源氏物語を筆頭に、NHK大河ドラマ「光る君へ」の放送に伴い、古典文学への関心が高まると期待されている。紫式部や藤原道長の活躍した1000年前後の主な文学や日記類を振り返ってみたい。
・紫式部(ドラマでまひろ)は世界最古の女流長編文学(短編なら?)と目される源氏物語以外にも、紫式部日記という記録がある。清少納言との確執が囁かれるのは、この日記に由来する。
・源氏物語の光源氏のモデルは道長との風説がドラマの題名の元になっているが、2人の足取りを対比するにどうみても道長=光源氏とはならない。
・清少納言(ききょう)の随筆枕草子は永遠のライバルである。春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめてで、季節ごとに好きな時間帯を表現している。
・藤原道長は政治家としてだけでなく、記録簿御堂関白記が世界記憶遺産に登録されるほどの文豪でもある。字が汚いと罵られても、もともと自分だけのための走り書きだったのなら許される。
・「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることも無しと思えば」の道長の和歌を記録しているのは藤原実資の小右記である。血縁上は道長らと遠くとも、長く右大臣を務めた。
・栄花物語もまた道長の栄達を後世に伝えている。
・和泉式部は三条天皇の弟の帥宮敦道親王との悲恋を和泉式部日記に遺した(異説あり)。和泉式部は別れた和泉守・橘道貞との間に大江山の歌の小式部内侍を産んだ。
・蜻蛉(かげろう)日記を記した藤原道綱母は、道長の父の藤原兼家と結ばれていたが、道長の直接の母ではない。更級日記を1060年頃に記した菅原孝標女は、道綱母の姪に当たる。
・落窪物語は継子いじめの原点となる文学だが、実在の宮廷ではない。
・この時代の正史を記しているのは、大鏡である。
百人一首
紫式部「めぐりあひて みしやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」
清少納言「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
和泉式部「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな」
藤原道綱母「嘆きつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかはしる」
藤原公任「滝の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」