」が4月19日に公開される予定である。実際に行われていた厭魅などの呪詛については、それが重罪だった事実から皆の信じている訳ではなかったとの論点が提示された。